第二章(3)
「ライズ? どうしたの?」
声の主はライズだった。彼は何だか気まずそうな顔をして、視線を泳がせている。
「何? 僕はまた、まずいことでもしちゃったかな……」
「いや、そうじゃない。あんまり気にするなよって言いたかっただけ」
なんのこと? と問おうとして、ふと思い付いた。もしかして、彼の家名のことだろうか。
「大丈夫だよ。僕、君が名家出身だからって突然敬語を使ったりしないし……」
「違う違う。その話じゃない」
じゃあ何の話だろう。首を傾げていると、ライズは眉間にシワを寄せながらこう言った。
「言わないほうが良いとぼくも言ったけど、もし嫌がらせを受けたとしても気にする必要はないんだよ。きみに嫌がらせをするようなやつは、きみごときを下に見ないと不安になっちゃう程度の無能な人間なんだからさ」
「はあ」
「あまり大きな声で言わなければ良いだけだよ。きみが風見鶏の錬成師を目指すこと自体に何のおかしな点もない。難癖つけてくるやつのほうがおかしいってことだ」
……。僕は胸が一杯になってしまって、何も言葉を返せなかった。この無愛想な友人は、身の丈に合わない夢を語って馬鹿にされた僕のことを気遣って、励ましの言葉をかけてくれたのだ。
お礼を言わないと、と義務感に掻き立てられたとき、ライズは誰かに名前を呼ばれて振り返っていた。
「ライズくん。ちょっといいかな」
「……何?」
「ちょっとお話ししたいんだけど、一緒に来てくれないかな?」
僕は驚いてしまった。そう話しかけてきたのは、他でもない、サファー先生だったから。
「なんで?」
なんでって、おいおい。ライズってば、先生にもそんな態度なの? おろおろする僕をよそに、サファー先生はニコニコしながらこう言った。
「だって、面と向かって会うのも久しぶりだよね。積もる話もあるし、お話ししようよ」
キューくんもいるんだから、などと謎の人名を引き合いに出して必死に気を引くサファー先生。
「ああ、あいつの名前もあったね。なんできみの助手じゃないの」
「だって、あの子の世話をしてほしいって学長が……」
一体ライズって何者なんだろう。呆然とやり取りを眺めていた僕に気付いて、先生は気まずそうな顔で笑う。
「あの、立ち聞きしてごめんなさい。ライズに用事があるんですよね……」
「うん。ごめんね。わたし、ライズくんの主治医だから」
主治医? サファー先生は医師免許まで持っているのかな。色々と疑問が浮かんだけど、とりあえず僕はぺこりと頭を下げて、足早にその場を後にする。
ライズとは、部屋に帰ればいつでも話せるんだから、お礼はいつでも言える。僕は先ほど興味を引いた、博物館に行ってみることにした。
図書館と比べると一回り小さいけど、格式高そうな建築様式の建物だ。焦げ茶色をした煉瓦で組み上げられた外壁と、くすんだ緑色の金属板が張られた屋根。窓が小さいせいか中は薄暗く、展示された錬石の薄ぼんやりした発光が引き立っていると感じた。
壁際のショーケースに、七色に輝く石が飾られていた。茶色くくすんだラベルに、学名らしき番号名が書かれている。Ⅰ・Ⅰ・Ⅰ、Ⅰ・Ⅰ・Ⅱ、Ⅰ・Ⅰ・Ⅲ……。クォーツに内包されたグロウ系錬石、と分類されており、何やら難しい解説が列記されていた。
僕は父の影響から錬石を研究してきたけど、実はあまりよくこの石のことを知らない。父の話によると、『七大元素』と呼ばれる自然界の大いなる力が閉じ込められた魔法の石、というものらしい。
鉱脈にある鉱石の中からわずかに産出する。綺麗な結晶の形をしたものには魔力が宿り、傷をつけたり割れたりすると、力が放出される。
バスや汽車を動かすのに使われる『火力石』も、石炭という鉱石の中に、イグニド錬石と呼ばれる赤い結晶が微分散していると聞いたことがある。ショーケースを移動すると、ちょうどその『火力石』の展示があり、黒い石を真っ二つに割って断面を観察できたり、シャーレにばら蒔かれた黒い粉末をルーペで覗き込めるスペースがあった。
ルーペを覗き込んでみると、黒い不定形の粉に紛れて、鮮血色をしたトゲトゲの結晶が映り込む。これがイグニド錬石の結晶か。綺麗だな……。僕はこの展示にしばらく釘付けになっていた。
「……の展示は……が多すぎ……」
その時背後を、聞き覚えのある声が通りすぎる。
「ここもここも、……じゃない! 学長はあの女に贔屓しすぎ!」
僕が視線を向けると、見慣れた赤毛がそこにあった。黒っぽいローブは制服と似ていたし、声も彼とほとんど同じだったから、僕は何の疑いもなく声をかけてしまった。
「ライズ? サファー先生はどうしたの……」
振り返った人物は、ライズではなかった。うす暗かったから、すぐには人違いだとわからなかった。完全にそれがわかったのは、その人物の次の発言を受けてのこと。
「ライズ? ああ、あの気色悪い四男坊……あいつ今年入学したんだっけ?」
「気色悪いとは何だ。仮にもお前の甥だろう」
「煩いわよ、あんたに親族のめんどくささなんてわかんないでしょ! 黙ってなさい」
ライズによく似たその人は、ライズよりも激しい口調で同伴者を罵った。僕はすっかり怯えきってしまったのだけど、同伴者の男の人は慣れているのか、やれやれと首を振るだけだった。
