2-6 変貌(2)
『脳に寄生された、と考えるのが妥当でしょうね』
先日も通った道を歩みながら、仲間の言葉を思い出しては震えていた。
脳は思考と生命活動を司る。学のないモーリェでもその程度のことは知っていたし、頭をかち割られた仲間の死に様から、その器官の重要性は理解していた。
顔中の穴にスライムが入り込む感覚だけでも十分におぞましいものだったが、脳にまで入り込まれてしまったなら、更に恐ろしい感覚に身を焼かれることとなるのだろう。
「……少し、休みます?」
「ぁ……いや、大丈夫」
声をかけられてようやく、自分がひどい顔をしていたであろうことに気がついた。鏡がないので確認はできないが、この世の終わりのような目をしていたに違いない。
「行くって言い出したのはぼくだから、行く」
「そうでしたね。でも緊張しすぎるのも良くないですから、ほら、水でも飲んで」
「うん……」
水が入ったボトルに口をつける。少し動き回っただけだというのに、喉はからからに渇いていた。
「飲みながらでいいですから、おさらいをしましょう」
闘人一行の危機、それも年かさの二人を欠くという事態に際して、ジンリンがイゾラに代わり指揮を取ることとなった。
彼がまず提案したのは、自身をメインに据えた少人数での偵察。捕らえられた二人の様子を、千装の仔蜘蛛を用いてできる限り遠くから探るというものだった。
「相手は機械を操っていた殲獣です。そしてどういう仕組みか、束になれば人間をも支配下に置くことができる」
頷きながら件の惨劇を思い起こす。イゾラに襲い掛かったシエロの様子は、操られているとしか思えないものだった。
「無力化されて転がされている可能性もないわけではないですが、今までの殲獣の傾向からして、戦闘要員として使われていると考えられます」
「二人が、敵に……」
「ええ。その場合、イゾラと正面からやりあうのは愚策です。卑怯で結構、毒殺でも爆殺でもぶちかましてやりましょう。シュテたちがよいものを見繕ってくれているはずですから。……可能なら、今すぐ楽にしてあげたいところではあるんですが」
そう告げて笑顔を見せ、後輩の頭を撫でる。
モーリェは大きく頷き、自らの胸に付けたものをさすった。ジンリンから借り受けた、サソリに似た姿の仔蜘蛛を括り付けてあるのだ。
あの大量のスライムに再び襲われ、寄生されそうになった際に、この仔蜘蛛が心臓を刺し貫いて殺す手筈となっている。ジンリンもまた同じような装備となっているが、仔蜘蛛を介して本体が操られるような事態になった場合は、モーリェが彼を刺し殺すと取り決めていた。
「行きましょう。同じ場所に居座ってくれているといいんですが」
「そう……だったらいいな」
偵察が再開される。二匹の仔蜘蛛を先行させ、操作が利くぎりぎりの距離を保ちながらそれらを追う形で。更に予備の仔蜘蛛たちが二人の後をひょこひょこと追いかけた。
事件が起こった大広間に着くまで、仲間たちや野良の殲獣との遭遇はなかった。攻略ルートから外れた場所をうろついているのか、元の場所に居座りつづけているのかは、扉を開けてみないとわかりそうにない。
「広い部屋の入口は自動扉だった。……で、あってます?」
「うん。勝手に開くやつが急に出てきてびっくりしたから、覚えてる」
「なら、今偵察機から見えているものがそれですね。……準備はいいですか」
「できてる。……お願いします」
息を呑み、ナイフを構える。二人は通路と扉を前にしながら、更にその先の光景を望んだ。
ジンリンは己の子機がもたらす情報に集中するため目を閉じる。視覚を共有しているのだ。
モーリェは息を呑み、その横顔をひたと見つめた。
「部屋の真ん中にいますね、頭だけ見える。くっついて休んでるのかな。みんなで倒した親玉の残骸? に腰かけて……今ちょっと回り込んで様子を、っ!?」
淡々と状況を語っていた表情が一変し、非常に険しいものとなる。その様子を見ていた側にも緊張が走った。
「どうしたの!?」
「……二人が、混ぜ合わされている」
「ま、ぜ……?」
直視に堪えなかったのか、ジンリンは目を開いてしまい、今までに見たことがないほどにうろたえた様子を見せた。十二年の月日を闘人として過ごしても慣れることのできない、未曾有の事態が起こっているらしい。
「どういうこと!?」
「詳しくは後で。眠っているうちに、殺す」
強く言い切って、再び目を閉じる。モーリェはナイフを握りしめながらただ報告を待つしかなかった。
十数秒の沈黙を経て、ジンリンは更なる苦渋を顔に浮かばせた。
「刺せた、けど、だめ……シエロの生体武装が生きてる!!」
〈泣別れ機構〉と〈潰えざる肉叢〉。シエロは二つの生体武装を抱えているが、暗殺を阻んだものは間違いなく後者だろうと考えられた。
