22 竜侍は立腹し放心する、人間の怒りと誇りと営みに
ワタシは使徒だ。人間の神の使徒だ。
だから、必ず、別の使徒と戦うことになる。そう決まっている。
◆◆◆
「よいか、フレリュウ。よおく聞いて、しっかりわかるのじゃぞ?」
寝台の上にて、お小さくも堂々たる立ち姿。サチケル様のお言葉を、この私は聞き逃すはずもない。床に正座し、拝聴の姿勢は万全だ。
「わりゃたちエルフも、人間も、ヴァンパイアも、等しく貴い生き物なのじゃ。この大陸に生き残った、魔法文化を持つ霊長三種じゃからして」
お可愛らしい声で、しかし難解なことを仰られる。どういう意図なのだろう。
「そもそも、じゃ。この大陸にはもっと多様な霊長類がおったのよ。絵物語で読んだことがあろ? 森にはエルフとインセクター。平原には人間とケンタウロス。山にはドワーフとコボルト。海にはマーマンと……ようわからんドロドロ」
神話のことだったか。なるほど。幼生体の頃に寝物語に聞かされた憶えがある。支離滅裂で、すぐにも眠れるよい話だったが。
「それらがまあ、色々と災害だの戦乱だのがあって……大陸が氷で覆われるなんてこともあったりして……種族はひとつまたひとつと滅んでいったのよ。花が散るかのようにのう」
そう、神話には、夜更かしを怖がらせるためのおどろおどろしさもあった。地の底から甦った魔王が神に逆らうくだりであるとか、エルフが皆で冬眠するだとか。
しかし最後はエルフの栄光が語られる。当然だ。エルフとは神に愛される種族。悪神異形の類を駆逐し、古の宿敵であるドワーフをも滅ぼして、あまねく世界に秩序と正義とを打ち立てたのだから。
「みなはヒトと呼ぶがの? そんな激動の歴史を越えて今に存続する種族のひとつが、人間なのじゃ。エルフと同じだけの長き来歴を持つ、尊い種族なのじゃよ」
なるほど。そのような理由で、サチケル様はヒトをニンゲンと呼ばれるのか。
「希少性を貴び、彼らの歴史と伝統に敬意を払え……ということですね?」
「んむう……もや痒いが、そんな感じになるのかのう。とにかく、人間と仲良うしてほしいんじゃよ、わりゃは」
「承知しております。それに、彼らは吸血種に対して強力に抵抗しました。その有用性はアルクセム二等も理解するところです。評議会もこの地を戦略的に活用すべしとの決定を下しております」
「戦略……またそれかあ……」
おいたわしや、サチケル様。兵力の増強とてなく、なお、かかる蛮地に留まり続けろとは……通常の命令であれば抗議するところだが。
神勅の権威をもってする命令では、ただ粛々と従うよりない。
「わりゃ、戦争、嫌いなのよ……」
「そうは仰られましても、相手は荒ぶる吸血種です。戦わねば大陸を支配されましょう。勝たねば正しき秩序の回復も叶いません」
「仲良うする、というわけにはいかんもんかのう?」
「憚りながらそれまでに。大方針への疑義は、断枝滅葉の大罪でございますれば、どうかご自重を」
我が風が防諜する以上、耳をそばだてる不埒者がいたとて問題はない。しかし危うい御方だ、サチケル様は。お愛らしさが時として思いもよらない無茶へとつながってしまう。
「うう……フレリュウうう」
見ては駄目だ、私よ。畏まって床を凝視するのだ。さもなくば「万事お任せを」などと宣言してしまうぞ。耐えろ。憎きものをでも想像してやり過ごすのだ。
憎きもの。吸血種。滅ぼすべき邪悪な存在。
そういえば……先ほどのお話は吸血種について触れていなかったな。
「サチケル様、ひとつ伺ってもよろしいでしょうか」
「うんむ? なんじゃ?」
「サチケル様は、吸血種についてはどう解釈されておられるのでしょうか。私が生まれた頃……三百年ほど前に突如として出現したと聞いておりますが」
サチケル様の仰るところの霊長類を飲食する、浅ましくも呪わしい種族だ。暴力的で快楽的で本能的という、この世の悪徳を体現するかのような、エルフの天敵。とても貴いとは思いがたい。
「あれらはなあ……んお? フレリュウ?」
風に反応あり。兵か。ああ、もう来たのだな。
「申し訳ありません。どうやら件のニンゲンが参ったようです」
「おお! 遂にこの時が来たのう! 準備は、準備は万端じゃろな?」
「ご指示いただいたとおりに」
「よーしよし! 行くのじゃ!」
「あ、サチケル様、まずは私が供応します。しかる後にお出ましされては……」
