第二話 春朗(しゅんろう)と北斎と卍(まんじ)と 〈12〉
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「天保5[1834]年から最晩年の〈画狂老人卍期〉ですね」
「北斎の75~79歳(天保5~9[1834~38]年)までを〈画狂老人卍・前期〉80歳以降を〈画狂老人卍・後期〉って分けてとらえた方がわかりやすいと思うんだよ」
みさごさんが脅威のスピードでキャプションを仕分けながら顔も上げずに云った。
みさごさんの云う〈画狂老人卍・前期〉には、絵本『富嶽百景』シリーズ(全3冊)とか、日本や中国の英傑や神仏の姿を描いた『和漢 絵本魁』『絵本武蔵鐙』(ともに天保7[1836]年)など武者絵本の傑作がある。
北斎の武者絵本はぼくみたいなシロートから見てもかっこいい。むしろマンガ好きの人の方がとっつきやすいと思う。
今回の勉強をとおして、北斎は「富士山を描いた浮世絵師」と云うよりも「武者絵のかっこいい浮世絵師」みたいなイメージになった。
「北斎の武者絵がなかったら、歌川国芳(寛政9~文久元[1797~1861]年)とか月岡芳年(天保10~明治25[1839~92]年)の勇壮な武者絵もあらわれなかったかもしれませんね」
「津軽凧の武者絵も北斎風だし。ただ、美人画とか名所絵にくらべると、武者絵の評価って最近まで低かったんだよ。武者絵の荒々しさが下品に映ったんだろうね。静の美の方が高尚な感じするじゃん」
そのため、昭和初期まで美術蒐集家の間で「北斎愛好家」はB級マニア、すなわち俗物あつかいされていたらしい。
わかりやすいくらい人気があったことへの反感や偏見があったのだろう。
東洲斎写楽ともども海外で高く評価されたことから、日本でも再評価されるようになったそうだ。
しかし、マンガが世界的にも優れた芸術として評価される現在、武者絵にたいするかつてのような偏見は影をひそめている。
「江戸時代以降、日本はサブカルチャーが強いんだよ。浮世絵がヨーロッパで脚光をあびたきっかけって知ってる? 輸出用陶器の梱包紙として海をわたったのが最初なんだよ」
「そうだったんですか」
古新聞あつかいだったなんて。
「それが印象派やゴッホに影響をあたえて西洋の芸術観をかえてしまったんだからすごいですよね」
泉がおっとりとした口調で云った。
「ポップでキッチュなサブカルチャーの申し子・浮世絵師さま万々歳て感じなんだよ。400年後の美術の教科書に、今ナントカ会でヘタな油絵描いている人の名前なんてひとつもないかもしれないよ。むしろアニメの背景画とか描いている人たちの方が有名になってたりして」
「……ありそうでちょっとこわいかも」
みさごさんの大胆な未来予想図に泉が困ったような笑みをうかべた。たしかにアニメ映画の背景のクオリティってすごいけど。
「……で、話を最後の〈画狂老人卍・後期〉(天保10~嘉永2[1839~49]年)へもどすと、北斎って80歳ではじめて火事にあうんだよ」
「火事とケンカは江戸の華」なんて云われるくらい火事の多かった江戸で、北斎は一度も火事にあわなかったことを自慢していたそうだが、この火事でそれまで蒐集してきた絵の資料をすべてうしなってしまう。
「引越魔で衣食住には無頓着だった北斎でも、火事はそれなりにショックだったでしょうね」
「80歳になってはじめて経験したいことじゃないよなあ」
みさごの言葉にぼくもうなづく。
「火事で人生観がかわったってこともないんだろうけどさ、最後の10年はほとんど肉筆画に専心するんだよね」
北斎のなにがすごいって、死ぬまで画技の衰えが見えないことだ。
現代のマンガ家でも長年描きつづけていくうちにデッサンが狂ってきたり、線がふるえて弱くなったりしていくものなのに、北斎の線は生彩をうしなわない。




