④
そして――王宮武術大会の当日がやってきた。
朝、薄い光がカーテンの隙間から静かに差し込んでくる。
私はゆっくりと目を開けた。
もう最近では、それが当たり前になっていた。
隣に、キースがいる朝。
目覚めたとき、誰かの気配があること。
部屋の空気が、冷たくないこと。
昔の私なら、きっと落ち着かなかったはずなのに。
今はもう、その温度が自然に胸へ馴染んでしまっている。
ベッド脇に腰掛けていたキースが、こちらへ振り返る。
朝の光を受けた白い髪が淡く透けて見えて、一瞬だけ目を奪われた。
「おはよう、ルーナ」
穏やかな声。
その声音ひとつで、不思議と肩の力が抜ける。
「……おはようございます」
まだ少し眠気の残る声で返すと、キースは小さく笑った。
そして当然のような動作で、傍らに置いていた箱を私へ差し出す。
「今日、これ着て」
私は受け取った箱をそっと開く。
中に入っていたのは、淡いアイスブルーのドレスだった。
朝露を溶かし込んだみたいに柔らかな色。
光の加減で、ほんのり銀にも見える繊細な生地。
息が、ほんの少し止まった。
「……綺麗」
思わず、声が零れる。
その瞬間だけは、言葉を選ぶことも忘れていた。
キースはそんな私を見つめながら、静かに微笑む。
「うん。ルーナに似合うと思った」
何気ない言い方だった。
けれど、その“選び方”が妙に胸へ残る。
色も。
質感も。
飾りすぎない上品さも。
まるで最初から、“この色を纏う私”を知っていたみたいで。
不意に、自分の胸元へ視線を落とす。
淡い青。
それはどこか、今日のキースが羽織っている正装の色にも似ていた。
「……なんだか、キース様とお揃いのようですね」
少し照れ隠しのように笑いながら言う。
するとキースは、一瞬だけ目を細めた。
その表情があまりにも自然で。
まるで、隠すつもりもなかったみたいに。
「そうだよ」
静かな肯定。
そのあと、ほんの少しだけ声を落として続ける。
「私だけの応援、よろしく」
胸の奥が、妙に騒いだー冗談みたいな言葉なのに。
キースが言うと、どうしてこんなに真っ直ぐ響くのだろう。
私は小さく笑って誤魔化すように返す。
「ふふ。キース様の活躍、楽しみにしてます」
するとキースの手が伸びてきて、くしゃりと髪を乱された。
子供をあやすみたいな仕草。
けれど、その手つきは驚くほど優しい。
触れられた場所から熱が広がっていくみたいで、ほんの少しだけ呼吸が浅くなる。
「じゃ、行ってくる」
キースは立ち上がり、そのまま扉へ向かう。
長身の背中が遠ざかっていく。
私は何となく、その姿を目で追っていた。
扉へ手をかけたところで、キースがふと振り返る。
ほんの一瞬だけ視線が合った。
朝の光の中で見えた横顔は、いつもより少しだけ遠く感じた。
穏やかなのに。
優しいのに。
その奥に、静かな熱が隠れている気がした。
――この人、本気だ。
理由は分からない。
けれど、そう思った。
今日の試合に。
勝利に。
それ以上の何かに。
まだ私は、その“本気”がどこへ向かっているのか知らないまま。
キースの背中を追うようにして、王宮武術大会の会場へ向かうことになる。
そしてとうとう、王城の闘技場にて王宮武術大会が幕を開けた。
石造りの巨大な円形闘技場は、観客たちの熱気で揺れているようだった。
歓声。
拍手。
武器がぶつかる鋭い音。
そのすべてが渦のように混ざり合い、王都全体が高揚しているのが分かる。
私は貴族席の最前列に案内され、エレンと並んで試合を観覧していた。
「きゃー!キース様、素敵!本物の王子様ですわ!」
エレンが身を乗り出すように声を上げる。
「また勝ちましたね。あの動き、本当に綺麗……」
その視線の先では、キースが静かに剣を収めていた。
無駄のない動き。
汗ひとつ乱さない呼吸。
余裕すら感じさせる立ち姿なのに、不思議と目を離せない。
エレンとは、あの誕生会以来、自然と言葉を交わすようになっていた。
最初に感じていた棘は、もうほとんど残っていない。
今ではこうして隣で試合を見ながら笑い合える程度には、距離が縮まっていた。
「このままキース様、優勝してしまいそうですわね」
「……すごい勢いですよね。でもロイも負けてません」
視線を移す。
ロイは静かに剣を構え、相手の動きを正確に捌いていた。
派手さはない。
けれど隙もない。
無駄を削ぎ落としたような剣筋だった。
「さすが前回優勝者です」
「本当にすごいですわ……。婚約者がキース様で、護衛がロイだなんて」
エレンが大げさに肩を落とす。
「ルーナ様、前世でどれだけ善行を積めばそんな人生になりますの?」
「それは……」
思わず言葉に詰まり、私は小さく苦笑した。
(むしろ、国を滅ぼして処刑された側なんだけど……)
そんな言葉はもちろん飲み込む。
そして、何気なく口にする。
「エレン様って、キース様のこと大好きですよね」
エレンは一瞬目を丸くして、それから小さく笑った。
「これでも初恋でしたのよ?」
「やっぱり……」
「でも今は、もう違いますわ」
そう言って、闘技場へ視線を向ける。
次の試合へ向かうキースの背中を見つめながら、エレンは穏やかに微笑んだ。
「好きだった人が幸せなら、それで十分ですもの」
「へぇ。ずいぶん大人になったじゃん」
突然、後ろから声が落ちてくる。
振り返ると、いつの間に来たのか、リュートが椅子にもたれかかっていた。
「リュート、聞いていましたの!?」
「聞こえた」
「最低!」
「いや、急に恋愛小説みたいな空気になってたから」
エレンがむっと頬を膨らませる。
「ロマンを理解しない人ですわね」
「お前が最近読んでる小説の影響だろ」
「違います!」
呆れたように笑いながらも、リュートの声音はどこか柔らかかった。
二人のやり取りを見ていると、自然と頬が緩む。
闘技場の熱気。
響き続ける歓声。
その中に混ざる、小さな笑い声。
そして視線の先では、キースが変わらず剣を振るっている。
なのに不思議と――その背中が、少しだけ近く感じた。




