第二章(4)
平日四日目、緑陽日の錬石学基礎Ⅱのオリエンテーションでは、採石学系の二人の教授が、学校近くの鉱山に連れ出してくれた。
「危険だから、側にいる助手よりも外側に行かないでね~」
採石学の研究室は、キンバリー・ブロックスミス先生の『探石学研究室』と、スタン・ブロックスミス先生の『装具学研究室』の二種類がある。彼らは数年前に学内結婚した新婚夫婦で、学問的な相乗効果も高いことから、よく合同講義の形を取るという説明があった。
他の研究室よりもたくさんの助手さんを雇っているそうで、二十歳前後くらいの若い先生が十人ほど手伝いに来ていた。
「採石学はね、とにかく実習! 机にかじりついていたって何も見付けられないからね~」
キンバリー先生は多分そんなには若くないと思うけど、真っ黒に日焼けして艶々した肌をした、年齢を感じさせない健康的な美人さんだった。
「とは言っても、基礎科目では生の錬石を触らせることはできないので、室内講義が多くなると思います」
スタン先生は反対に、白い肌のひょろひょろとした体格のおじさんだった。とても優しそうで、授業開始からずっとニコニコと笑っている。
彼は身につけた装備について簡単に説明をしてくれた。
「錬石を採集するには、専用の道具が必要です。例えばこの鉱山はクォーツの鉱脈がありますが、クォーツ中の錬石の採掘にはこれを用います」
彼はハンマーと、タガネと呼ばれる杭のようなもの、そして数本の釘を取り出した。
「このタガネと釘の先端には、最も硬いと言われる錬石ハルティハルトの粉末が塗られています。そしてこの釘、磁釘というものですが、錬石の力を抑える特殊な磁石で出来ています。これを採掘したい錬石の六方に打ち込み、万が一錬石が砕けても災害が広がらないようにします」
このような、採掘用の装備や道具を開発するのが『装具学研究室』です、という説明があり、なるほどなと思った。
「今からここにあるグロウ系錬石の採掘を実演するわね~」
キンバリー先生がハンマーで目の前の透明な石を叩くと、内側がチカチカと光り始める。
「白い光はグロウ系錬石、学名『Ⅰ・Ⅰ・Ⅰ』、通称『グロウリーグロウ』の錬石よ。衝撃を与えることで内部構造がわずかに歪み、大元素の魔力が放出されることで光るの」
クォーツはグロウ系錬石と相性が良いから、小さな錬石であれば大体入ってる、などと語りながら、先生は回りの岩石に磁釘を打ち込み、光を放つ石の回りにタガネを入れる。荒く削り出した拳大のクォーツを助手の一人に渡した。
「それをみんなに回してあげて。グロウリーグロウのクォーツ内包物は鉱石ランプに使われているくらいだから、大して危険もないから」
生徒たちが順番に受け取り、石をまじまじと眺めている。順番待ちをしていると、さらにキンバリー先生が掘り出した鉱石が回ってきて、すぐにそれを受け取ることができた。
透明な石の中に、三つほどの小さな白い光がある。これがグロウリーグロウという錬石か。故郷にはほとんど出回っていなかったので、こうして手に取ったのは始めてだ。
「グロウは七大元素のひとつで、錬石に最もよく含まれる元素よ。学名で言うと『第Ⅰ元素』、これは錬石含有率が高い順に番号を付けただけのものだけどね~」
「第Ⅱ元素はハルト、第Ⅲ元素はイーニッド、第Ⅳ元素はイグニド、第Ⅴ元素はクラフト、第Ⅵ元素はフロウ、第Ⅶ元素はティフォンと言います。寮の名前はこの元素名を元にしているんですよ」
寮のイメージカラーも、元素のイメージカラーに合わせているとのこと。グロウリードームが白なのは、元になった元素グロウのイメージカラーが白だかららしい。
錬石学基礎Ⅱの授業は同級生に好評だった。探石学を主専攻にしようかなという声がこの日は多く聞こえた。
そのせいか、最終日のオリエンテーションに激しいギャップを感じてしまった。
最終日、紫陽日のオリエンテーションも実習とのことで、みんな支給された体操着を着て、ワクワクしながら中庭の先にある実習場に集まった。
現れたのは件の黒髪の男の人、コリウス先生と、助手の先生、お手伝いの上級生が数人で、『これから体力測定をする』などと宣言し、同級生たちはどよめいた。
「全ての学問の基礎は体力だ! この一年、風見鶏の一員として最低限の体力をつけてもらう」
恐らく同級生たちは、どちらかというと机にかじりついて勉強ばかりしてきたタイプが多いのだろう。僕も人のことは言えないけど、青白い顔をしたひょろひょろの体格の子が多い。
ライズが小さく『うわ、最悪……』と呟いたので、僕も深々と頷いた。
数チームに分かれて、担当する上級生が指定した順番で測定を行っていく。
握力、跳躍力、瞬発力、柔軟性、動体視力、重量上げ、投球、登攀…………。一番きつかったのが持久走だ。実習場に書かれた円に沿って延々と走らされる。特にゴール地点はない。走るのを諦めたところがその人のゴールだ。
「あいつスゴいな。ずっと走ってるぞ」
給水所で休んでいるときに、誰かがそう言うので視線を向けた。みんなの注目を受けて延々と走っていたのは、金髪をポニーテールにした可憐な女の子。マーガレットだ。
「あいつは実技満点ってだけで、奇跡的に入学できた変わり者だからね……」
同じ顔をした弟バートが、ポツリとそう呟く。普段はトラブルを起こす姉を蔑んだ目で見ている印象だったけど、現在はどこか得意気な表情をしている。意外と姉弟仲は悪くないのかもしれない。
「えっ? もういいの?」
