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第四話 つかと漫画と剣術と 〈2〉

    2



「おお、待ったぞ、神崎くん!」


 ぼくが美術館のエントランスへ顔を出すと、ひょろっとしたのっぽの男が汗を吸ってじっとりと重くなった厚手の道着姿で周囲にゆらゆらと陽炎(かげろう)をたてていた。暑苦しい上にくさい。


 ぼくは中学の時、選択科目で剣道の授業をとっていたから知っている。小手の皮のにおいだ。皮と汗のコラボで生み出された強烈な悪臭が手に移るのだ。……こりゃ来館者にも迷惑だ。


「ごめんごめん。ちょっとたてこんでて」


 ぼくはここまで車イスを押してくれた淡井(あわい)さんにお礼を云って受付へもどってもらった。


「きみはつねにあんなかわいいコをかしづかせているのか?」


「そんな権限あるわけないだろ。憐憫(れんびん)線上のボランティアだよ。美術館部の女のコたちはみんなやさしいんだ」


 約2名だけだけど。


「とりあえず外へ出よっか。話はおもての木陰できくよ」


「……いや、しかし、北斎の話なのだが」


 北斎? ちょっと気になったが、とにかく一般の来館者に不快な想いをさせてはいけないので、ぼくは車イスを美術館の外へむけた。


 心太(しんた)もいぶかしげなようすでぼくのあとについてきた。いろいろといぶかしいのはぼくの方だ。


 美術館わきの木陰に入ると、セミの声がしゃわしゃわと頭上の緑をゆらしていた。


「で、どうしてぼくをたずねてきたんだ、そんな格好で?」


「うむ。きみも知ってのとおり、ぼくはインターハイで全国5位になったではないか」


「うん」


 そのことは知っている。おととい、たまたま学内で彼と顔を合わせたので、彼のインターハイ5位入賞を祝福し、ぼくの近況をかんたんに説明した。だから彼はぼくが美術館部にいることを知っていたのだ。


「……負けた理由がわからないのだ。おごりや慢心があったわけではない。ぼくの上にたった4人とさほど技量に差があったわけでもない」


「はあ」


 ぼくはマヌケなあいづちを打った。事実を客観的かつ冷静にうけとめるなら、そう云った考え方こそおごりや慢心以外のなにものでもないような気がするのだが。


「そこでぼくは考えた。さほどの差ではなく、よほどの差をつけねばならんと」


「まあ、そうだね」


 ぼくは首肯(しゅこう)した。そのためにはひたすら研鑽(けんさん)をつむしかない。努力と根性、汗と涙のきびしい修行だ。


「これまでとちがう発想。剣道の固定概念をくつがえすようななにかをもとめていたところ『北斎漫画』に剣道が描かれていると知った」


 肉体の鍛錬ではなく、なにか発想の転換をはかろうと云うのか。それはそれでおもしろい試みかもしれないけど、ひょっとしてラクして強くなろうとしてないか?


「ぼくはあれを見て混乱してしまったのだ。気になり出したら練習が手につかなくなってな。美術館部の君たちなら納得のいく説明をしてくれるのではないかと思って道場をとび出してきたのだ」


 それで汗みずくの道着姿なわけか。たまにいるよな、アグレッシブなんだか猪突猛進なお子さまなんだかわからないヤツ。


「なるほどね。そう云うことならぼくだけでなく、ほかの美術館部の人たちにも話をきいてもらった方がよさそうだな。とりあえずシャワー浴びて着替えてこいよ。汗くさいと女のコたち引くぜ」


 心太(しんた)は自分の道着のわきのにおいをかいで顔をしかめた。そこまで強烈だとは思っていなかったらしい。


「これはいかん。うるわしき女のコたちの前にこんな格好で出ていったら、ぼくのイメージダウンではないか」


 すでに約1名から〈くさい人〉と云う不名誉なレッテルを貼られていることを彼はまだ知らない。


「ではいったん失敬してシャワー浴びてくることにしよう。すまないが美術館で待っていてもらえるか?」


「ああ、いいよ」


 どうせ買い出しもあるし。くるりと背をむけて道場へ(きびす)をかえす心太(しんた)がふと足をとめて云った。


「なあ、神崎くん。……北斎って実はイイカゲンな絵描きなんじゃないのか?」



   3



 学園内の購買で買い出しをおえたぼくは美術館へもどってくると、受付の淡井さんと美術館部1年・小早川琴音へ缶ジュースの差し入れをしながら訊ねた。


「佐倉きた?」


「ううん」


 ふたりの返事がシンクロする。


「きたら内線で呼んでもらえる? むかえにくるから」


「うん、わかった」


「あ、でも……」


 ここで小早川さんと淡井さんの反応がわかれた。


「わざわざ車イスでここまでくるの大変じゃないですか? 私がお連れしますけど」


 淡井さんやさしいなあ。泉と淡井さんは美術館部のやさしさツートップだ。


「悪いからいいよ。それに淡井さんがいなくなると小早川さんが困るだろう?」


「そうそう」


 小早川さんが鷹揚(おうよう)にうなづくと大きな胸も一緒にゆれた。夏希さんいわく〈美術館部の最終兵器エロス〉だそうだ(なんじゃそりゃ?)。


 ぼくは小早川さんの胸に一瞬気をとられたことを悟られないよう淡井さんへうなづいた。巨乳好きでなくとも知らず目を奪われてしまうのは男子の哀しい(さが)だ。


「ね? 気をつかってくれてありがとう」


 ぼくが車イスを動かして受付のうしろを通ると、小早川さんが淡井さんになにかささやいた。


「やだ、ちが……そんなんじゃないって!」


 照れたように否定する淡井さんを小早川さんがからかうように笑う。よくわからないけど、女のコってのはいつも楽しそうだな。ぼくはじゃれあうふたりの声を背中にバックヤードへはけた。

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