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【旧版】衰退世界の風見鶏  作者: 小柚
2年目
43/112

第十一章(3)

 結局夕方まで学内をうろうろした僕たちだけど、赤い瞳の幽霊も、ディクティスとキュービット先生も誰も見つけることができなかった。

「こんなに探しても居ないなんて。やっぱり目撃者に話を聞かないと駄目かしら」

 明日の個人戦闘学Ⅱでハーベストに声をかけよう。確か彼もあの授業を履修していたはずだ。

 僕たちはそう結論を出して、その日は解散することにした。

 お風呂に入って明日の準備をして、ベッドに入った僕だけど、何故だかソワソワして眠れない。

 駄目だ。明日はいつも楽しみにしているミラ先生の授業だ。寝不足で迎えることはできない。

 そう言い聞かせるのだけど、やっぱり眠ることができずに僕は上体を起こす。

 ふと窓のほうを見ると、月明かりに照らされて時計塔の文字盤が見えた。夜中の零時。すでに日付が変わってしまっている。

 僕はベッドから下りて、窓際に立った。外に何か重要なものが見えないか、目を凝らした。

 ポツポツと鉱石ランプの街灯が立っていて、寮前広場の様子が見える。さすがにもうこの時間には、誰もベンチには座っていない。この位置から見えるのは広場のほんの一部だけど、さすがに次の日が平日の晩に、こんな時間まで出歩いている生徒はいないだろう。

 いや、いた。僕は窓にへばり付いて下を見る。

 白は光をよく反射するから、暗い地面から浮き上がるようにその姿が見える。

 犬だ。白い犬。ディクティスだ!

