⑤
その悪夢のような日々から、六年が過ぎた。
ウェルは、あの出来事の後まもなくジョセフによって解雇された。
理由は知らされなかったが、考えるまでもなかった。
私はサラと、わずかなメイドたちと共に、離れで暮らし続けた。
サラはあれから半年ほどかけて、ようやく部屋の外へ出られるようになった。
けれど完全に回復したわけではなかった。
夜になると、今でも錯乱し、叫び声を上げることがある。
そして——
私に対する執着は、異常なほど強くなっていった。
決して離れから出さない。
一歩外へ踏み出そうとするだけで、激しく取り乱す。
過干渉と呼ぶには、あまりにも重い束縛。
時折、心が擦り切れそうになることがあった。
この家から——
母から——
逃げ出したい、と。
そんな私を救ってくれたのは、一人の存在だった。
「ルーナ、会えて嬉しいよ。」
やわらかな笑みとともに現れる、婚約者——ソラ。
侯爵家の嫡男である彼は、私より十も年上だった。
学業や家の仕事で忙しいはずなのに、それでも時間を作り、週に一度は必ず会いに来てくれる。
ソラは優しかった。
どんな愚痴も、どんな小さな不満も、最後まで静かに聞いてくれる。
幼すぎる婚約者を、面倒だと思うこともなく、大切に扱ってくれる人だった。
彼の存在だけが——
私にとっての、唯一の希望だった。
結婚できるその日が、ただただ待ち遠しかった。
七歳になった頃。
私はソラに連れられ、社交パーティーへ出ることを許された。
もちろん、それは兄の許可のもとで。
貴族同士の腹の探り合い。
笑顔の裏に隠された思惑。
パーティーそのものは、決して楽しいものではなかった。
けれど——
馬車に揺られ、屋敷の外へ出る時間だけは。
私にとって、唯一の救いだった。
しかし。
私が外へ出るようになってから、サラの様子は明らかに悪化していった。
再び部屋に閉じこもる日が増え、
顔を見ることすら難しくなっていく。
嫌な予感は、ずっと胸の奥にあった。
そして——
夏の終わり。
再び、悪夢は訪れた。
社交会からの帰り。
屋敷へと戻った私の目に飛び込んできたのは——
炎だった。
離れが、燃えていた。
夜空を赤く染めるほどの火の手。
爆ぜる音と、焼ける匂い。
「お母様……お母様は?」
私は我を失い、炎の中へ駆け出そうとした。
その身体を、後ろから強く抱き止められるーソラだった。
「だめだ、ルーナ!」
必死な声。
振りほどこうとしても、びくともしない腕。
鼻を刺す、肉の焼けるような匂い。
視界が揺れ、意識が遠のきそうになる。
その時。
近くで、声がした。
聞き覚えのあるメイドの声。
「死ぬかと思いました……奥様が、離れに火を付けたんです。」
——やはり。
心のどこかで、分かっていた。
それでも。
現実として突きつけられた瞬間、世界が暗転する。
「ルーナ、ルーナ!」
呼びかける声が遠い。
呼吸が乱れる。
立っていられない。
私はその場に崩れ落ち、意識を手放した。
目を覚ましたのは、数日後だった。
見慣れない天井——いや、本邸の部屋。
ひとりだったーソラの姿はない。
静けさだけが、重くのしかかる。
医者の診察が終わり、入れ替わるように現れたのは——ジョセフだった。
「ふっ。命拾いしたな。」
間近で見るのは、これが初めてだった。
整った顔立ち。
だがそこにあるのは、人の温度ではない。
「サラは死んだよ。お前が巻き添えにならなくて、本当に良かった。」
一拍置いて——
「お前は、私の大事な道具なんだから。」
軽く笑う。
あまりにも、不謹慎で。
あまりにも、自然に。
胸の奥が、冷え切っていく。
私は唇を噛み、拳を強く握りしめながら、ジョセフを睨みつけた。
だが彼は気にも留めない。
そして、最後に——
信じられない言葉を残した。
「お前の母親は、二度も私の子を殺した罪深い女だ。」
扉に手をかけながら、振り返る。
「そんな女から生まれたお前が、幸せになれると思うなよ?」




