⑤
楽しい時間は、あまりにもあっさりと終わりへ向かっていく。
熱気に満ちていた闘技場は、いつの間にか“最後の舞台”だけを残していた。
トーナメントを勝ち抜いた二人。
その名が告げられた瞬間、観客席が一段とざわめく。
「決勝戦、キース殿下──対、ロイ!」
一瞬、空気が止まった。
そして次の瞬間、爆発するような歓声。
「きゃーーー!!王子様VS王子様の婚約者の護衛騎士!?」
「なにそれ、最高すぎるんだけど!!」
「前代未聞の組み合わせ!!」
興奮の波が、会場全体を揺らしていく。
私は思わず身を乗り出した。
(え……ロイと、キース様……!?)
味方、という概念が一瞬迷子になる。
けれどそんな迷いすら置き去りにしてしまうほど、二人がそこに立った瞬間──空気が変わった。
ロイは静かだった。
無駄のない呼吸、研ぎ澄まされた姿勢。
対するキースは、いつも通りのようでいて、どこか“余裕が削ぎ落とされている”。
開始の合図が鳴る。
金属音が一閃、空気を裂いた。
ロイの剣は正確だった。
最短距離で急所だけを狙う、冷静で美しい軌道。
キースはそれを受け止めるたびに、わずかに体勢を変えながら距離を詰めていく。
一歩。
また一歩。
まるで逃げ道を消していくみたいに。
「……っ、速い」
思わず息が漏れる。
ロイが踏み込む。
剣が風を切り、次の瞬間にはキースの頬すれすれを通り過ぎた。
観客席が息を呑む。
けれどキースは動じない。
そのまま、わずかに身体をひねり──次の瞬間。
視界が追いつかない速さで、ロイの剣が弾かれた。
「……っ!」
ロイの体勢が一瞬崩れる。
その“ほんの隙間”を、キースは見逃さなかった。
踏み込みは一撃。
重く、正確で、容赦がない。
金属音が響いたあと、ロイの剣が地面へ落ちる。
静寂。
そして──
「勝者、キース殿下!!」
一拍遅れて、爆発するような歓声。
「きゃーーー!!キース様!!!」
「やっぱり王子様最強すぎる!!」
「ロイ様もめちゃくちゃかっこよかった!!」
私は気づいたときには立ち上がっていた。
「キース様、最高!!!」
「ロイもすごかったです!!」
隣のエレンと勢いよく手を取り合い、そのまま勢いで抱き合う。
「やばいですわこれ!尊いの極みですわ!!」
「分かります!!今の試合すごすぎました!!」
興奮の余韻がまだ身体の中で弾けている。
そのときだった。
視線をふと感じて、顔を上げる。
キースがこちらを見ていた。
勝者の顔のまま。
なのに、妙に真っ直ぐで。
まるで最初から“そこにいる誰か”を探していたみたいに。
(……あれ?)
胸の奥が、ほんの少しだけ跳ねる。
その瞬間、私は思い出してしまった。
──約束。
「優勝したら、キスして」
「……っ」
一気に現実に引き戻される。
その後の閉会式は、ほとんど記憶に残っていなかった。
祝福の言葉も拍手も、どこか遠くの世界の音みたいで、ただ上滑りしていく。
気づけば自室に戻っていて、扉を閉めた瞬間、私はそのままベッドに崩れ込んだ。
「どうしよう、どうしよう……!」
枕に顔を押しつけながら、同じ言葉が何度も漏れる。
心臓がうるさいくらいに跳ねている。
前世でも今世でも──こういう“特別なこと”なんて、したことがない。
(いや、でも約束だし……でも……)
考えれば考えるほど、顔が熱くなっていく。
そのときだった。
ノックもなく、扉が静かに開いた。
「ルーナ、ただいま」
「お、おめでとうございます、キース様」
反射で出た声がやけに硬い。
顔を上げられないまま、ソファの方へ視線だけを向ける。
キースは何も言わず、当然のように隣へ座ると距離を詰めてきた。
腰に回る手は、いつも通りなのに。
それだけで呼吸が浅くなる。
「どうだった?」
「……とても、かっこよかったです」
それは本心だった。
ずっと、目が離せなかったくらいに。
「それはよか──」
言葉が途中で途切れた。
右頬に、そっと触れるだけのキスをした。
本当に、一瞬。
キースが右頬を押さえた。
「ルーナ……?」
私が小さく息を吸って、静かに告げる。
「約束ですから」
それだけなのに、部屋の空気が止まったみたいに静かになる。
そっと顔を上げると、キースは耳まで真っ赤になって固まっていた。
「……っ」
声にならないまま、視線だけが泳いでいる。
「……執務室に戻る。仕事、忘れてた」
早口でそれだけ言うと、逃げるみたいに立ち上がり、去って行った。
扉が閉まる音だけが、やけに響く。
部屋に残された私は、ぽつりと呟いた。
「……女慣れしてるんじゃなかったんですか」
返事はない。
でも胸の奥だけが、やけに騒がしかった。
その夜ー、日付が変わる頃。
眠れずに天井を見つめていると、扉が静かに開いた。
足音はほとんどしないのに、気配だけで分かる。
次の瞬間、背中からそっと腕が回される。
逃げ道のない距離で、抱きしめられた。
「ルーナ」
耳元に落ちる声は、さっきよりずっと近い。
熱を含んでいて、落ち着いているのに落ち着かない。
「ご褒美、ありがとう」
たったそれだけーけれどそのまま、離れる気配はなかった。
背中越しに伝わる体温が、ゆっくりと夜に溶けていく。
私は結局、そのまま朝を迎えるまで一睡もできなかった。




