41 兵長は参戦する、戦友の宴に/万鐘は演奏する、己のベストを
ワタシたちは、ワタシたちきりじゃない。
隣にも後ろにも仲間がいて、共に、前を見ている。
◆◆◆
戦争屋として生きる。十五の冬にそう決めてから、四十年ばかり、不動心のような無感動でもって生きてきた。
眉間の皮膚は久しくしわ寄ったきり。もう固着したとさえ思っていたから。
「へ、兵長。ザッカウ兵長。見て下さいよ。もっふもふですよコイツ」
「ひと抱えにしてみると、割と軽いんですねえ。それにしても後ろ足が太いなあ」
「長い耳と、ピスピスって動く鼻が、何とも可愛らしく……兵長! ほら!」
困る。こういう時には、どういう顔をしたらいい。ついこの間まで復讐に血眼だった男たちが、表情もだらしなくウサギと戯れているなど……そもそも喜んでいいのか叱るべきなのかすらわからん。
「おう。角に気をつけろよ」
我ながらつまらないことを言うものだ。しかし、言いたくもなる。
ソードラビット。牧のひとつを専有し、そこかしこで草を食んでいる。神の眷属として人間と共に戦うという話だが。
魔物だ、こいつらは。つい昨日までは人に害を為していた。
先に黄土新地へ襲来した中には一羽とて見られなかったが、この開拓地を襲った中には何羽もいたはずだ。新聞で発表された戦果を確かめるまでもない。鋭い角によって死傷者が出た話など、誰も聞き慣れている。
「頬を押さえて、どうしましたか?」
「司祭殿」
「そのままで結構ですよ。拙僧も様子を見に来ただけですので」
柵の内側と外側、大の男二人で寄りかかったところで柵は軋みもしない。頑丈なものだ。南から来た建築屋たちは腕がいい。仕事も早い。人も物も優秀なものは南から来る。
この男も、間違いなく南からやって来た。それも権力に近いところからだ。
開拓司祭フェリポ。ここの行政を取り仕切る内政屋。その高い識見は開拓軍尉アギアスが最も恃みとするものだろう。何につけよくしゃべる男だが、使う言葉の調子に貴族のそれが濃く漂う。
もしかすると、相当な家格の人間なのかもしれない。この男が先の戦場で見せた胆力と覇気……あれは特等だった。ただの学び屋や拝み屋とは思えない。
「いやあ、眷属というのは、なんとも不思議なものですねえ……このことあるを踏まえて準備も始めていましたが……」
「凄みがあるな。魔物が仲間になることを想定していたなんて話は」
「はい。聖典にいわく……畏くも神在らせられたまいて、使徒なん任ぜらるる。いかで魔獣の従はぬやあらむ」
「神、使徒、そして眷属……まるで伝説のようじゃないか」
「今まではただの伝聞の言説でした。信じずとも信じさせることが聖職でしたし、ま、信じた者の気休めくらいにはなっていたでしょう。ただし、これからは全てが真実です。まさに我々は伝説のような今を生きているのですよ」
嬉しそうに語るものだ。神院の人間というやつは、どいつもこいつも人のいい嘘吐きばかりだと思っていたが、この男は真逆だな。人の悪い正直者だ。
「伝説……それは理屈で説明ができないほどに感動的です」
いい笑顔だ。見てきて気持ちよくなるほどだ。
「まさか、こんなにも一羽一羽の区別がつくとは……!」
ああ、それは確かになあ。
俺にも見える。わかる。あの灰色の一羽は目つきが鋭く超然としていて、その茶色の一羽は童顔で小太り。隣の一羽は雌か。実に凛々しい一羽だな。そんなことが見て取れる。本来ならば見分けなどつくはずもないのに。
神の加護の賜物と言ってしまえば、それでおしまいだ。
だが、これは……もう少し違うもののように思える。胸が熱くなる、その訳は。
「仲間……だからか」
「ええ。まさにその通りなのでしょうね。ウィロウ卿も馬に対して同様の発言をしていましたよ」
「そうか。なら、戦友にもなれるということかな。俺たちとこいつらとは」
言ったところで、ウサギたちが注目してくるわけではないし、握手ができるというわけでもない。言葉を交わし合えやしない。だが、信じられる。
俺たちとこいつらとは、同じだ。
この地の「熱」に魅せられ、誘い寄せられたという点で、まるで同じだ。
「我々と彼らとは別生物です。当然のことながら、何もかもが違っています」
「だが、共に在れる」
「はい。互いに互いを尊重しさえすれば、きっと共存できます。共栄できます。我々は必ずしも同じである必要はなく、違いを受け入れてなお協調すればいい」
