第十八章(4)
僕は自分を『本番に強い男』だと思っていた。
――いや、少し違う。
試験のたびに、周りからそう言われていただけだ。
だから僕自身も、なんとなくそうなのかな、と思っていただけで、深く考えたことはなかった。
ただ一つ確かなのは、今まで受けてきた試験という試験を、僕は一度のミスもなく乗り切ってきたという事実だ。
それがいつしか自信になり、その自信が、試験に対する無関心へと変わっていった。
僕は、試験にあまり興味がなかった。
今回の期末考査も、いつものように、何の悩みもなく終わるだろう。
そう思っていた。
だから――試験が始まっても、体も頭もまったく動かないことに、僕は呆然となった。
「どうした? フリック・ラーベス」
期末考査の第一課目は、ミラ先生の『戦闘錬石操作基礎演習』だった。
試験内容は、クズ石の中から錬石を探し出すテストと、それを使って的に光の魔法を当てるというものだ。
けれど僕は、開始の合図と同時に動き出せず、ミラ先生の怪訝な視線を受けてしまった。
「す、すみません」
慌てて同級生たちの動きに合わせ、クズ石を漁り始める。
だが、いつものように石を選ぶことができない。
ルオンの発声も冴えず、グループ内で下から三番目と、結果は散々だった。
実技試験だけでなく、筆記試験もひどかった。
次のサファー先生の『錬石基礎構造学』では、試験開始から数分間、まったくペンを動かせなかった。
文字を追っても、問いの意味が理解できない。
何を問われているのかわからないから、答えようがない。
今までの僕は、何も考えなくても手が動き、答案が自然と埋まっていった。
まるで――“別の誰か”が、試験のときだけ僕の体を操っているかのように。
けれど今回は、その“誰か”は現れなかった。
僕は、自分自身の力だけで、この試験に向き合わなくてはならなかった。
思えば最近の僕は、予習も復習も真面目にしていなかった。
授業にも、きちんとついていけていなかった。
そのツケが、今になって押し寄せている。
どれだけ後悔しても、もうどうにもならない。
「どうしたの? フリック。体調でも悪いの?」
「うん……ちょっと、調子が悪いのかもしれない」
心配そうな友人に、曖昧な笑顔を向けながら、僕は今さら悪あがきの勉強を始めた。
けれど、そんな付け焼き刃で問題が解けるようになるはずもない。
結局今回の期末考査は、すべての科目がボロボロだった。
――いや、正確には、すべてではない。
キュービット先生の『神政学基礎』だけは、なぜか良い結果をもらえた。
彼の試験は、変わった採点方法を取る印象があったのけど、僕の答案はほとんど空欄だったにもかかわらず、なぜか一番の成績を与えられた。
理由は、おそらく彼との“密約”のせいだ。
年度の始め、彼は僕にこう告げた。
――去年のテストを採点しなかった理由を解き明かせ。
それができたなら、成績は一番にすると。
ただし、その判定基準は曖昧だった。
「あなたの行動を見て評価する」
それ以上の説明は、何もなかった。
正直、僕は彼の課題に答えられたとは思っていない。
七不思議の解明はそれなりに進めたけれど、知れば知るほど、僕の手に負えるものではないと感じたし、イーノスの役に立てているとも思えなかった。
それでも、キュービット先生は満足しているようだった。
「あなたの最後の設問への回答が、一番良かった。これからも頑張ってください」
答案が返却されるとき、彼は穏やかにそう言った。
授業が終わると、クラスメイトたちが一斉に僕に群がり、どんな答えを書いたのかと答案を覗き込んできた。
「大したことは書いていないよ」
「……本当に、大したこと書いてないな」
最初は謙遜だと思っていたみんなも、答案を見ると次々に落胆した。
「僕も同じ答えを書いたのに!」
そう嘆きながら、同じ寮のヨハン・クラウスが自分の答案を見せてくる。
「ちょっと違うよ」
「どこがだよ!」
「君は『わかりません』って書いた。でも僕は『今はまだ、わかりません』って書いた」
「同じじゃないか!」
「同じじゃないよ」
そう返しながらも、僕自身も疑問だった。
なぜ僕の答えがマルで、ヨハンの答えがバツなのか。
今回の『最後の問題』は、これまでのキュービット先生の試験とは明らかに毛色が違っていた。