僕は恐る恐る彼らに目を向ける。赤毛の人は僕と同じくらいの背で、少しだけ長い赤毛を二つに結んでいる以外は本当にライズとそっくりだった。だけど彼女は明らかに女の人だったし、三十代後半くらいのおばさんのように見えた。
同伴者の男の人は、見上げるほどに背が高く、艶のある黒髪と端正な顔が印象的だった。彼は程よく筋肉がついた太い腕を組み、僕のほうをじっと見ている。
「お前のことは知っているぞ。例の特待生だな? 名前は確か、フリック・ラーベス」
「えっ」
急にそう名前を呼ばれて、僕は後退りして身構えた。
「特待生?」
「ハックフォードが言っていただろう。今年は学長が変わった生徒を取ったと」
「ああ……学長がほぼ独断で入学を決めたとか言う……」
赤毛の人が、品定めするような目でこちらを見てくる。ライズと同じ猫のような細長い瞳孔をしていたけど、ライズとは違って青い瞳をしていることに気が付く。
「面接でとんでもないことを言ったそうだな」
「何て言ったの」
「『風見鶏に自分の研究室を作りたい』とか何とか」
「はあ? 何それ、喧嘩売ってんの?!」
激昂した声に、僕は身を縮ませる。そんなこと言ったっけ? 全然記憶にない。黒髪の男の人は、ガハハと豪快に笑ったあと、僕の頭をポンポンと叩いた。
「私は好きだぞ。そういう大きなことを言うやつは。将来性がある」
「あんたはそういうやつよね。学長と同じ、下手物好き……」
じゃあな、頑張れよ若者! と、快活な言葉を残して男の人は去っていく。女の人もそれに続こうとして、ふと立ち止まり、僕のほうを眺めてこう言った。
「あたしは、身の程知らずは嫌いなの。今後生意気な口利いたら潰すわよ」
ドスの効いた声。あまりの恐ろしさに、僕はしばらく石のようにガチガチになって身動きが取れなかった。
多分さっきの人たちは先生だ。赤毛の人はライズの親戚、ブレガー家出身の教授、アイビー先生だ。黒髪のほうはよくわからないけど、体操着に似た服を着ていたから、戦闘学系の先生だろう。個人戦闘学のコリウス先生かな?
僕は図書館の自習机に移動して、シラバスを読みながらぼんやりと考えた。
ハーベストが言っていた通り、僕のビッグマウスはとても悪目立ちしてしまうらしい。今まで会った人たちにはそこまで怖い人はいなかったけど、さっきのアイビー先生は違った。ハーベストの予言通り、目を付けられて潰されてしまう……。
僕は身震いした。ライズはああ言ってくれたけど、僕は身の丈に合った言動をした方がいい。だって、あの先生は錬成学の先生だから、単位をくれるもくれないもあの先生の気分次第だ。僕は錬成学を主専攻にする予定だし、あの先生に嫌われてはいけない……。
日が傾いた頃に、僕はとぼとぼと寮に帰った。既にライズは部屋に帰ってきていて、いつものように書斎の椅子に偉そうに座って窓の外を眺めていた。
「お帰り。遅かったねぇ」
「うん。ライズの用事は早く終わったの?」
「二時間くらい付き合わされたかなぁ。思った通りロクでもない話だった」
「そうなんだ。どんな話だったの?」
「この学校はロクでもないよ。早く卒業するに限るよ。きみもそうしなよ」
あはは……。僕は彼のよくわからない愚痴を聞きながら、アイビー先生のことを思い出していた。
ライズは当然彼女のことを知っているだろう。今日言われたことを話してみようかと思ったけど、やめておいた。
『あの気色悪い四男坊』ーー彼女はライズのことをそう言っていた。多分、ライズもあの人のことを良く思っていないだろうと思ったから。
次の日のオリエンテーションは、国営学系の先生、メイ・トーランド先生が担当してくれた。彼女は齢六十で、講義を担当する教授の中では最年長だと思います、と話した。
とても穏やかな笑顔の可愛らしいおばあちゃんで、僕はほっとした。優しい先生ばかりだと助かるんだけど……と思っていた矢先、次の日の戦闘学系の先生、ヘルムート・ベルハルト先生は、ものすごく厳つい顔をした髭の濃いおじさんでビックリしてしまった。
「風見鶏の教授陣は比較的若い者が多い。その理由は何故だか分かるか?!」
ヘルムート先生がダミ声を発しながら指示棒を生徒に向ける。当てられた生徒は、わかりません……と消え入りそうな声で呟いた。
「それはな、我ら教授陣も常に比較評価されているということだ! 結果を残せない古い人間は飛ばされる! 結果を残す可能性のある若者にすげ替えられてしまうのだ!」
バンと教壇を叩き、先生は吼えた。
「この場所は完全な実力社会だ! 実力のみで上下が決まる! 家の権力でぬくぬく生きたいやつはさっさと早期卒業でもしろ! 平民だろうが孤児だろうが、実力のある者が上に立つ社会なんだここは!」
多分、僕の入学に関係あるんだろう。先生はこちらを一瞥もしなかったけど、関係がないとはとても思えない。
教壇から僕に直接何かを言ってくる先生はいなかったけど、平民が風見鶏に入学したことについて、先生たちはそれぞれに思うところがあるみたいだった。
幸運にも、出る杭は打つと宣言した先生はアイビー先生の他にはおらず、ほとんどの先生は粛々と授業を進める予定のようだった。