第三話 夜とプールとスクール水着と 〈7〉
「どう司ちゃん。ちゃんとみんなのエロい水着姿をしっかり網膜に焼きつけてる?」
夏希さんがプールの縁へとりつくと、体を水につけたまま訊ねた。目を細めているのは小早川さん同様メガネをかけていないせいだ。そんな表情も色っぽいから始末が悪い。
「こんな暗いのに見えるわけないじゃないですか」
たしかに昼間じゃなくて少しざんねんと云う気はあるが、呪いのセクハラ車イスとか変態妄想椅子のように不名誉な称号がふえるのもごめんだ。
「でも夜のほの暗いプールってのも、それなりに風情があっていいやね」
夏希さんがプールの縁を枕にあおむけになった。夜目にもあざやかな赤と緑のハイビスカスプリントにおおわれたふたつの丘陵が水のなかから顔をだす。腰にパレオをまいたビキニである。
「そう云えば、北斎は水のある風景をたくさん描いていますよね? 海とか波とか滝とかですけど」
ぼくは夏希さんがエロスな話題へもどさないよう、思いついたことを口にした。
「江戸は水の都だし」
「波って云えば、レオナルド・ダ・ヴィンチも波や水の流れを熱心にスケッチしていますよね?」
「女性の髪に水の流れをかさねていたようね」
「レオナルド・ダ・ヴィンチに北斎の絵を見せてやりたかったな」
音もなく近づいてきた黛さんが足で夏希さんの頭をプールへ押しやりながら云った。
「な、きゃっ!」
プールにずり落ちた夏希さんがかわいい悲鳴をあげた。バシャバシャとプールのなかでもがく。
「ちょっと、なにすんのよマユノ!」
黛さんは刹那の微々笑をうかべると夏希さんの言葉を無視してつづけた。
「ダ・ヴィンチは人体の構造を解剖学的に調べることで人の体の動きを研究したが、北斎は動きそのものを膨大に描くことで人の体の動きをとらえようとした。このあたりも洋の東西の感性のちがいかもしれないな」
黛さんも泉のとなりへ腰かけて足だけプールのなかに入れた。
北斎が人体解剖したと云う記録はないが、整体師へ弟子入りして人体のしくみを学んだなんて逸話ものこされている。
「北斎にもダ・ヴィンチの波のスケッチを見せてあげたかったですね」
泉の言葉に黛さんがうなづいた。
「ああ。どんな顔をしたかな?」
レオナルド・ダ・ヴィンチ(嘉吉11~永正16[1452~1519]年)はルネサンス期すなわち室町時代の人なので北斎の作品を見ることは不可能だが、その逆は(きわめて非現実的だが)可能だったかもしれない?
「数百年数千年前に描かれた作品でも、画家がどのように世界をとらえていたのか、どんな想いで線を描き、色をのせたか感じとることができる」
「わかります」
泉がしみじみと答えた。
「そんな時、私はまちがいなく作品を通していにしえの画家たちと会話し、心を通わせているのだと思う。北斎がダ・ヴィンチの作品を見ていたら、私よりはるかに深いレベルで会話したのだろうな」
絵画にかぎらず作品を通して過去の人々と心をつなぐことができるのも芸術の醍醐味かもしれない。
あんまりあたりまえすぎて看過しているが、たとえば江戸時代のスズメや猫が今のスズメや猫とかわらないことは、絵画がのこっているからわかる。
ぼくはすでに大正時代のご先祖さまの名前も知らないけど、たとえば『枕草子』を読めば、もっとむかしの平安時代に生きた(縁もゆかりもない)女の人がなにを想いながら生きていたのかすらうかがえる。
そう云えば、清少納言は書いていた。
「夏は夜。月のころはさらなり」
夜空を見上げると少し欠けた月が煌々とかがやいていた。千年前の人も今も夜空にうかぶ月を見て美しいと感じるふしぎ。その想いに共感できるふしぎ。
今まで考えたこともなかったけど、なんか時をこえてつながりあう芸術ってすごいな。
黛さんの言葉にそんなことを考えていたら、
「マユマユどーん!」
いつの間にかプールから上がっていたみさごさんが黛さんをプールへつき落とした。
「な、みさごっ!?」
水面から顔を上げ、ふりかえった黛さんが怒ると、
「みさご、ナイス!」
妖怪エロガッパもとい夏希さんが黛さんの背後から抱きついた。
「さっきのしかえしよ。司ちゃんの前でもみしだかれる羞恥プレイでエロスに開眼しなさい!」
「やめんか、夏希!」
暗いのでもちろんぼくのところからはくんずほぐれつするふたりのシルエット(と云っても頭だけ)しか見えないが、夏希さんが水中で黛さんの胸をもんでいるらしい。まったくなにやってんだか?