教科書通りの知識では、絶対に答えられない問いだった。
設問は、こうだ。
「あなたはこれからこの国が、神子とどのような関係を築いていくべきだと思いますか」
他の生徒たちは、それぞれ真剣に答えていた。
『神子にすべての指示を仰ぐべきだ』
『友人のように手を取り合うべきだ』
『神子が聖地に戻れるよう、全力を尽くすべきだ』
ライズに至っては、『海の底に沈める』などと書き、大きなバツをもらっていた。
ふざけた一部を除けば、どれも真面目な回答だったはずなのに、なぜか丸をもらえたのは僕だけだった。
理由はわからない。
わからないけれど、キュービット先生の気まぐれのおかげで、僕は救われた。
他の教科では大きく順位を落としたけれど、『神政学基礎』が首位だったおかげで、平均すれば、どうにかそれなりの成績に収まったのだった。
そんなこんなで、波乱の期末考査は幕を閉じた。
今年度の最終日――十二月二十一日の午後。
去年とは違い、寮前広場に集められた僕たち二年生は、学年担任であるサファー先生から終年の挨拶を受けた。
「今年の二年生は、とても残念だけど、五人も退学者が出てしまったよ。さらに、ここにいる中から八名が早期卒業を希望しているの。寂しいけれど、みんなが選んだ道だからね。先生は応援しているよ」
その後、三時から講堂、四時から図書館、六時から食堂でセレモニーが行われることが告げられる。
スケジュール自体は、去年と同じだった。
講堂では、四年生への卒業証書授与が行われた。
今年の卒業生は二十人。
寮ごとにまとまって座っていたため、ルークさんやサリーさんといった同じ寮の先輩が卒業帽を受け取るたび、周囲の寮生たちから歓声が上がった。
僕もこのときには、ルークさんへの敵対心をすっかり失っていて、精一杯の拍手を送っていた。
今年が去年と大きく違っていた点が、一つある。
学長の隣に、イーノスがちょこんと立っていたのだ。
彼は卒業生に卒業帽を被せる役目を任されていた。
卒業生たちは彼の前に進み出ると、嬉しそうに跪き、帽子を受け取った後には感極まって泣き出す者も少なくなかった。
「今年の卒業生、羨ましいわね」
「僕たちのときも、神子様、参加してくださるかなあ」
うちの寮の三年生たちは、そんなことをぼやきながら、羨望の眼差しで卒業生たちを見つめていた。
続いて、図書館では『知恵の実の授与』が行われた。
僕たち二年生も、新しいリボンを受け取る。
去年もらった白いリボンを留めた胸に、青いリボンが新たに付けられた。
リボンを付けてくれたのは、各専攻担当の先生たちだ。
僕たちフロウリードームの青いリボンを付けてくれたのは、サファー先生だった。
卒業生と違い、神子から直接リボンを受け取れなかったことに、在校生の中には不満そうな表情を浮かべる者もいた。
当のイーノスは、僕たちが飾り付けをした二階の主賓席に立ち、ぼんやりと『知恵の樹』を見つめていた。
図書館の『知恵の樹』は、聖地にある本物を模して作られたオブジェだと聞いている。
彼の目を引いたのも、無理はない。
ランプ石で飾られたその樹は、錬石が実るというイーノスの故郷の樹と、きっとよく似ているのだろう。
二つの儀式を終え、いよいよ最後のイベントが始まる。
食堂に全校生徒が集まり、豪華絢爛なパーティーが催された。
ブドウジュースでの乾杯と、錬石花火から始まる流れは去年と同じで、立食形式なのも変わらない。
夏祭りのときに人間の食べ物を勧められて以来、すっかり食にハマってしまったイーノスを喜ばせるためだろうか、料理には明らかに力が入っていた。
おそらく、各地の名物料理をかき集めたのだろう。
見たこともない煮込み料理や、化け物のような姿をした生物の姿焼きまで並び、同級生たちはざわついていた。
「あの粒々のついた足の化け物、ベルア州の端っこの漁村で食べられてる魚……なんですって」
「俺も初めて見た。見た目はひどいけど、意外と美味いらしいぞ」
マーガレットとハーベストは、首都出身の友人たちを引き連れて、料理を批評しながら歩き回っている。
「ライズはどう? あの料理、食べたことある?」
僕はその様子を横目に見ながら、目の前の料理を黙々と食べているライズに、そっと声をかけた。