「いいや、行く。出向いてもらっておいて、わりゃが迎えんでどうするのじゃ!」
ぴょんと跳ねられる様の、何というお可愛らしさ。ちょこちょことお急ぎになられる様もまた。側仕えの役得よ。
いや、気を張らねばならんぞ、私。このところどうにも惑いやすくて敵わん。サチケル様のお世話を独り占めにできる幸福の、思わぬ弊害だな。艱難辛苦の類は心構えひとつで忍耐できるが、その逆のものは心を無構えにする。
「うむうむ、お茶も茶菓子もいい具合じゃな! よーしよし!」
屋上に設けた茶席は、サチケル様お好みの甘味揃えだ。ニンゲンがこれらの勿体なさを感じ取れればよいのだが。
「ただ、のう……兵が多くはないかのう?」
「いいえ、そのようなことは」
警備は万全のようだな。
空には五羽の風鷹が周回している。屋上の四方には風使い十名と水使い十名が、それぞれ一頭の銀豹を伴い立っている。隣接する建物の陰に飛行者も潜ませている。そして今、私が加わった。
「そうかのう……気を悪くせんかのう?」
「御身の貴さを存じませば、手薄に過ぎるほどかと」
「じゃがなあ……」
脅威は、あるのだ。
名は何と言ったか……エルフの魔法を斬った、黒髪の者。
ニンゲンは「五十骨崩し」などと口さがないことを噂していたが、戦闘跡を見れば真実が推し量れる。南から襲来した吸血種は、ニンゲンの奇襲を受けて混乱、同士討ちでも起こしたのだろう。意味不明な位置での《放雷》もそれで説明がつく。
「おお! よう来たよう来た! わりゃがサチケルじゃ!」
「……クロイ」
「クロイか……うむ……良き名じゃな」
先に名乗らず、しかも会釈だけだと? これだからニンゲンは……しかし非武装で参った点はよし。当然のことではあるが。
供は二人か。見たところ武官と文官といった風だが。
「お初におめもじいたしますわ。わたくしは先頃より当地の主計を務めおります、紅華屋アンゼでございます。どうぞ宜しくお見知りおきを」
「うむうむ、苦しゅうないぞ!」
文官の方は中年の雌。筋骨は柔なものだが、ほのかに魔力の気配がある。
「拝顔の栄誉を賜ります。当地代表の弟、マリウスと申します。兄の名代としてまかり越しました」
「おお、兄弟というやつじゃな! 顔が似ると聞くのう!」
将校だな、この見目のいい雄は。立ち居振る舞いでそれと知れる。
「よくご存じですね。三人の兄たちは、皆、父に似ております。末子たるそれがしのみは母に似ました」
「ほう! 人間には、そのような摩訶不思議があるのじゃなあ」
「世代を越えて似ることもありますわ。わたくしは曾祖母の生き写しと聞きます」
「そのようなことまで! ならば、その方らは皆、千年万年の昔を生きた誰ぞの似姿なのかのう」
クロイとやらは無口無表情を極めているが、供の二頭は愛想がいい。
しかし、不可解だ。クロイとやらの他には、この地の代表と、交渉の窓口である司祭、そしてあの火使いが来るはずではなかったのか。
「さあさ、座ってくりゃ! わりゃがうんまい菓子を見繕ってやるからに」
「お心遣い、ありがたく存じますわ。されど竜侍官殿は訝しんでおられるご様子」
「……懸念はある。警備上においても、儀礼上においてもな」
「フ、フレリュウ」
「尤もなことです。それがしがご説明いたしましょう」
頷き、先をうながす。サチケル様をもお待たせいたすことになるが、やはり状況を納得する必要がある。
「ご指名を受けた三名がここに参らなかった理由は、それぞれです」
微笑みながら弁解するのか。物怖じしないやつだ。
「まず開拓司祭フェリポですが、ここに近づくことまかりならんと、貴軍の二等帥殿に拒まれました。余計な交渉をするなという警告と受け止めております」
アルクセム二等め。それこそ、余計な差し出口ではないか。
「次に開拓司魔オデッセンですが、少々臥せっております。火役人足の訓練に些か特別な方法を取り入れまして……ふふ……ぷくく……!」
愉快そうだな。火を起こせるニンゲンに訓練を施し、火使いに仕立てようというのだろうが……順調なのだろうか。そうだとすれば脅威だが、しかし、偵察の報告によれば「珍妙にして奇怪なる迷信的儀式」という結論だったぞ。
確か……頭上に油壺を乗せ、手足でよじれ枝のような姿勢を取り、焚火を囲うように置かれた瓦の上をソロリソロリと延々巡っていく……だったか?
