第二十一章(1)
長い冬休みが終わるまで、僕は部屋にこもって復習をしていた。
どうやら僕は『混ざった誰か』のおかげで、これまで優等生でいられたらしい。けれど、これから先はそれでは駄目だ――そんな考えが、少しずつ頭を占めるようになっていた。
僕は僕自身の実力で、風見鶏を卒業しなくてはいけない。
本当の僕の実力は、あの期末考査の結果が示している。今のままでは、いずれ皆のレベルについていけなくなるかもしれない。そう思うと、自然と焦りが胸に広がった。
僕は教科書やノートを必死に読み返し、これまで学んだことを一つずつ整理しようとした。
そんな中で、ふと一冊のノートが目に留まった。
それは去年、僕が七不思議について、分かっていることをまとめたものだった。
不思議その一、『永遠の命をもたらす賢者の錬石』
不思議その二、『神の子の棺』
不思議その三、『大帝国の禁書』
不思議その四、『腐らない腕』
不思議その五、『赤い瞳の幽霊』
不思議その六、『回らない風見鶏』
不思議その七、『天上の穴』
…………。
びっしりと書き込まれた文字は、紛れもなく僕自身の筆跡だった。これは、かつての僕が一生懸命考えながら書き上げたものだと断言できる。
それでも――僕は内容を読み返すことなく、そっとノートを閉じた。
今の僕は闘病中だ。
七不思議を、在学中に解き明かす必要はない。
イーノスも「待つ」と言ってくれている。
健康を取り戻してから謎に向き合っても、決して遅くはない。
そのための地盤は、すでに整えたはずだ。
大丈夫、大丈夫。
僕はそうやって自分に言い聞かせ、再び専門科目の復習へと意識を戻した。
「フリックー! 久しぶりー!」
冬休み最終日の三月二十八日。食堂で夕食をとっていた僕たちの前に、懐かしい顔が現れた。
寒さを吹き飛ばすような明るい笑顔の女の子――マーガレットだ。
「あれっ、どうしたの? その目……」
彼女は僕の目の色の変化にすぐ気づき、僕の隣の席に腰を下ろして顔を覗き込んだ。
「何でもないよ。どうやら僕は、こういう体質みたいなんだ」
「目の色が徐々に変わっちゃう体質? まあ、去年も特に問題なかったし、視力に異常がないならいいわ」
去年は片目だけ色が違っていたから、ずいぶん多くの人に心配された。でも両目が同じ色になった今回は、あまり気にする人もおらず、すぐに受け入れてもらえた。
その晩は他の友人たちも次々と食堂に姿を見せ、久しぶりに賑やかな時間を過ごすことができた。
「久しぶりだな! フリック。……あれ、君、背が縮んだ?」
「いや、ハーベスト。君が大きくなったんだよ……」
もともと背の高かったハーベストは、休みの間にさらに成長したらしく、身長差はますます広がっていた。もはや同級生と思えないほど、大人びてしまった気がする。
「今年もよろしくな!」
そんなことは気にも留めず、満面の笑みで肩を叩いてくる友人に、僕は自然と元気をもらっていた。
不安がないわけじゃない。
それでも今の僕は、自分の将来に対して明るい展望を抱いていた。目指したい自分の姿を、はっきりと思い描くことができていた。
ライズとマーガレット、ハーベスト、バート、ニース、そして同級生のみんなと――これから先も、ずっと友達として生きていきたい。彼らの仲間として、肩を並べて歩いていきたい。
イーノスの件では、さまざまな問題が明らかになった。
僕たちの国アスティリアは、神子によって建国された正統な国として、四大国の中でも強国と認識されてきた。けれど、その歴史はどうやら、そんなに単純なものではないらしい。
臭いものに蓋をするように、風見鶏の裏に隠されてきたイーノス。
その事実を知ってしまった僕たちは、ねじ曲がったこの国を、正しい方向へ戻していかなければならない。
少なくとも、正義感の強いマーガレットとハーベストは、きっとそう言い続けるだろう。
平民の身としては分不相応かもしれない。それでも僕は、彼らに協力して、みんなでイーノスを助けたい。この国を、本当に神子に祝福された国だと胸を張れる場所にしたい。
僕は、自分自身の足で、みんなの隣を歩いていきたいのだ。
僕を風見鶏に入学させ、好成績を修めさせていた『誰か』の思惑は、まだわからない。
けれど――僕は僕自身の実力で、この夢を叶えたい。
この一年、自分の力で好成績を残して、そして終年祭の夜に、マーガレットにティフォニーイグニドの指輪を渡すことができたなら……何かが変わるんじゃないだろうか。
いや、きっと変わるはずだ。
新学期を迎える僕の胸は、そんな期待でいっぱいになっていた。
新学期初日には、新しい寮生に向けた説明会が開催された。
談話室に集まったのは、四年生が四人、三年生が僕たちを含めて六人、二年生が六人だった。