「あれは魚じゃないよ。軟体動物だよ」
「そうなんだ」
「ぼくは小骨が多い食べ物は嫌いだけど、あれは骨がほとんどないから、割と好きなんだ」
「へえ……そうなんだ」
「煮てもいいし、焼いてもいいし、小麦粉にもよく合うよ」
「詳しいんだね」
この日のライズは、普段よりずいぶんと機嫌が良かった。
あちこちに足を運び、さまざまな料理を口にしている。
僕もそれに付き合い、味付けや調理法についての彼のこだわりを、あれこれ聞かされた。
ライズにしてはかなり饒舌で、話も蛇足が多かった。
要するに彼の信条は――
『過度な油脂や甘味、塩味は健康的でないし、美味しくもない。派手な色合いは論外』
ということらしい。
最初のうちは真面目に相槌を打っていたけれど、途中から僕の関心は別のところへ向かってしまい、最後の方はほとんど話を聞いていなかった。
僕は、いつルークさんがマーガレットの元へ来るのかを気にしていた。
万が一、マーガレットがうまく断れなかったら、いつの間にか二人で消えてしまうのではないかと心配だった。
「そんなに心配するくらいなら、先に連れ出してしまえよ」
ハーベストがこっそりと耳打ちしてきたけれど、そんな勇気は僕にはない。
「俺たちはそろそろ出るぜ。お先に失礼!」
彼はそう宣言すると、自然な足取りでニースの元へ向かい、慣れた様子で人混みをスルリと抜けていってしまう。
なるほど、ああやってみんな消えていくのか……。
僕は感心しつつも、一年生の集団の向こうでこちらの様子を窺っているルークさんの姿を見つけてしまい、慌ててマーガレットの元へ駆け寄った。
「ねぇ、フリック。ひどいと思わない? 全然イーノスに話しかけられないわ!」
「ああ、確かに。ずっと卒業生に囲まれているね……」
「卒業したら二度と神子に会えなくなるかもしれないのはわかるけど、わたしたちだって、いつまで一緒にいられるかわからないのに!」
この日のイーノスは、いつもの何倍も人気があった。
普段はどこにいるのかわからないし、見つけたと思ったらすぐに木や屋根に登って、どこかへ行ってしまう彼だ。だからこそ、多くの人がまたとない機会だと捉えているのだろう。
講堂の上の部屋に住んでいることを知っていても、彼の居室まで出向くほど図太い人間は、僕たち以外にはいなかった。
「まあ、イーノスも色んな人と仲良くなれていいんじゃないかな。いつも僕たちが一人占めしていた感じだし、変に周りから妬まれるよりはいいよ」
「でもあの子、未だにあなたの名前しか覚えていないのよ」
あんなに一生懸命面倒を見てきたのに、悔しいわ!
マーガレットはそう言って、地団駄を踏んだ。
「多分彼は、起きるたびに一人分の名前しか覚えられないんじゃないかな。懐いているとか、そういうことじゃなくて」
「いいわね、あなたは覚えてもらえているから……」
据わった目でじっと睨まれ、僕は内心まずいと思った。
話を変えよう。そう考えて、僕はわざとらしく周りを見回す。
「そういえば、今年もハーベストとバートがいないね。さっきまで一緒じゃなかった?」
「そうなのよ! いつの間にか消えていて……ニースとサーシャもいないわ! クリスもいない!」
みんな『夜想』ってやつに行ったのよ!
再び地団駄を踏むマーガレット。なぜそんなに悔しそうなのかよくわからないけれど、彼女は少しだけ目を赤くしながら言った。
「わたしたちも行きましょ! なんだかムカつくし、もうパーティーなんてどうでもいいわ! 静かなところに行きたい!」
「えっ、本当に?」
「行きましょ! バートの相手が誰なのか、覗いてやるんだから!」
僕は彼女に引っ張られながら、ライズの姿を探した。
料理に夢中になって貪っている彼は、こちらにまったく興味がなさそうだ。
でも、もし自分が一人になっていることに気づいたら、へそを曲げてしまうんじゃないだろうか。
「大丈夫よ。別にへそを曲げたっていいじゃない。どうせこの後、数ヶ月お休みなんだから。春には機嫌も直っているわよ」
「確かに……まあ、そうかもね」
僕はマーガレットに押し切られる形で、食堂を抜け出すことになった。
ムードも何もない始まり方のデートだったけれど、僕たちらしくていいな、と思った。