阿呆な。いかにも未開の振る舞いだ。ニンゲンは瞑想法すら知らないらしい。
「我が兄アギアスについては、単にして純、現在この地におりません。周辺諸村にて魔物による襲撃が頻発しており、その討伐に向かいました」
魔物、か。吸血種もまた走狗として使う。
討伐という話は本当だろう。ここは騎馬の出入りが激しいから訓練と実戦の見極めが困難だが、心当たりがある。先日出たきりまだ戻らない七百騎。
「いずこの方で魔物が出たのだ?」
「南西、および西北西です」
やはりな。どちらもエルフの作戦領域ではない。自然発生したものでないとすれば吸血種の仕業だろう。最前線で戦闘が多発しているという今、我が軍に敵方へ回って工作をする余裕などない。
「それと、東ですね」
まさか! ありえない話だぞ、東など。
よしんば私のあずかり知らぬ不正規作戦があったとしても、最低限の配慮というものがある。万が一にも、サチケル様へ瘴気が届くような真似はしないはずだ。
「……誤報や虚報ということもあります。ここは皆に期待され、頼られる拠点となりましたから」
「ええ、本当に。わたくしも活気を聞きつけてこの地へやって来たのです」
「ほうほう! ここはそんなにも大人気なのか? わかる気がするのう」
「あ、サチケル様、茶の支度は私が」
「いんや、わりゃが入れるのよ。この場の亭主じゃからして」
ああ、勿体ない。いや、これがサチケル様の愛護の御心というものか。ニンゲンはそのありがたさに涙するべきだぞ。
「正客は、クロイ、お主じゃ。さあどうぞなのじゃ」
「いいえ。僭越ながら、まずはわたくしがいただきとうございます」
期待をすれば、これか。ニンゲンとは何と浅ましいのだろう。
「……本当に僭越だな。茶の作法ばかりの話ではないぞ」
「おやおや、礼法を論じるつもりですか。当然のことを申し出たわたくしに」
「何が当然だ。類例なき厚遇に感謝するでもない物言い、恥を知れ」
「ほ……厚遇に、恥……ほほほ」
笑うのか。私を。エルフを。
「わたくしどもをこのように脅しつけておいて、更には毒かもしれぬ一杯を、真っ先にクロイ様へ飲めと仰り……更にはそれを喜べと。なんと無体な。どちらが礼知らず、恥知らずなのやら」
何だ。何を言い出した、こいつ。ニンゲンの分際で。
「まったくですね。これほどの重囲に陥るとは慮外の危機というもの」
武官が見渡した先は、どれもが飛行者の伏せる場所。まさか。この僅かな間に見抜いたとでもいうのか。
「いや、新参者のぼくらがやってきて正解でした」
「英断だったねえ。あたしらが戻らずとも行政への影響は小さい」
何を……しているのだ。二頭揃ってひざまずき、襟をまくり首を露にしてきて。それで私に何をしろというのだ。
「わたくしどもの首級二つにて、輝ける白き軍の慈悲を乞い願います。民の希望であるクロイ様を、つつがなく、民の下へお戻しになられますよう」
どういうことだ。どうして、こうなる。
ああ、サチケル様の御涙を湛えた眼差し。私か。私なのか。私が何かを間違って、かかる事態を招いたのか。サチケル様はあれほど楽しみにされていたのに、先の演奏の時のように、私の浅慮か何かで。
ズズ、と音が鳴った。続いてサクサクとも。
クロイとやらが茶を飲み、菓子を食べている。
私も、二頭も、周囲の兵たちも、何を言うこともできない。そのあっけらかんとした飲食を、ただ、見るよりない。
「どうじゃ、うまいかの?」
「うん」
「そなたの背の気配……神、かのう?」
「うん。今、降りてきた」
「わりゃの茶を、お楽しみになっておられるか?」
「うん。楽しそう」
「そうか……喜ばしいのう」
サチケル様と、クロイとやらとが、語り合っている。その光景が、どこか遠い。
「ワタシとアナタは、いつか」
「使徒の宿命じゃの。されど、今はまだ」
「うん。神は西を向いていると思う」
「うんむ。こちらもじゃ。哀しいこととは思うがのう……」
そうか。クロイとやらは、人間の、使徒なのか。自然と腑に落ちる。この場を覆う圧倒的な気配が、そうさせるものか。
凪いだ心で、ニンゲンの兵の急報を聞く。
北西の山岳より、魔物が大挙して溢れ出たとか。
茶会は散会となった。しばらくして、先の武官が五百騎で出撃していった。土煙を遠望し、それを見送った。サチケル様のお側に侍り、何を言うでもなく、ニンゲンの営みを見ていた。




