第十三章(1)
僕は仲間たちに、現状わかっていることを話した。
具体的には、次のような内容だ。
ロイドさんの事件を、先生方がすでに知っていること。
学長のペットが喋り、僕にちょっかいを出してくること。
その犬が、どうやらキュービット先生と通じているらしいこと。
コリウス先生たちナナニ生が、ちょうど今の僕たちのように、ここに集まって七不思議を調べていたこと。
そして、コリウス先生とハックフォード先生が、神子を巡って対立しているらしいこと。
「犬が喋るって本当か? にわかには信じがたいな」
「僕だって、まだ慣れないよ。犬じゃなくて、犬に化けている人間なんじゃないかと思うこともある」
「ナナニ生って? 今、風見鶏に残っている先生方でいうと、誰になるの?」
「コリウス先生、ハックフォード先生、レウィシア先生。あとは、図書館の司書のハンナさんよ」
「レウィシア先生って、ニースのお姉さんだよな。なら、ニースはこの集まりに誘っても問題ないかもしれないな」
「でも、レウィシア先生は七不思議から退いてしまっている気がするよ。多分、何か怖い経験をしたんじゃないかな……」
僕は、ハンナさんから聞いた当時の話を語った。
アイビー先生が新任教授で、ナナニ生の担任だったこと。
クラスのかなりの生徒がイーノスの存在を知っていて、みんなで遊んでいたこと。
「当時の先生って、どういう構成だったのかな。アイビー先生が新任ってことは、アイビー先生より年上の先生は、その頃から在学していたのかな」
「少なくとも、キュービット先生はいたんじゃないかな。彼は、コリウス先生がヘマをしたって言って怒っている」
「ヘマ?」
「詳しい内容は分からないんだ。“神子を傷付けてしまった”って、コリウス先生は言っていたけど……」 「イーノスは、そのことを覚えているのか?」
視線を向けられて、イーノスは首を傾げた。
どうやら、何の話をしているのか分かっていないらしい。
「イーノスは長生きだから、記憶の保ち方が僕たちとだいぶ違うみたい。重要じゃないことは、覚えていないんだって」
僕のことは、なぜか覚えている。
けれど、マーガレットやライズのことは、次の日には忘れていた。
悲しいことだけど――きっと明日には、みんなのことを忘れてしまうんじゃないかな。
「ええ? わたしのことを覚えていないの?」
僕の話に焦ったのは、マーガレットだ。
「マーガレットって呼んでみて!」などとしつこく要求して、イーノスを困らせている。
「イーノスは、コリウス先生やハックフォード先生のことも、すっかり忘れている。ただの『大人』として、ひとくくりにして、怖がって近寄らないんだ」
「大人を、怖がっている?」
ハーベストに問われて、僕は頷いた。
「彼は大人のことを『劣化した人間』って言って、不気味に感じているみたい。多分、故郷の仲間は見た目が子供ばかりだったんだよ。彼らにとって“老ける”っていうのは異常なことで、気味悪く思っているのかも」
僕たちは、うーんと唸りながら、彼の気持ちを理解しようとした。
そんな中、ライズがボソリと、持論を口にした。
「そんなに曲解することかな? 単に、大人に嫌なことをされただけなんじゃないの」
――単純に、「大人になった人間」を「子供とは違う種類の生き物」と見なしている。
大人は嫌なことをしてくるから、関わりたくない。そう思っているだけなんじゃないか。
そんな彼の考えに、みんな感心したような視線を送った。
「何にせよ、怖がられていない俺たちで、何とかしないといけないんだな」
「もしかしたら、それが原因で、神子は風見鶏に安置されていたのかもしれないわね」
風見鶏には、大人がほとんどいない。
社会から隔離された、安全な場所だ。
大人を怖がるイーノスにとっては、最適の環境なのかもしれない。
僕はコリウス先生に言われたことを、彼らに話した。
ハックフォード先生が怪しいことをしているから、イーノスを近寄らせないでほしいこと。
“仲間にまつわる何か”が風見鶏にあり、イーノスはそれを探してさ迷っていること。
その『何か』を僕たちに知らせるべきかどうかについて、コリウス先生自身が悩んでいるということも。
「何かって、何よ?」
「さあ……わからない。イーノスは仲間のニオイがすると言っていたけど」
「ニオイがする何か? 香水か何かかしら」
「さあ……」
考え込む僕たち。
けれど、考えたところで今は答えが出ない。そう思って、僕は口を開いた。
「ニオイの原因が何にせよ、今はまだ僕よりもコリウス先生のほうが、イーノスのことを理解していると思う。仲間探しについては、ひとまず進展させずにおいて、コリウス先生の判断を待とうと思うんだ」
「そうだな。きっとそれがいい」
ハーベストもバートも、僕の意見を尊重する姿勢を崩さなかった。
彼らのそんな態度に、僕は今までにないくらいの喜びと満足感に満たされる。
――彼らになら、頼んでも大丈夫だ。
そう思って、最後に残っていた心配事を口にした。
「でもね、困ったことに……いくら言い含めても、イーノスは仲間を探してこの部屋から抜け出してしまうんだ。毎日、誰かがついていないと心配で」
「ついているって、一日中か?」
「そこまではしなくていいと思うんだけど……」
数時間くらいはおとなしくしているはずだ。ただ、なるべくひとりにしないほうがいい。
そう話すと、ライズ以外のみんなは白い歯を見せて言った。