本気でふりほどこうとする黛さんに夏希さんもむきになり、バシャバシャとはげしく水しぶきが踊る。
「あぶないですよ夏希さん! ヘンな悪ふざけはやめてください!」
ぼくは夏希さんへむかってさけんだ。まっ暗な水中で上下感覚をうしないパニックを起こしたらおぼれる危険性だってある。
黛さんがなんとか夏希さんをふりほどくとこちらへもどってきた。水から上がるとおだんごにまとめていた髪がほぐれていた。
黛さんはヤレヤレとぬばたまの黒髪をかき上げると、怜悧な瞳で音もなくみさごさんをさしつらぬいた。丹花のくちびるからさりげなくドスのきいたささやきがもれる。
「……みさご」
「あのね、マッキーに頼まれただけなんだよ。まさかあんなことするなんて思ってなかったんだよ」
みさごさんが両こぶしをあごの下へあて、小動物みたいに体をふるふるさせながら必死に云いわけした。
「問答無用」
黛さんが合気道の達人みたいになめらかな動きでみさごさんをプールへつきとばした。
「ちょっ、ごめんってマユマユ! みさご泳げな……」
プールに落ちたみさごさんがマンガみたいに手をバタバタさせていた。あれは本気のおぼれかけだ。
「泉、うきわうきわ!」
ぼくの言葉に泉もあわててプールサイドに転がっていたうきわをみさごさんへ投げると自分もとびこんだ。まったく〈アルテ・バッジ〉のじゃれあいは命がけか?
「ふいー、まいったまいった。マユノってばホンット冗談通じないんだから」
夏希さんがプールサイドへ手をかけて体をひき上げた拍子に、首のうしろで結わえられていたビキニの肩ひもがするりとほどけた。おそらくはさっきのくんずほぐれつでゆるんでいたのだろう。
ぼくの目の前で夏希さんのビキニがはらりと落ちて胸の下にたれる。水にぬれたゆたかなふたつのふくらみとあわいピンクの小さな突起が月あかりにぷるんとゆれた。
「きゃっ!」
夏希さんがあわててプールへ体をしずめた。水の中でぼくに背をむけると恥ずかしそうにささやいた。
「……もう、司ちゃんのエッチ」
ヘンな雰囲気つくらないでください。ぼくはなにもしてないじゃないですか。
「暗かったんでなにも見てませんって」
ぼくが顔をそらしてそら言を云うと、
「安心しろ、神崎司。今のはセクハラ車イスの呪いではなく、夏希の自業自得だ」
となりにたつ黛さんがフォローしてくれた。……でも、そんな呪いはありません。
ぐったりとうきわにつかまるみさごさんを泉がえい航してきた。水のなかでビキニの肩ひもを首のうしろで結わえなおす夏希さんに気づいた泉が訊ねた。
「どうされたんですか?」
「ホント司ちゃんって大胆ね。ビキニの肩ひもはずされちゃった」
甘えた声でそう云うと、闇のなかで婉然とほほ笑んだ。
「つ、司ちゃん!?」
プールのなかから語気荒くつめよる泉の剣幕にあわてて首をふる。
「するわけないだろ。ねえ、黛さん?」
先ほどフォローしてくれた黛さんへ水をむけると、
「さあ? 私はみさごを見守っていたのでなにも気づかなかったが」
みさごさんをプールへつき落とした張本人がクスリとも笑わず真顔でとぼけた。だから、そう云う冗談やめてください。泉が本気にするから。
みさごさんと泉がプールサイドへ上がった。その場へ座りこむみさごさんと対照的に泉がぼくのもとへつかつかと歩みよる。
「司ちゃん!?」
「断じてしてないっ! ……て云うか泉。あそこの小さなバケツに少し水くんできてくれないか? さっきコンビニで花火買ってきたんだ。花火しよう」