自我を奪われるという辱めを受けながら、自らを形作る能力により、死をもっての逃走を封じられている。その苦しみを想うと、頭が煮えたように熱くなった。焦りと敵への怒り、そしてこの事態を招いた自身への怒りで。
「ジンさん、ごめん、見てくる」
「モーくん!?」
冷静さを失った少年は、にわかに駆け出していた。ジンリンはそれを引き留めようとするが、伸ばした手は空を切る。
「頭をやられたらすぐに殺して!」
ナイフともう一つの武器を手に通路を走る。二つの扉を抜け、最後の自動扉が開き切るのを待てずに身を乗り出すと、ジンリンが直視しかねたものを視認することができた。
その異様な、そしてあまりにむごい姿に、少年はただただ絶句する。
「なに、これ」
混ぜ合わされている、と評した先輩の言葉は正しかった。
意思の欠けた瞳で来訪者を捉えたイゾラが、「あア゛」と唸り、左の鎖骨付近から生えたシエロの顔を、過剰に生じた手で掻いていた。片方の耳にぎりぎり引っかかっていた眼鏡が落ちた。
二人の身体を一人分のスペースに無理やり押し込めた……という説明がふさわしい、いびつな姿。シエロのものと思しき手がイゾラの二の腕から生え、一部の指先だけが刃物に変じている。
着衣を失った上半身からは、肋骨であったと思しき骨が複数、てんでばらばらの向きに飛び出していた。
その下には大きな傷口が作られ、腸をはじめたとしたいくつかの臓物がどろりとぶら下がっている。二倍の数になってしまった臓器を、腹を裂いて出したのだろうか。内容物が挟まったままの傷は塞がらず、生きた臓物を晒し続けている。
イゾラは獣のような唸り声を、シエロは狂気に満ちたうわ言を、とめどなく涎を垂らしながら紡いでいた。
「モー、くん、おいで、おいでよ、こっち、僕の、ナカ、おいで、僕の、僕の、僕の」
「あ、ア、あ゛ア゛」
「はやく、僕の、僕と、モーくん、いっしょ、いっしょに、ひとつ、僕の、あ、へへ、はは、ははははは」
「ヴゥア゛アアアアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ーーーーーーーーーーーッッッ!!」
歪んだ笑い声、そして耳をつんざく咆哮と共に部屋が唸りだす。
モーリェがとっさに通路へと退いた次の瞬間、三人を苦しめたスライムのシャワーが射出された。きれいさっぱり消えていたそれらは、各々の持ち場に戻り身を潜めていたらしい。
大部屋があの惨事を再現する様子が、閉じゆく自動扉の向こうに見えた。
「だめ、こんなの……だめだ……やらなきゃ……」
あの姿を許すわけにはいかない。一刻も早くあれを屠り、本来の彼らを取り戻さなければ。
破裂しそうなほど早く脈打つ心臓に急かされながら、震える手で着火器具のボタンを押し、持ち込んだ武器のひとつに火をつけた。フォグ謹製の火炎瓶に。
自分がすぐに逃げ帰らない以上、ジンリンは頃合いを見て仔蜘蛛で自分を殺すだろう。モーリェはそう判断し、その前にかたをつけるべく瓶を振りかぶった。
イゾラとシエロ――改め人型の巨殲獣は、自分を追ってくるだろうか。そうでなければ自動扉を開けて瓶を投げ込まなければ。
選択を迫られたじろいでいると、閉じたばかりの自動扉が開いた。なおも唸り続ける巨殲獣を通すために。
それは右腕の刃を構え突進をしてくる。モーリェを排除するために、あるいはその身に取り込むために。
「ごめん! 殺す!!」
決意を口にしながら瓶を投げつける。それは標的の足に当たり、油と炎をぶちまけた。
通路に火の手が上がり、肉の焦げるにおいが漂う。即座に施設の消火装置が作動し、壁から粉末状の消火剤が放出された。
巻き起こる煙の中から、半身を焼かれた巨殲獣が現れる。それは動きを大幅に鈍らせながらも、歩みを止めることはなかった。
「ヴヴヴううウ、ッッッヅヴヴヴゥ、ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ーーーーーーーー!!」
哀しき獣の方向は止まらない。身を焼かれてますます殺意を撒き散らす獣を前に、モーリェはただ圧倒され後ずさることしかできなかった。しかし、
「こっちへ! 早く!!」
後ろから聞こえた声で我に返る。扉の陰から伸ばされたジンリンの手を取り、共に一目散に駆け出した。
逃げる時間を稼ぐためか、予備の仔蜘蛛たちが一斉に敵へと向かってゆく。モーリェの胸に張り付いていたものも含めて。
「ごめん、また勝手に――」
「お説教は後! 逃げますよ!!」
気力を振り絞り、来た道を全速力で走り抜けてゆく。
蛮勇をもって与えた一撃が、ジンリンが差し向けた仔蜘蛛が、仲間たちを解放してくれる……とは思えなかった。きっと彼らは炎を乗り越え、しぶとく生き延びて、苦しみ続ける。
早く拠点に戻りたい。戻って、叱られて、次の策を練りたい――後悔と焦りに心をかき混ぜられながら、少年はひた走り続けた。




