第二話 春朗(しゅんろう)と北斎と卍(まんじ)と 〈13〉
「第七問。光格上皇の所蔵品だったとされる北斎肉筆画のタイトルはなに?」
いやいや。光格上皇ってだれ? なんか一生懸命勉強してきたつもりなのに、ちっとも答えられない自分が情けない。
「……目かくしの、夏は浜辺で、エイと割り」
泉が即興でヘンな句を詠んだ。
「ちょっと泉ちゃん、ヒント禁止って云ったじゃん!」
みさごさんがムキになって泉をとがめた。泉はいたずらっぽくほほ笑んでみさごさんの言葉をうけ流す。
「『西瓜図』!」
「もう! 正解だけどブーッ! ヒントもらったからダメ!」
ま、たしかにダメだよな。ぼくは肩をすくめて無言でみさごさんに同意した。
『西瓜図』(天保10[1839]年)は一見地味な作品だ。半分に切られたスイカの上に半紙がかぶせられ包丁がのっている。
その上には漬けものにでもするつもりだろうか、うすくむかれた赤と白のスイカの皮がひもにひっかけられていて、装飾的な美しさを見せる。とは云え、しょせんスイカだ。
「今橋理子さんって人が、この作品は乞巧奠の飾りつけになぞらえたものだって説を発表して話題になったんだよ」
「キコウデン?」
なんじゃそりゃそりゃ?
「ようするに、七夕のお祭り」
首をかしげたぼくに泉がこたえた。
むかしの七夕祭は竹を飾りつけ、願いごとを書いた短冊をぶら下げておわり、ではなかったらしい。
女のコたちが手芸の上達を願うお祭りだったそうだ。
夜空の星を映すために水でみたされた角だらいがスイカ。
水に映る星影が半紙にすけるスイカのタネ。
七夕祭にそなえる歌を書くためにつかった梶の葉が包丁。
しめ縄にかけた紅白の糸が、ぶら下げられた赤と白のスイカの皮だと云う。
「おもしろいのは包丁の刃にきられた銘が「応需」って書いてあったんだよ」
応需。依頼されて描いたと云う意味である。
「ただ、光格上皇の依頼品ではないと思うな」
「どうしてですか?」
「千疋屋でもないのに、スイカの絵なんて頼むわけないじゃん」
よっぽどスイカ好きな人でも、わざわざ北斎にスイカの絵を頼むとは思えない。
「依頼主は別にいて、乞巧奠をモチーフに描いてくれって頼んだはずなんだよ。女のコのお祭りなんだから美人画を期待するのは当然でしょ?」
「そうですね」
泉が首肯した。実際にそう云った美人画もあるらしい。
『十二ヶ月風俗図』のうちのひとつではなく、乞巧奠にこだわったと云うことは、女のコ(たとえば娘とか)へのプレゼントだったのだろうと、みさごさんは推察する。
「依頼主が「美人画で」って云いそびれたのか、北斎がふつうに描いてもつまらないと思ったのかわかんないけど、ひらめいちゃったんだろうね」
「光格上皇が乞巧奠をモチーフに依頼した可能性はありませんか?」
泉の疑問にみさごさんが笑った。
「いくら高名だった北斎でも、一介の町絵師が天皇家相手にかませるギャグじゃないんだよ。依頼主のセンスをよほど信頼しているか、バカにしているかのどちらかじゃなければ描けないって」
天皇家から鳥の絵を依頼されて、焼き鳥や唐揚げの絵を献上するようなものだ。おそらく現代でも粋ではなく不敬とみなされるだろう。
「北斎に乞巧奠の美人画を依頼したつもりがスイカ絵になったって云う話をききつけた天皇家の人が、作品のできばえに感嘆してゆずりうけた、みたいな感じだと思うな」
「判じ絵みたいなアイディアも、さすがは浮世絵師って感じです。土佐派とか狩野派にはない遊び心ですよね?」
「うん。しかもアイディアだけでおわってない。質感の描きわけがすごいんだよ」
包丁の鉄や木、たたくとペコポコ音のしそうなスイカ。つるされた皮のうすさやみずみずしさ。
そしてなによりスイカの断面にかけられた薄い和紙がスイカの水分でしめって透けるようすをみごとに描いている。
さりげない描写だが、実際にお手本なしで描こうとすると、かなりむずかしいらしい。
「日本画って質感描写に向いてないから、近代洋画の開拓者って云われる高橋由一(文政11~明治27[1828~94]年)は、油彩画での質感描写にこだわったんだよ」
北斎は最晩年の嘉永元[1848]年に『画本彩色通』と云う絵画の技法書を出版している。
そこで油絵具の調合法やガラス絵の技法まで解説していた北斎が、日本画と油彩画の長短を意識していなかったはずがない。
高橋由一が油彩画でやろうとしたことを、北斎は日本画ですでに試みていたと云うことだ。
「高橋由一が北斎の『西瓜図』と同じモチーフを見ながら油彩で描こうとしても、あのスケスケ感を出すことはできなかったと思うんだよ」
「由一は静物や風景は上手でしたけど、人物はそうでもありませんよね。『花魁図』のモデルになった女性は完成作を見て「ひどいっ!」って泣いたって云いますもの」
泉が笑いながら云った。それはモデルも絵描きも傷ついただろうな。
「絵描きにもふたつのタイプがあってさ。死ぬまで向上心をもっている絵描きと、オレはこれだけ描いていればいいんだって、どっかで自己完結しちゃう絵描きがいるんだよ」
みさごさんに云わせると、前者が北斎やモネで、後者がルノワールやシャガールだそうだ。