寮長はジューン・トーランドという女の先輩だ。メイ先生の遠縁らしい。副寮長はラング・ヴェーラーという男の先輩で、同級生のクララ・ヴェーラーの実の兄だという。
四年生は四人もいるのに、錬成工学研究室所属なのはラング先輩ひとりらしい。僕たち三年生も六人いるのに、その研究室に進んだのは僕とライズだけだ。
「今年も二人しか学生を取らなかったんだ……どうしてだろうな」
ラング先輩はそうぼやき、妹が同じ研究室に来られなかったことを残念がっていた。
なんでも今年の三年生は、ヨハンとルイスの仲良し二人組を除いて、全員が錬成工学研究室を希望していたらしい。アイビー先生はクララとイリヤの二人を拒絶し、錬石構造研究室へ回してしまったようだ。
僕たちはその二人とは以前から折り合いが悪く、説明会の間じゅう、ひどく睨まれてしまった。
とはいえ、選んだのはアイビー先生なのだから、こちらにどうしろというのだろう。
一方、二年生たちはジューン先輩の説明を上の空で聞き流し、なぜか僕のほうをちらちらと見ていた。顔に何かついているのかと不安になったけれど、彼らが気にしていたのは別のことだった。
「フリック先輩! 同じ寮になれて嬉しいです!」
説明会が終わるやいなや、二年生たちが僕を取り囲む。
「えっ、あ、ありがとう……?」
しどろもどろにそう答えると、女の子たちが「きゃー!」と黄色い声を上げた。
「どうしてフリック、そんなに人気なんだ?」
ヨハンが不機嫌そうに尋ねてきたけれど、僕にも理由はわからない。すると、その疑問に答えるように、後輩たちが口々に言った。
「だってフリック先輩、有名人じゃないですか!」
「七不思議に一番近づいた英雄だって、みんな言ってますよ!」
イーノス様に唯一名前を呼ばれただとか、平民なのにトップクラスの成績だとか――僕を褒め称える言葉が次々と飛び交う。
そういえば去年も、一時期こんなふうに崇められたことがあった。
同級生や上級生はすぐに飽きたみたいだけれど、下級生の間では今も語り継がれていたらしい。
「えっと……僕はそんな大した人間じゃないし、普通に接してほしいんだ」
本当のことを言っただけなのに、謙遜だと受け取られたのだろう。後輩たちは、かえって大袈裟なほど喜びの声を上げた。
凄かったのは僕じゃない。
僕を操作していた“誰か”だ。
僕じゃないものを褒めるのは、本当にやめてほしいのに……。
しばらく居心地の悪い生活になりそうだと、気が重くなる。
四月二日。新学期初日の朱曜日。
三年生は九時に、それぞれの所属研究室へ集合することになっていた。
錬成工学研究室は研究棟の二階にある。
相変わらず朝に弱いライズをなんとか叩き起こし、僕たちは研究室へ向かった。
アイビー先生の部屋の隣、二〇二号室。
比較的小ぢんまりとした講義室のような部屋には、すでに研究室のメンバー全員が集まっていた。
一番奥では、しかめ面のアイビー先生が、いかにも偉そうに腰かけている。
僕たちは扉の近くに立ったまま、居心地の悪さを感じつつ説明を聞いた。
「新三年生のお二人さん、錬成工学研究室へようこそ! 僕は助手のヘンケル・バスクです」
アイビー先生の隣に立っていたヘンケル先生が、黒板に名前を書きながらそう名乗った。
この助手の先生には見覚えがある。去年、僕を裁判所地下の反省室へ連れていった人物だ。確かあのときは、もう一人男性の先生がいたはずだが、この場には見当たらなかった。
「錬成工学研究室は、今年は在籍者が少ないです。助手は僕と、新任のサリー先生だけになります」
話を振られ、本棚の前に立っていた女性がぺこりと頭を下げる。
彼女は去年、フロウリードームの副寮長を務めていた先輩だ。どうやら卒業後、そのまま助手として残ったらしい。
研究室の助手になれるのは、『国家錬成師』の資格を取得した者だけだという。サリー先輩が相当優秀なのは間違いない。『風見鶏の錬成師』には届かなかったようだけれど、きっと助手を務めながら挑戦を続けるのだろう。
「四年生はラングくんだけです。研究でわからないことがあれば、まずは彼に聞いてください」
僕たちを含めて研究室の学生は六人。それとは別に、作業専任の研究スタッフが何人かいるらしい。彼らは実験室以外への立ち入りを許されていないため、この部屋にはいなかった。
「講義のない日は、基本的に毎日九時集合です。履修時間には配慮しますが、特に要望がなければ、橙曜日の午後一時からゼミを行います」
ゼミとは、週の予定や成果を報告したり、勉強会をしたりする時間だという。この時間だけは必ず出席しなければならない。
「今年度の履修予定は、明日までに提出してください。続きは明日のゼミで説明します」
その日は机の割り当てだけを行って解散となった。