「それが合理というやつか」
「いいえ、誠意ですよ。利で結ばれた関係はエルフだけで充分。我々は彼らと義で結びつくべきなのです。困難を共にする同志として」
ここで神の賛美を出してこないところが、この男の芯の強さだろうな。それは幹部の面々に共通するもので、誰よりもクロイ様が体現している信仰の形だ。
そうだ。俺たちは、神にどん底から救いあげられるわけじゃない。
そんな戯れな、神の玩具なんかじゃない。
生きることの理不尽さに、さんざっぱら痛めつけられちゃきたが……妥協することに慣れ親しんじゃきたが……それでもここまで生きてきたという自負がある。
惨めなままで、いられるものかよ。
困難に立ち向かい、自らの手で自らを救う……そう動き出すための熱量は、神が与えてくれた。動き続けるための希望ももらった。後は覚悟を決めるだけでいい。
ウサギたちも、同じなんだろうよ。だからここへ集い来た。
なるほど。同志だ。そして戦友だ。
「そういえば、ウィロウ卿へ意見してくれたそうですね。駐屯軍歩兵隊について」
「ああ。兵士たちの様子を見てのことだ」
「隊長が拙僧で、副長がヤシャンソンパイン君。そしてザッカウ殿は兵長のまま様々に補佐を担っていただけると」
「それが最も戦える形だと思ったからな」
歩兵は、連帯感が全てだ。それなしには地に足もつかない恐怖の仕事だ。隣に仲間がいるから耐えられる。耐えて、押せる。押し出すことができる。
「戦う形ですか。うふ。歩兵隊には彼らウサギが組み込まれますね。騎兵隊においては馬がそうであるように」
「ああ、そうだろうな。頼もしい話だ」
「親睦を深めなければなりませんね」
「もっともな話だな。それは」
「では……いいですね?」
「おう……いいとも」
緩んで緩んで仕方がない頬を、もう隠さずに。手をワキワキとさせて。
「いざや!」
「おうさ!」
俺も、触るぞ。これも、戦いなのだ。
◆◆◆
青天の下、茶をいただく。
冷え冷えとした胸の内へ、ぬるく、香が滑り落ちていくのう。
「サチケル様、あれは……あの有り様は……!」
「うんむ。ソードラビットを眷属化したということじゃなあ」
幾度目にしようとも、神の御力というものは、ただしみじみと超越的じゃ。憎しみと蝕みとを醸造したかのような毒気……瘴気を吐くのが魔物本来の在り様じゃというのに、牧場には清涼な風が吹くきり。
理が、歪みおる。
良きにつけ悪しきにつけ……それは世界の改竄には違いなかろうに。
「怖い、かの? フレリュウ」
「……正直に申し上げれば、大きな不安を覚えております」
「人間が強うなることが、不安なのじゃな」
「はい。見る間に力をつけていくようで……底が知れないようにも、思われます」
「ふうむ。どう戦うべきかと考えておる顔じゃのう」
「……『黄金』を討った力、どうして警戒せずにいられましょう」
「まあ、そうじゃなあ。あれはすんごかった」
赤く黒く燃える軍勢……死者を次々と戦列へ加えていく召喚術……クロイが世界へと表現したものは、戦火そのものじゃった。
哀しい、のう。
戦いは激しくなっていくばかりじゃ……誰とも仲良う笑い合いたいのに。
「フレリュウ。このことも、つぶさに評議会へと報告しておいてくりゃ」
「は、承りました」
「付け加えることとすれば、毛並みの美しさには貴賤無し、といったところかの。わりゃは黒狼のこともなでなでしたいのじゃ。あ、元気なままにじゃぞ? もう毛皮なんぞ寄越してくれるなよ?」
「そ、その節は……」
「それと、アルクセムの後任についてじゃが、くれぐれも人品穏やかな者をと念押ししておいてくりゃ。あんなことは、もう、あってはならぬからの」
「は。では早速に」
さて、どうなるか。うまいこといってほしいものじゃが。
人間と触れ合い、多くを知ったフレリュウですらがああも怯える。伝え聞くばかりの評議会ではなおのこととなろうの。極論が出てこんとよいが。
不安と恐怖の根源には、無知と無理解が横たわっておるからのう。
そもそも、強さ弱さなど今更の話なのじゃ。ヴァンパイアが現れてよりの三百年、ドラゴンとデーモンが戦うようになった世界では、心の持ち様こそが肝要。
ふむん……今日も奏でるかの。音楽を。
昼餉の煙が立ち上る空に、ちょっとばかしの浮鈴と空鐸を舞わせて、そいそいのそいっと。
明るい曲を。前向きな姿勢で。楽しい気分で。
わりゃにできるべすとはコレじゃと、思うからの。