マーガレットは助手の先生に制止されて、不満の声を上げながらこちらに歩いてきた。驚くことに、まったく息が上がっていない。
「マーガレット、君は凄いね……」
「あら、フリック。ありがとう」
僕が差し出す水を受け取り、彼女はまぶしい笑顔を見せた。
「でも、大したことないわ。ただ運動が得意なだけよ」
運動が得意なだけ、のレベルが違いすぎる。その後評価結果を紙面で返されたのだけど、僕は全ての項目が『目標レベル未達』と書かれていた。回りの人も大体似たようなもので、辺りはすっかりお葬式のようなムードになっていた中、マーガレットが呟いた。
「投球、登攀、重量上げは未達だって。この授業、結構厳しいのね」
「他は合格だったの……?」
「言ったでしょ。わたしは勉強は苦手だけど、得意なものはあるの」
この結果をもとに個人の訓練メニューを作るから覚悟しておけなどと宣告を受けたあと、授業は終了した。
唯一の救いと思えたのが、この戦闘学基礎Ⅱは平日最後の日、紫陽の日に組まれていることだった。
明日は週一度だけあるお休み、白陽の日。
「マーガレットは明日は何をして過ごすの?」
死人の行進みたいな帰寮の流れの中で、僕は唯一元気そうなマーガレットに問いかけた。
「明日はレニーたちが先輩に校内を案内してもらうそうだから、一緒に行こうと思っているわ」
「レニーって同じ部屋の?」
「そう。彼女は都立の第一初等学校出身なんだけど、上級生に親戚のお兄さんがいて、とても仲が良いそうよ」
あなたもどう? と聞かれて、僕はドキリとした。マーガレットが行くのなら一緒に行きたいけど、彼女の友人は僕なんかが来たら迷惑に思うんじゃないか。
「レニー。明日の件だけど、フリックも一緒に行っても良いかしら」
「え……。あ、うん。大丈夫……」
レニーの反応は悪かったけど、それは先ほどの体力測定のせいだろう。彼女は息も絶え絶えで、マーガレットの声がよく聞こえていないんじゃないかと思う。
「後でライズにも聞いてみるよ。彼が行くなら一緒に行こうかな」
もしかしたら女子ばかりの集まりかもしれないので、僕はそう言って回答を保留した。
来るなら朝九時に食堂で待ち合わせだから、と言われて、わかった、と返事をする。そのまま部屋に帰宅したのだけど、僕の目論見はとても甘かった。
ライズに明日の話をする時間が全くなかったのだ。
彼はロフトに上る元気もないのか、応接スペースの長椅子に倒れ込むと同時に寝息をたて始める。まさかその後、朝まで目を覚まさないなんて思ってもみなかった。
「ライズ。ライズ。朝だよ……」
相変わらず歯軋りのうるさい彼を起こすのに成功したのは、朝の八時半のことだった。
彼は体操着のまま寝てしまったことにプリプリ怒りながら、一階にある共同風呂に向かってしまう。これはもう間に合わないな……僕はマーガレットとの約束を諦めて、一週間の授業の復習を始めることにした。
「そんなの、行くわけないじゃない」
その後帰ってきたライズと食堂に向かったのは、十時前のこと。マーガレットのお誘いの件を話すと、彼は開口一番、そう言った。
「きみひとりで行けばよかったのに」
「だって僕、マーガレットしか知り合いがいないし……」
「クラスメイトだよ? 同じ人間だし、仲良くなれるでしょ」
なんて雑な理論なんだろう。身分の差があるんだから、そんなに簡単には行かないと反論をしようとしたところで、食堂に到着してしまう。
カフェタイムに切り替わる、ギリギリのタイミングだった。残り物のサンドイッチとコーヒーをトレーに載せて、テーブルに向かう。白いテーブルには誰もおらず、マーガレットたちはもうどこかに行ってしまったよな……と肩を落とした。
「あっ! フリーックー!」
席に着こうとした瞬間、マーガレットの声が聞こえる。周囲を見回してみると、二つ隣の列の机から、手を振る彼女の姿が見えた。
「行ってきなよ」
「あ、うん。ごめんね……」
ライズにそう言われたので、僕はトレーを持ったまま彼女の元へ向かう。そこは黄色い布が敷かれたテーブルだった。
「フリック、遅かったわね」
「ごめん。ライズが全然起きなかったから……」
マーガレットの隣が空いていたので、そこに収まることにする。そのグループはマーガレットの他に、レニーと、あと二人ほど同級生の女の子がいて、あとは上級生だった。
男の人が二人と、女の人が一人。レニーの知り合いは、真ん中に座っているツンツン頭をした金髪の人だと教えられる。
マーガレット以外のみんなは、彼の話に夢中になっていた。
「何の話をしているの?」
「学校の七不思議の話よ」
「七不思議?」
頷くマーガレット。
「ごめんなさい、ロイド。フリックにも七不思議の話をしてもらえないかしら」
「お、新入りか? いいぜ。耳をかっぽじってよく聞けよぉ」
粗野な話し方をする人だ。彼は僕の顔を見つめ、何故だか声のトーンを落とし、厳かな雰囲気を醸し出しながらこんな話をした。
「この学校には、古くから色んな謎が隠されている……それを先人たちは『風見鶏の七不思議』って呼んで、生徒たちの間でこっそりと受け継いでいるんだ……」
七不思議の中身は、こう伝えられている。ロイドはゆっくりと口を開いた。
一、『永遠の命をもたらす賢者の錬石』
二、『神の子の棺』
三、『大帝国の禁書』
四、『腐らない腕』
五、『赤い瞳の幽霊』
六、『回らない風見鶏』
「そして、七番は……」
そこでタイミング良く、十時を告げる鐘の音が聞こえた。