 彼女がお座りをして、じっと僕の部屋の窓を見上げている。

 僕はパジャマのまま部屋を飛び出して、彼女の元に向かった。

「ディクティス! 久しぶり!」

 僕の姿を認め、彼女はパッと顔を輝かせて足元を駆け回る。

「フリック! 気付くのが遅いですよ!」

「ごめん。いつからそこにいたんだい?」

「着いたのはさっきですけど。毎晩ここに来ていましたよ。毎晩ですよ」

 恨みがましくそう呟く彼女。なら、昨晩も来ていたのか。すれ違いになってしまったのかな? そう思った。

「昨日の晩に、講堂の上に行ったんだ。君に会いに」

「そうなんですか。なら状況はわかっていますね? 今はイベントが発生中なのですよ」

 イベントが発生中? 変な言い回しをするなと思ったけど、彼女が言いたいことは何となくわかる。

「神子が起きてるの?」

「はい、そうです」

「何処にいるかわかっているの?」

「はい、何となくわかってきました」

 僕は首を捻った。何となくわかってきた? 妙な返答だ。

「わかっているなら、どうして捕まえないの?」

「どうして捕まえるんですか?」

 質問を質問で返されて、僕は戸惑った。

 確かに。捕まえてどうするんだろう。棺に押し込んでおくのが彼女たちの目的ではなさそうだし。

「どうして僕を待っていたの?」

 質問を変えると、彼女は嬉しそうにくるくると回って吠えた。

「わんわん! フリックが神子を捕まえに行くんですよ! わんわんわん!」

「ええ?! さっきは『どうして捕まえるのか』って……」

「わんわんわん! こっちです、こっちです!」

 上機嫌に駆けながら、彼女は断片的に状況を語る。

「神子はいつも覚えていないのですよ、ここがどこなのかを覚えていないのです」

「覚えていない? どういうこと?」

「神子はずっと長い間、ここではないところで暮らしていましたから。ここに連れてこられたのは、彼にとっては最近のことなのです」

「はあ……」

 最近のことなのなら、逆に覚えていそうなものだけど。そう思ったけど、敢えて反論はしなかった。

「神子は探検をしているのです。見知らぬ土地を、怖々と歩き回っているのです」

「どうして君が教えてあげないの? ここが学校だってことを」

「それを教えるのはワタシの仕事ではないのです。それに、ワタシが教えても、すぐに忘れてしまうのですよ」

「すぐに忘れてしまう? どうして?」

「彼にとって重要ではないからです」

「????」

 ディクティスの話はさっぱりわけがわからない。疑問符を浮かべているうちに、目的地にたどり着いてしまったようだ。

 そこは研究室の並ぶ研究棟だった。研究棟の三階。確かハックフォード先生の軍器学研究室と、ヘルムート先生の兵学研究室のある階だ。

 さすがに白陽日、休日の深夜だ。ブラックだと噂のあるハックフォード先生の研究室ですら、暗闇に包まれて人の気配はない。

「この階にいるの?」

 僕は振り返って白い犬の姿を探す。だけど、いつの間にか彼女は姿を消していた。

「えっ? ディクティス? 何処に行ったの?」

 しんと静まり返る廊下。辺りは真っ暗だ。パジャマのまま来てしまったから、少し肌寒い。

 僕は困惑しつつ辺りを見回す。第二実習棟ほどではないけど歴史を感じる校内は、とても不気味だった。

 幽霊って、こういうところに出るのかな……。

 僕はゆっくりと歩き出す。

 死んだらどうなるの? というのは、誰もが抱く疑問だ。僕が両親から教えてもらったのは、『天に上ってお星さまになる』というものだ。

 天から使いがやってきて、亡くなった人の体から抜け出た魂を空に連れていく。地上に何かやり残したことや、恨みを残した人は、その誘いを拒絶し幽霊となってさ迷う。

 幽霊というのは、段々と理性を無くしていき、生きているものに対する恨みだけを宿して、苦しみながら地上をさ迷っている。

 悲しげな顔をしてこちらを見ていたり、呻き声をあげたり、たまに怪奇現象を起こしたりする。

 人から恨まれるようなことは、してはいけないよ。幽霊を呼び出してしまうよ。

 ……そんな感じに教えてもらった気がする。

 幽霊と呼ばれているということは、神子は僕たちに敵意を抱いているのだろうか。

『神子は怖々と歩き回っているのです』

『神子を怖れることはない。むしろあれのほうが、私たちを怖れている』

 先ほどのディクティスの言葉に、昔聞いたコリウス先生の言葉が重なった。

 ……神子は神でも幽霊でもない。ただの可哀想な子供だ。

 僕がそう自分に言い聞かせていたとき。目の端にちらりと赤い光が入り込んだ気がした。

 神子がいる? 心臓が早鐘を打つ。光を目で追うのだけど、どうしてもはっきりと捉えられない。

 僕は次から次に部屋を覗き込みながら歩を進めた。

 幽霊と言われていたのは、こんな感じでふわりと消えるように移動するのを目撃されたからかな。そんなことを考えながら廊下の端に突き当たり、角を曲がろうとする。

 そのとき、背後にトスン、という音がした。

 何だろうと思う間もなく、首元をグッと締め付けられる。

「?!」

 声を上げようとしたけど、蛙が潰れたような変な声が出ただけだった。

 何? 何が起こっているの? 

 僕は圧迫感を感じる首に手をやった。パジャマの襟を後ろからグッと捕まれているようで、一番上のボタンが首に食い込んで引きちぎれそうになっている。

 背後にいる何者かは、右手で僕の襟を掴みながら、左手で僕の左手首を掴んでいる。

 僕は恐怖のあまり、全く抵抗ができなかった。後ろの誰かは僕の左手を捻りながら黙り込んでいる。

 息が苦しくなってきた。とにかく首を絞めるのをやめてほしい。遠くなっていく意識の中で、後ろの誰かがようやく声を上げた。

「お前は誰だ。仲間と同じニオイがする」

「?」

 急に力が緩んで、僕は床に崩れ落ちる。喘ぐように息をしながら、恐る恐る後ろを振り返った。

 僕を見下ろしていたのは、真っ赤な二つの瞳だった。内側から光を放つように、暗闇にくっきりと浮かび上がっている。

 薄ぼんやりと窺える幼い顔立ち、ツンツンとした長い黒髪、大して大きくもない背丈から溢れ出る威圧感。

 僕はすぐに確信した。彼は紛れもなく神子だ。僕が会いたくてたまらなかった相手だ。

 不思議なことに、僕を支配していた恐怖は一瞬にして消えて、全身が喜びで満たされる。

 僕の頭の中で、誰かが命令した。

 ーー言うんだ。彼の興味を引くような言葉を。何か言うんだ。

 僕は操られるかのように口を開き、こう発声した。

「……会えて良かった。ずっと会いたかったんだ、イーノス」

 彼はその言葉を受けて、ヒョイと首を傾げた。

「俺様に会いたかった? どうしてだ」

 少年特有の、よく通る高い声。幸運にも僕は彼の気を引くことに成功したようだ。

 神子は肩から布を巻き付けたような変わった装束を着ている。それをヒラリとはためかせて、僕の目の高さに合わせるようにしゃがみ込む。

「お前は何者だ? 名前は?」

「フリック。フリック・ラーベスだよ。よろしく」

 僕はヘラッと笑って右手を差し出した。彼は怪訝そうにその手を眺めていたけど、首を傾げながらも握り返してくれた。

「フリック。聞いたことがない名前だな。俺様の仲間とは違うな」

「話をするのは初めてだと思うよ、イーノス」

「どうして俺様の名前を知っている?」

「君は有名人だから。みんな知っているよ」

 何となく、この少年と話すのは敬語じゃないほうが良いと感じていた。対等な立場で話したほうが興味を引けると思った。

 そのカンは正しかったようで、彼の表情は段々と穏やかになっていった。握った右手を引いて、尻餅を付いた僕を立ち上がらせてくれた。

「フリック。ここは何処だ? どうして俺様はこんなところにいるんだ」

「ここは風見鶏という学校だよ」

「学校?」

「子供が集まって、大人に勉強を教えてもらうところだよ」

「勉強?」

「えっと、世の中の役に立つことというか、生きるために必要な知識というか」

 僕の言っていることがよくわからないらしい。彼は首を大きく捻って、あっさりとこう述べた。

「どうでもいいや。で、どこに行ったら帰れるんだ?」

「帰るって、どこに?」

「どこって、仲間のところだ」

「仲間?」

 今度は僕が首を傾げる番だった。

 彼はさっきから頻繁に仲間という言葉を発した。仲間とは何を指しているのだろう。一緒に建国をした人たちのこと? それとも別の人たちのこと?

「仲間は仲間だ。それ以外に言い換えたりできない」

「もしかして、昔に一緒に暮らしていた人のことかな」

「昔? 昔とはどういうことだ」

 ああ……。僕は頭を抱えてしまった。この少年と話すのは、ディクティスと話すよりも大変だ。

「ねぇ、イーノス。とりあえず場所を移そうよ。君が眠っていた部屋が安全だから、そこに行こう」

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