「任せて! できる限り都合を合わせて、ここに来るようにするよ」
交代で講義や課題、食事などを済ませたのち、ハーベストとバートに別れを告げた。
その日の晩は、僕とライズとマーガレットが、遅くまでイーノスに付き合ってあげることになった。
「明日の晩は俺たちが残るからさ」
「頼むよ」
そんなやり取りのあと、彼らは帰寮していった。
みんな講義のスケジュールがばらばらだから、交代で見張れば、イーノスをひとりにさせずに済みそうだ。そう思うと、少し安心できた。
「イーノスは、お腹が減らないの?」
「お腹が減るって、どういうことだ?」
「お腹のこの辺りがギューってなって、グーって鳴るのよ」
マーガレットの説明は雑で、正直わかりにくかったけれど、イーノスには伝わったらしい。
「そういうことなら、たまにあるぞ」
「そういうときは、どうするの?」
「知恵の実を食べる」
「知恵の実?」
詳しく聞いてみると、それは形も大きさもさまざまな、固い物体らしいことがわかった。
「もしかして……こんな感じかな」
僕はボードゲームの山をかき分け、ディクティスが溜め込んでいた錬石の欠片を掘り出して、イーノスに見せた。
「わっ。何これ? どうしてこんなものまであるの?」
「さあ……わかんない。喋る犬が、ここに隠していたみたいで」
僕の手にあるのは、“軟化”の錬石だ。
黄色く、ブドウの房のように単晶が連なった形をしている。
「フロウリーハルトの葡萄状連晶だよ。触れたものを柔らかくする力があるんだ」
「すごいわ。連晶を見るのは初めてよ」
実際に使ったことがある、などと言ったら、彼女がやりたいとごねて話がややこしくなりそうだ。
僕は話題を逸らすため、イーノスにもう一度問いかけた。
「イーノス。君が食べていた知恵の実って、こんな感じのものかな」
するとイーノスは、元気よく頷いた。
「こんな感じだ! ガリガリして食うんだ」
「ガリガリ……」
彼が齧る真似をするのを見て、僕は察する。
――彼の歯が鋭いのは、そのせいなのか……?
「口の中で爆発したりしないのかしら」
「さあ……さすがに大丈夫なんじゃないかな」
「知恵の樹に錬石が実るって話は本当なのね」
「ザイヴァが聖地を荒らしたのは、錬石を奪うためだったのかな」
そのような取り留めのない話をしているうちに、いつの間にか真夜中になっていた。そろそろ帰ろうかという段になって、ライズが眠ってしまっていることに気づく。
「ちょっと……起きてよ」
「部屋に帰るよ」
――駄目だこりゃ。
僕は首を横に振って、彼女に先に帰るよう促した。
「ごめんなさいね。明日の授業で、また会いましょう」
彼女はすんなりと帰っていった。
そのあと僕は、懐かしい歯軋りの音に悩まされながら、イーノスとボードゲームを続けた。
「フリックは寝ないのか」
「うん。もう少しだけ、君に付き合うよ」
ふたりでもできそうな簡単なゲーム――『モノクロ』を選ぶ。黒と白が表裏に塗られた、平たい円盤を使う陣取りゲームだ。
イーノスは意外にも、ボードゲームのルールを覚えているらしく、僕が説明書を読むだけでゲームはすぐに始められた。
「以前も、こういうことがあった気がする。耳が丸い仲間と、このゲームをした」
黒の陣地を作るイーノスは、増減する陣地に一喜一憂しながら、ぽつりとそう呟いた。
「いつ頃のことかな」
「わからないが、故郷で目覚めなくなって、少し経ったころだと思う」
パタパタと円盤をひっくり返す音が響く。
おそらく、僕たちは同じくらいの腕前なのだろう。拮抗した試合が続いていた。
「あの時もフリックだったのか? 俺様に付き合ってくれていたのは」
「いや、違うよ。僕は、君とこれをやるのは初めてだ」
「そうか」
イーノスは素直に頷いた。
多分、相手はコリウス先生だったのだろう。けれど、僕はそれ以上のことを聞かなかった。
パタパタと円盤が返る音。
ギリギリと響く歯軋りの音。
静かな時間が流れたあと、イーノスはまたぽつりと呟いた。
「エルフルトは言った。悪いことがあっても、それは悪夢と同じだと。眠って起きたら、大抵のことは過ぎ去っていると」
モノクロの盤面に残る区画は、あと二つ。
彼は角を選び、黒の陣営の勝利を決めてから、言葉を続けた。
「しかし、近頃は寝ても覚めても状況が変わらない気がする。ずっと俺様はこの場所にいて、仲間はどこにもいない」
そう語る彼の表情は、無表情だった。
普段は小さな子供のように笑ったり、困ったりすることが多い。それだけに、その虚無の表情は、僕の胸に突き刺さる。
「そんなことないよ。今回はきっと良くなる。一緒に良くしていこう」
「…………」
「僕たちが、協力するから」
「うん」
僕の言葉に、彼は無表情のまま頷いた。
もしかしたら、イーノスの『寝ぼけ』の期間は、終わろうとしているのかもしれない。
何かを思い出しかけていて、そのせいで気持ちが沈んでいるのだろうか。
彼は、いつもどれくらいの間目覚めているのだろう。
学校を探索しているうちに、再び眠りについてしまうのは、嫌なことを思い出してしまうからなのか。
――“眠って起きたら、大抵のことが過ぎ去っている”。
その言葉に縋るようにして、眠りについているのだろうか。
次にディクティスに会ったときに、確かめてみよう。
僕はそんなことをぼんやり考えながら、ひとまずここで仮眠を取ることにした。




