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絶命のユーフォリア  作者: 柏木むし子
二章 観察迷宮オギアム
21/31

2-4 憩う流水(1)

「朗報! ド朗報だよー! いい知らせがすごくいい! やばい!」

 半裸のシエロが叫びながら拠点に駆け込んできたのは、モーリェたちが大量のサンドイッチを買い付け味見をしていたときのことだった。

 罠をすべて破壊し、流れた血と飛び散った肉片を片づけたあの大部屋――の隅で、モーリェはシュテルンと共に夕食の支度をしていた。

 大きな敷物を広げ、皿代わりの紙を敷いてその上に食事を乗せた、卓すらない簡素な食事の場。あとは各々好きな飲料を持ち込めば完成、というところだった。

「おー、何がそんなにやばいんだ?」

 上機嫌なシュテルンが缶詰を開けながら答える。傷んでおらず味付けが独創的すぎてもいない、真っ当な食事を買い付けることができたゆえの機嫌の良さだった。

 焚火のできない環境であるため、素材に手間を加えた食事に飢えていたのだ。

「シエロさん、今日はズボン守れたんだ」

「そうそう腕犠牲にしてでもフルチン防げるように頑張っててさ……って話は置いといて、いや置かなくていいか、皆も喜んで裸になるスポットを見つけたんだよさっき!」

「マジで!?」

 報告者の意図を察したのか、購買網(レプライヤ)と睨めっこをしていたイゾラが食いついた。その視線の向こう、通路からはフォグとジンリンが歩いてくる。どちらも軽く負傷してはいるが気分が良さそうだ。

 シエロは少し歪んだ眼鏡を指先で直し、高らかに告げる。

「シャワールーム! ちゃんとお湯が出るシャワールームがね、あったんだよ!」


 闘人(レイズド)たちの衛生事情は、お世辞にも清潔であるとは言い難いものだった。定住する地を持つことができず、自然の真っただ中や廃墟、その他得体のしれない無人の施設を転々としている状況では致し方のないことと言える。

 それでもイゾラやシエロといった古株たちは、『昔より良くなった』と、揃って後輩たちに語っていた。

 汲めるほどの水が辺りにあり、火を扱える場所であれば、大型の缶などを使って風呂とすることができる。自然の水がない場合は、飲用水を沸かして温かいタオルを作り体を拭く。それすらも用意できない場合、またはその支度が面倒な場合は、見つけ次第買い溜めている使い捨ての濡れ布巾が役に立った。

 モーリェが闘人(レイズド)の仲間入りをしてから慣れるまで、先輩たちから生活のすべを教わっては驚いていたが、その中でも『水が足りない時の頭の洗いかた』はかなり衝撃的なものだった。

 教師役を務めたジンリンは、自慢であるというさらさらの長髪を、剃刀で迷いなく切り落としてみせたのだ。

 目を丸くするモーリェの目の前で、彼は頭皮と他の誰よりも短くなった髪を洗い清め、すっきりとした顔で死生匣(テラヴァイス)のもとへ向かった。そしてパネルを操作し、髪をもとの長さへと伸ばして見せたのだった。急造の長髪はいつも通りの艶めきを持っていた。

 頭髪が大量に減ると、負傷と認識されて治療の対象となる。

 後にフォグが『バグ技』と称していた(が、モーリェにはその意味がわからなかった)洗髪方法は、モーリェも後に世話になることとなった。

 この閉じた施設ではそうする他になかった。――が、それもつい先ほどまでの話だ。


「お湯がー! 出る出るー! お湯が出ーるぞー!」

「へいへーい!」

「そーりゃもー! 大量にー! お湯が出ーるぞー!」

「ふんふーん♪」

 トラップと殲獣(ホイル)を排し静まり返っていた通路に、いい歳をした男たちの珍妙な歌が響く。

 イゾラとシエロが大人げなくはしゃいでいるのは見慣れた光景として、ジンリンまでもが合いの手を入れ出したのは、最年少の少年にとって意外な光景だった。普段の彼はこの流れを生暖かく見守る立場だったはずだ。

