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21/55

④

そして――王宮武術大会の当日がやってきた。


朝、薄い光がカーテンの隙間から静かに差し込んでくる。


私はゆっくりと目を開けた。


もう最近では、それが当たり前になっていた。


隣に、キースがいる朝。


目覚めたとき、誰かの気配があること。

部屋の空気が、冷たくないこと。


昔の私なら、きっと落ち着かなかったはずなのに。


今はもう、その温度が自然に胸へ馴染んでしまっている。


ベッド脇に腰掛けていたキースが、こちらへ振り返る。


朝の光を受けた白い髪が淡く透けて見えて、一瞬だけ目を奪われた。



「おはよう、ルーナ」


穏やかな声。


その声音ひとつで、不思議と肩の力が抜ける。


「……おはようございます」


まだ少し眠気の残る声で返すと、キースは小さく笑った。


そして当然のような動作で、傍らに置いていた箱を私へ差し出す。


「今日、これ着て」


私は受け取った箱をそっと開く。


中に入っていたのは、淡いアイスブルーのドレスだった。


朝露を溶かし込んだみたいに柔らかな色。


光の加減で、ほんのり銀にも見える繊細な生地。


息が、ほんの少し止まった。


「……綺麗」


思わず、声が零れる。


その瞬間だけは、言葉を選ぶことも忘れていた。


キースはそんな私を見つめながら、静かに微笑む。


「うん。ルーナに似合うと思った」


何気ない言い方だった。


けれど、その“選び方”が妙に胸へ残る。


色も。

質感も。

飾りすぎない上品さも。


まるで最初から、“この色を纏う私”を知っていたみたいで。


不意に、自分の胸元へ視線を落とす。


淡い青。


それはどこか、今日のキースが羽織っている正装の色にも似ていた。


「……なんだか、キース様とお揃いのようですね」


少し照れ隠しのように笑いながら言う。


するとキースは、一瞬だけ目を細めた。


その表情があまりにも自然で。


まるで、隠すつもりもなかったみたいに。


「そうだよ」


静かな肯定。


そのあと、ほんの少しだけ声を落として続ける。


「私だけの応援、よろしく」


胸の奥が、妙に騒いだー冗談みたいな言葉なのに。


キースが言うと、どうしてこんなに真っ直ぐ響くのだろう。


私は小さく笑って誤魔化すように返す。


「ふふ。キース様の活躍、楽しみにしてます」


するとキースの手が伸びてきて、くしゃりと髪を乱された。


子供をあやすみたいな仕草。


けれど、その手つきは驚くほど優しい。


触れられた場所から熱が広がっていくみたいで、ほんの少しだけ呼吸が浅くなる。


「じゃ、行ってくる」


キースは立ち上がり、そのまま扉へ向かう。


長身の背中が遠ざかっていく。


私は何となく、その姿を目で追っていた。


扉へ手をかけたところで、キースがふと振り返る。


ほんの一瞬だけ視線が合った。


朝の光の中で見えた横顔は、いつもより少しだけ遠く感じた。


穏やかなのに。


優しいのに。


その奥に、静かな熱が隠れている気がした。


――この人、本気だ。


理由は分からない。


けれど、そう思った。


今日の試合に。

勝利に。


それ以上の何かに。


まだ私は、その“本気”がどこへ向かっているのか知らないまま。


キースの背中を追うようにして、王宮武術大会の会場へ向かうことになる。




そしてとうとう、王城の闘技場にて王宮武術大会が幕を開けた。


石造りの巨大な円形闘技場は、観客たちの熱気で揺れているようだった。


歓声。

拍手。

武器がぶつかる鋭い音。


そのすべてが渦のように混ざり合い、王都全体が高揚しているのが分かる。


私は貴族席の最前列に案内され、エレンと並んで試合を観覧していた。


「きゃー!キース様、素敵!本物の王子様ですわ!」


エレンが身を乗り出すように声を上げる。


「また勝ちましたね。あの動き、本当に綺麗……」


その視線の先では、キースが静かに剣を収めていた。


無駄のない動き。

汗ひとつ乱さない呼吸。


余裕すら感じさせる立ち姿なのに、不思議と目を離せない。


エレンとは、あの誕生会以来、自然と言葉を交わすようになっていた。


最初に感じていた棘は、もうほとんど残っていない。


今ではこうして隣で試合を見ながら笑い合える程度には、距離が縮まっていた。


「このままキース様、優勝してしまいそうですわね」


「……すごい勢いですよね。でもロイも負けてません」


視線を移す。


ロイは静かに剣を構え、相手の動きを正確に捌いていた。


派手さはない。

けれど隙もない。


無駄を削ぎ落としたような剣筋だった。


「さすが前回優勝者です」


「本当にすごいですわ……。婚約者がキース様で、護衛がロイだなんて」


エレンが大げさに肩を落とす。


「ルーナ様、前世でどれだけ善行を積めばそんな人生になりますの?」


「それは……」


思わず言葉に詰まり、私は小さく苦笑した。


(むしろ、国を滅ぼして処刑された側なんだけど……)


そんな言葉はもちろん飲み込む。


そして、何気なく口にする。


「エレン様って、キース様のこと大好きですよね」


エレンは一瞬目を丸くして、それから小さく笑った。


「これでも初恋でしたのよ?」


「やっぱり……」


「でも今は、もう違いますわ」


そう言って、闘技場へ視線を向ける。


次の試合へ向かうキースの背中を見つめながら、エレンは穏やかに微笑んだ。


「好きだった人が幸せなら、それで十分ですもの」


「へぇ。ずいぶん大人になったじゃん」


突然、後ろから声が落ちてくる。


振り返ると、いつの間に来たのか、リュートが椅子にもたれかかっていた。


「リュート、聞いていましたの!?」


「聞こえた」


「最低!」


「いや、急に恋愛小説みたいな空気になってたから」


エレンがむっと頬を膨らませる。


「ロマンを理解しない人ですわね」


「お前が最近読んでる小説の影響だろ」


「違います!」


呆れたように笑いながらも、リュートの声音はどこか柔らかかった。


二人のやり取りを見ていると、自然と頬が緩む。



闘技場の熱気。

響き続ける歓声。

その中に混ざる、小さな笑い声。


そして視線の先では、キースが変わらず剣を振るっている。


なのに不思議と――その背中が、少しだけ近く感じた。

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