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絶命のユーフォリア  作者: 柏木むし子
一章 廃都ユーザヤール
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1-3 水面(1)

 雨が降っているらしい。水と湿った土、そして埃臭さが混じり合った匂いが辺りを支配していた。

「ん……」

 寝返りを打つ。すると身を支えていた柔らかな敷物が途切れ、硬いものに手が触れた。冷たい感触をぺたぺたと確かめながら、うっすらと目を開く。それが石らしきものでできた床であること、自分が見知らぬ何かの上に寝転がっていることを認識して、モーリェは飛び起きた。

「っ!! 黙ってたな!?」

 覚醒しつつある意識に流れ込んできたのは、倒れ伏す直前の記憶。”登録”がすぐ終わるとは聞いていたが、その際に殺されるだなんて、案内人たちは一言も口にしていなかった。話したところで無駄に怖じけづかせるだけ、という理由を導けるほど、モーリェの頭はまだ正しく回っていなかった。

 胸に手を当て、心臓が鼓動を打っていることを確認する。手のひらに確かな生命の力を感じ、安堵の息をついた。

 心臓が突然爆ぜた瞬間のことはしっかりと覚えている。意識が消えゆく一瞬のあいだに、自分が確かに快感を得ていたことも。

 この体はすでに人ならざる者の仲間入りを果たしている、と実感する。右目がびくりと疼いた。視界は相変わらず水のヴェールを纏っている。

 自らを落ち着かせるために胸をさすりながら辺りを見回した。そこにイゾラとシエロの姿はなく、死生匣テラヴァイスもない。先ほどとは異なる場所に運ばれてきたのだと窺い知れた。

 施設の雰囲気が違うのだ。イゾラの後をついて歩き回った建物は、古びた無地の床と壁でできていた。しかしモーリェが目を覚ました部屋は、壁にも床にも幾何学的な模様がびっしりと描かれている。床にいくつか置かれた光る石が、それらを不気味に照らし出していた。

 床に転がされていたのはモーリェだけではなかった。何かが詰まった袋、箱、布きれ、謎の器具……と、様々なものが置かれている。倉庫にしては収納のしかたが雑だが、ここで誰かが暮らしているにしても生活感が足りないように思えた。

「なに、ここ……」

 ぽつりとこぼした直後、呟きに応えるかのように足音が近づいてきた。身を強張らせて音の出所を探ると、それが近くの階段から響いているということがわかる。この埃臭い建物には上階があるようだ。

 階段が描くカーブの向こうから現れたのは、眠たげな目をした小柄な青年だった。

「やっと起きたんだね、おはようー」

「お、おはよう」

 話し掛けられるだけでも緊張が走る。床に座り込んだ青年には見覚えがあった。

 忘れられるわけがない。モーリェにとって初めての”悦ばしい死”を見せつけた、あの若者だ。

 歳の頃は自身よりいくつか上といったところだろうか。上半身と下半身はしっかりと繋がっていた。イゾラたちが語っていた蘇生を終えたあとなのだろう。

 体から武器や化け物の脚が生えている様子はない。ただ、はだけた腹を縦に割る大きな傷痕と、頭から飛び出した針金のような何かが目を引いた。先端に小さな球体を備えたそれは飾りなのか、それとも直接生えているものなのか。あの先輩たちの仲間なら、どんな不思議なものを生やしていてもおかしくはない。

「気分はどうかな」

「えっと……意識はすっきりしてる、と思う。体も動きそう」

「それはよかった、なかなか目覚めないから心配したんだ。何か起きたくなくなるようなことでもされた?」

 問われて改めて思い出す。死生匣(テラヴァイス)に触れて一度殺されたこと、種子蟲グラフタを植え付けられたこと……そして激痛と未知の快楽に悶え苦しんでいた最中にされたことを。

 モーリェは無意識に自らの唇をなぞり、ぴたりと動きを止めた。血液が頭に集まってくる。

 嫌悪感より興奮を強く感じたことを思い出してしまった。自分は異性愛者であると思っていたのに。

 記憶となってなお、あの蕩けるような感覚は色褪せていない。

「驚いた、だけ……」

「そっか」

 青年は柔らかく微笑む。言葉を濁したわけを見透かされたように思えて、モーリェは俯いた。恥ずかしくて仕方がなかった。

「僕はフォグっていうんだ。よろしくね、モーリェ。モーくんでいい?」

「……ああ、うん。なんでもいい」

 自分の名を呼ばれたのだと気付くまでに少しの間を要した。

 与えられたばかりの名には、まだいまいち実感が湧かない。しかし名前を変えることでみじめな自分と決別できるのなら、かつての名など捨ててしまっても構わないと思った。虐げられ片目を潰された少年はもういないのだ。

「あ……そうだ、目……どうなってるんだろう」

「これ?」

 フォグはモーリェの右目を指差し、顔を近づけてまじまじと覗いた。それだけではよく見えなかったのか、近くの光る石を引き寄せてもう一度。眩しさに目を細めるモーリェに対し、フォグは喜びを顔に湛えて目を細めた。

「すごく綺麗だよ」

「そうなんだ、でもそうじゃなくて、自分でまだ見れてなくて」

「ああそうか、植えてすぐに有無を言わさず登録されたクチだね? 確かにそのほうが手っ取り早いしなあ……っと、ちょっと待ってて。鏡持ってくる」

 フォグは床に置かれていた箱を漁り、その中から小さな鏡を取り出した。備え付けの蓋を開けて渡せば、新入りは恐る恐るといった様子で鏡を覗く。そして驚きに目を見開いた。

「……海だ」

 海が詰まっている、としか言いようのない光景がそこにあった。

 新たに作り出された眼球は、瞳が青くきらめく水面となっている。凍っているわけでもないのにその場に留まり、瞳としての位置と機能を維持していた。その奥にあるはずの色は見えず、石の光をきらきらと反射しながら、美しく澄んだ青を湛えている。

 絵画でしか見たことのない、憧れの海の色だった。

種子蟲(グラフタ)で手に入れたものなら、何かしらの力を持ってるはずだよ。目からビーム出たりしないかな」

「びー……む?」

 聞き慣れない言葉に怪訝な顔をするモーリェ。その様子に、フォグは「ごめんごめん」と軽く返した。

「そのうちわかるさ、今は焦らないほうがいい。隣いい?」

「あ、うん」

 フォグが柔らかな敷物へと座り、モーリェと肩を並べる。座る場所を同席者のためにずらしたとき、モーリェは自分が未知の材質でできた敷物で眠っていたことに気がついた。表面はつややかで、妙に弾力がある。辺りの荷物を漁るだけで、見たこともないものが山ほど出てくるのだろうと思えた。

「わからないことは何でも訊いて。優しーい先輩が丁寧に答えるから」

 癖のある髪をいじりながら笑顔を向けるフォグ。穏やかなその表情には、警戒を解くに値する気安さがあった。新入りは少しのあいだ考えこんでから、ひとつひとつ疑問を言葉にしていった。

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