「どうした、なんか面白い顔してるな」

 シュテルンが少年の顔を覗く。四本の手いっぱいに掃除道具を抱えた彼もまた足取りは軽い。

「え、うん……ジンさんがあんなにはしゃいでるの初めて見たから、意外で」

「そりゃあ一番のきれい好きだしなあ。それにほら、いつもの風呂で一番狭い思いしてるのあいつじゃん」

「ああー」

 モーリェは間の抜けた納得の声をあげ頷いた。八本の脚――彼の唯一の生体武装(グラフト)である〈懐胎(クイン=)せし(アラネア・)女王(ファンク)〉――を折り畳み、風呂に『浸かる』というよりも『詰まる』といったほうが正しい入浴をしている姿を思い出したのだった。

 次はきれいな水場がありますように、あわよくば温泉が湧いていたりしますように……と空間跳躍(リレース)の度に呻く姿には切実さがある。

 先輩たちが語るに、温泉という場所はシャワーよりも更に素晴らしいものらしい。広々と湯に浸かる心地よさを上手く想像できず、改めて考えこみ……その結果歩みが遅くなり、慌てて仲間たちを追いかけることとなった。

 五人の背を見てふと気づく。そういえば、全員で連れ立って出かけるのは初めてではないかと。

「あの……シュテさん、話変わるけど」

「何だ?」

「どうして親玉相手の時にも留守番が要るんだろう。全員で行ったほうがすぐやれそうなのに」

 探索や殲獣(ホイル)の討伐を行う際、闘人(レイズド)たちは必ず拠点にいくらかの人員を残したうえで行動に移る。

 でたらめに品揃えを更新し続ける購買網(レプライヤ)の監視、という重要な役割があることはモーリェも理解しているものの、巨殲獣(ヘヴ・ホイル)との決戦の際にまでそれを行わなくても良いのではという疑問があった。が、決まりごとに異を唱えるきっかけを逃して呑み込んだままだった。

 ふと浮かんだ疑問をぶつけられたシュテルンは、すぐにその意図を理解し、苦い表情を浮かべた。「あー……」と呻いて口ごもった先輩の代わりに答えたのは、突如二人の間に割り込んできたフォグだった。

 いつも通りの笑みを浮かべた彼は、困ったような顔をしたシュテルンに目くばせをしてから、モーリェの肩を抱いて顔を近づける。

「いいところに気づいたね、っていうか誰も話してなかったんだそれ。意外」

「んー……聞いたけど頭に入りきらなかったのかも」

「うーんあるある。で、それなんだけどさ、昔は全員で挑むこともよくあったらしいんだ。でも一度大変な目に遭って、総動員は避けるようになったって聞いた」

「大変な?」

 その一言が気にかかった。

 昔話であるゆえ、皆が今よりも未熟だったのだろうという想像はつく。しかしこの体は負傷を快楽に変え、死を小さな損失として済ませてしまう特別製のものだ。

 それを以ってしてもなお困るトラブルとは何なのだろうか。純粋に想像がつかず、首を傾げた。

「ほら、僕らって一度死ねば状況がリセットされるわけでしょう。だから捕まえた人間を生かしたまま痛めつける殲獣(ホイル)が一番やばい。そいつに全員捕まったりすると、次の空間跳躍(リレース)までずっと生き地獄だ」

 モーリェは友の話に聞き入り、生唾を呑んだ。ぞわりと背筋に寒気が走り、思わず己の腕を抱えてしまう。そんな少年の耳に唇が触れるほど顔を近づけて、フォグは続きを囁く。

「僕が()ばれる前に相当やばいのがあったらしいからね。この話はなるべくシュテに振らないほうがいい」

 思わぬタイミングで教えられた仲間の泣き処に、モーリェは神妙な面持ちで頷いて、それをしかと記憶に刻み付ける他はなかった。

「……とか辛気臭いことは置いといて、ほらすぐそこだよ管理者区画!」

 この話は終わり、とばかりにフォグが背を叩いてくる。モーリェは背筋を伸ばし、思わず笑ってしまうほど浮かれている先輩たちの後を追った。

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