プールサイドの角にある清掃用の水洗い場に転がるバケツを指さして云った。
「花火っ!? はいはいっ! みさご花火やりたいっ!」
ぼくたちの会話を小耳にはさんだみさごさんが挙手した。
「ね? みさごさんもそう云ってるし。たのむよ泉」
「もう。調子いいんだから」
泉は肩をすくめるとバケツに水をくみにいった。ぼくは車イスのわきにはさんでおいたエコバッグから花火のセットと着火具をとりだした。
「黛さんもいかがですか?」
「そうだな」
ぼくはプールから壁面まで下がると花火の袋をあけた。
「みんな花火やるんだよ! ちょっと上がっておいで!」
みさごさんがプールで思い思いに涼んでいた部員たちに声をかけた。泉が火消し用のバケツをもってもどってくると、みんなもプールから上がってタオルで手をふいた。
「あ、スイカも食べちゃおっか?」
「それじゃ私切ります」
みさごさんの声に上埜さんが答えた。みんなそれぞれてきとうに花火をもつと、次々に点火した。暗いプールサイドの一画がほのかに光り、女のコたちの歓声があがる。
「きれーい!」
小早川さんが手をたたいて喜んだ。白い煙のなかに赤や黄色の火花がはぜて女のコたちの楽しげな笑顔がうかびあがる。
「ほら、神崎さん見てみて!」
淡井さんも花火をくるくるとまわしてはしゃぐ。
「こら夏希、花火をこっちへむけるな」
「花火で照らしだされた水着もなかなかのエロスね」
「みさごなんか両手でもってぐるぐるーっ!」
「……ヘ、ヘビ花火もこもこ」
「司ちゃん。楽しいね」
「ほーい、みんなスイカ切れたよー。てきとうに切ったからはやいもの順ねー」
花火の燃えさしをバケツに入れながら、女のコたちがめいめいスイカをとりにいく。
「ほい、神崎くん」
わざわざ上埜さんがぼくの分のスイカをもってきてくれた。
「ありがとう。これ上埜さんの分の花火」
「あ、とっといてくれたんだ? ありがと」
「まだ少しのこってるから。あとこれ」
ぼくはふき上げ式の花火を3つ上埜さんにわたした。
「おー、照明がわりにいいかも」
なんとなく車座になってスイカに舌鼓を打つみんなのまんなかに、ふき上げ式の花火をセットした上埜さんが火をつけた。
シュシュシュシュシュゴー! とはげしい音をたてて金色の火柱がふきだした。
「上埜さん、すごいです!」
泉が感嘆した。
「なんか今年はじめて夏らしいことしてる感じ」
小早川さんの言葉にみんな笑ってうなづきあう。
「ね、マユマユ、みんなでプール正解だったでしょ?」
「……そうだな。たまになら悪くないかもしれん」
みさごさんの言葉に譲歩するかたちで黛さんが肯定すると、
「そ? 私、毎日でもいいけど」
夏希さんが笑いながら云った。その言葉にみんなも笑った。
5
とどのつまり、美術館部による「夜間プール不法占拠事件」は理事長へ露見した。
みさごさんは理事長である祖父から大目玉を喰らい、美術館部員は休館日にプール清掃のペナルティをうけた。一刻の快楽の代償は思いのほか大きかった。
車イスのぼくがプールで遊べないことは自明なので共犯者とは悟られず、ぼくだけはプール清掃のペナルティをまぬがれた。
しかし、炎天下のなか何時間も汗まみれになってプール清掃をおこなった美術館部員たちからは「裏切者」の烙印を押され、その日はだれにも口をきいてもらえなかった。
……これだから女の園はコワイ。
【第三話 おわり】




