第四話 つかと漫画と剣術と 〈1〉
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「ごめんなさい、ちょっといいですか? 受付に神崎さんへお客さんがいらしてるんですけど……」
いまだ夏休みである。今日も今日とて『葛飾北斎展』の準備に忙殺されるぼくのところへ、美術館部1年・淡井梓が困った顔でやってきた。
「ぼくに? どんな人?」
ぼくは首をかしげた。夏休みの途中から入部したため、ぼくが美術館部に所属していることを知っている人はあまりいないはずだ。
「すっごく背が高くて、汗まみれの道着姿で」
淡井さんは云いにくそうに小声でつづけた。
「それになんかくさくて……」
はて? 背が高くて汗まみれでくさいヤツに知りあいなんていたかな? くさいヤツの知りあいとかほしくないな。女のコにくさいとか云われたくないな。
「名前は訊いた?」
「あ、ええ。佐倉さんて」
「ああ、心太か」
ぼくの訊き方が悪かったらしい。最初から「どんな人?」ではなく「だれ?」と訊けばよかったのだ。
「お知りあいですか?」
「淡井さん、校内の掲示板を見てないんだ? 佐倉心太。今夏の剣道インターハイで1年生ながら全国5位入賞をはたしたすごいヤツだよ」
彼の名前は心の大きな人になれ、と云う願いがこめられた名前だが、彼の両親は知らなかったらしい。漢字で〈心太〉と書いて〈ところてん〉と読むことを。
ところてんとは、テングサ(海藻)からつくられた透明なゼリー状食品である。専用の道具で賽の目状に細く押し出し、酢醤油などをかけて食す夏の定番だ。
心太は身長が184cmもあるわりに細身なので、口さがない生徒からはそのまんま〈ところてん〉と揶揄されることもある。
心太はぼくとおなじスポーツ特待生でクラスメイトだ。とは云え、それほど親しいわけでもない。
「なんの用だろ? ごめん泉、ちょっと出てきていい?」
ぼくは聾(耳の不自由な人)の来館者へ無料で貸し出す作品解説を簡易製本機で冊子にしているところだった。その作業を一緒におこなっている幼なじみの出雲泉へ声をかけた。
車イスにして美術のシロートにして美術館部に入部して日のあさいぼくの後見人(保護者?)的役割を自然とになっている。
「うん。こっちは大丈夫だから」
「あ、ついでにアイス買ってきて! シャリシャリしたオレンジのやつ!」
ノートPCをひらいてオーストリアの学芸員とインターネットでTV会議していた(しかも流暢なドイツ語だ)部長の高等部2年・都大路みさごがぼくへむかって手を上げた。
「会議中だぞ、みさご。……私にはノンカロリーのレモンサイダーを頼む、神崎司」
おなじくインターネットのTV会議にくわわっていた美術館部2年・黛繭乃がみさごさんをたしなめた。……で、けっきょくあんたも頼むんかい。
「司ちゃん、私は白い練乳のどぴゅっ! とかかったエロスなかき氷がいいな」
とくにやることもないはずなのに学芸員室へ顔を出している美術館部2年・夏目夏希が小さくぺろっと舌を出して云った。擬音がおかしい、擬音が。
「あ、じゃあ私、クラッシュナッツチョコのアイスバー!」
「……バニラアイス」
美術館部1年・上埜海香と高城珠緒も当然の権利とばかりに主張する。
美術館受付にやってきたクラスメイトのところへ顔を出すだけのはずが、あっと云う間にご用聞きにされてしまった。
ぼくは全員の注文をメモると、スポーツバッグの中から財布と光琳水紋のプリントされたエコバッグをとり出した。
「泉はなんにする?」
「私もつきそおうか?」
荷物もちにつきあおうか? と云ってくれている。
「いいよ。心太の話にどれくらい時間かかるかわからないし。で、なにがいい?」
「うーん、それじゃ、ピンクグレープフルーツジュースお願い」
泉のオーダーに夏希さんがハッと顔を上げた。
「やるわね、泉ちゃん。エロスだわ。清純そうな顔をして、男にピンクなジュースでせまるのはエロスだわ」
「なんの話ですかっ!?」
あきれたぼくが思わずツッコミを入れた。もはやエロスと云うより男子中学生の妄想レベルにまで堕落した夏希さんの言葉に(て云うか、意味わかんないし)泉も困惑した笑顔をうかべるしかない。
「それじゃ、ちょっと出てきます」
ぼくが車イスで学芸員室をあとにすると、淡井さんが受付まで車イスを押してくれた。
同じ1年の上埜さんと高城さんには、そのうち泉と淡井さんの爪の垢を煎じて飲ませようと思う。




