第八章(4)
お祭りは楽しかったものの、後味の悪い終わり方をしてしまった。
だけど、表面上は大した問題には発展しなかった。あの晩のことは良い思い出として度々話題には上るけど、あの件について言及しようとする人は全くいなかった。
九月、黒葉の月の最初の平日になり、いつものように僕たちは食堂で朝食をとる。
「試験結果が発表されるのよね」
ドキドキするわね、とマーガレットはいつもと変わらない様子で僕たちに言った。
バートともっと仲良くしても良いのに、マーガレットは相変わらず僕たちといることを選んでくれたようだ。
さすがにハーベストはまだ怒っているのだろう。僕とマーガレットには一言挨拶をしてくれたけど、ライズには全く視線を向けようとせず、それはライズのほうも同様だった。
まずいな。この状況はまずい。僕は段々と不安になっていた。
あの時僕は、ついライズの肩を持ってしまったけど、ハーベストの話も全く理解できない訳じゃない。そもそも僕たちはただの学生なんだから、そこまで真剣に考えなくても良いじゃないか、と冷静になった今は思っていた。
平民より低い身分の人たち、孤児や隷農については不憫だなと感じてはいるけど、僕たち子供にはどうしようもない。
国を動かせるようなポストに就くも就かないも、風見鶏を良い成績で卒業しないと駄目なんだから。今は同級生同士、色んな意見があるんだねと笑いあっていれば良いじゃないか。
でも、そういう簡単な話で済みそうもないことが段々と判ってきた。
試験の成績は、どの教科も全員の前で晒された。
戦闘学基礎Ⅱ以外の科目は、やっぱり全部ライズが一番だった。
ハーベストはほとんどの科目で三番目で、間に僕が入る構図が崩れなかった。
ハーベストはとても不快そうだった。頭が悪いと言われ、実際に成績も敵わなかったのだから、きっとプライドはズタズタになっただろう。
これではまともな会話もできない。ライズはやっぱり『きみは馬鹿だ』という目線でハーベストを見下すし、ハーベストはプライドを守るために、彼を無視するしかできない。
これは良くない。どうしてそんなにこじれるんだ。
ふたりの仲が険悪になった以外は、特に問題はなかった。相変わらずマーガレットは元気だし、ハーベストは人気者だったし、僕はライズともマーガレットとも、ベルフォート校のメンバーともうまくやれていた。
ライズは悪いやつではない。きつい性格をしているけど、決して悪いやつではない。僕は皆にライズの良さをわかって欲しかったけど、それは無理なのかもしれないとも思い始めていた。
ライズは普通の人とは違いすぎる。頭が良いし、家柄が良いし、協調性が欠片もないし、頑固だし……。
どちらとも仲良くやれている僕こそが、ふたりの仲を取り持つべきなのかもしれないのだけど、この成績発表の際に僕は別のトラブルに巻き込まれ、それどころではなくなってしまった。
それは国営学基礎Ⅰの授業の時だった。
錬石学基礎Ⅰで成績が二番だった僕は、この試験もきっと上位だろうと高を括っていた。
成績順に名前を呼ばれ、答案が返される。一番はライズで、二番はハーベスト。三番はニースで、四番はバート。マーガレットは十八番目で、目を輝かせながら答案を受け取っていた。
この講義中、僕は全く名前を呼ばれることなく、他の全員が答案を受け取ることになる。
僕はどうしたら良いか判らずに、呆然としながら授業終了の鐘を聴いた。
「あの。キュービット先生……」
皆が教室を出ていく中で、僕はおずおずと先生に声をかける。
「僕の答案は……」
キュービット先生は大きな溜め息をついてから、低い声で宣告した。
「後で私の研究室に来なさい。……ひとりで」
「あなた、一体何をやったのよ?」
マーガレットが悲鳴のような声をあげる。
「付いて行ってあげようか?」
ライズも同情するようにそう提案してくれたけど、僕は首を横に振った。
「ひとりでと言われたし、ひとりで行ってくるよ」
もしかしたら、ライズに付いてきてもらったほうが良かったのかもしれない。キュービット先生の対応はあまりにも酷いものだった。
先生の研究室で、僕は彼の机の前に立たされる。
彼は無言で、僕の答案をバンと机に置く。
僕はそれを眺めて首を捻った。答案は全てきれいに埋まっている。何が問題なのか、何度読み直してもわからない。
「先生、その……どうして採点がされていないんですか」
「…………」
「あの。理由を話してもらえないと、何もわからないです……」
「………………」
怖い。ものすごく怖い。
彼は切れ長の瞳で、ただ僕をじっと睨んでいる。
「あの。これってどうなるんですか……? 僕は国営学基礎Ⅰの単位をもらえないんですか……」
それは困る。基礎科目を落としたら、風見鶏の錬成師を目指すための要件を満たせない。二年の国営学系の講義も受けられなくなるし……。
困り果てた僕に、彼はようやく重い口を開いた。
「ふざけているんですか? あなたが私と話したいと言ったんでしょう」
「え?」
「私と何を話そうと思ったんですか? あの犬のように私もペラペラと話すとでも思ったんですか」
「…………?」
首を捻る僕に、溜め息をつく先生。
しばらくの後、彼はドスの利いた声で呟いた。
「あなたが思っているほど、この件は気安いものではありません」
この件? 試験問題について怒られていると勘違いしていた僕は、続く言葉を受けて震え上がった。
「コリウスのようにヘマを仕出かしたら、私は絶対に許しませんからね」
一体何が起こっているんだ。
僕はこの異様な状況に頭が付いていかなかった。
しばらくキュービット先生に睨まれる生活が続いた後、僕はハッと気が付いた。
もしかして、ディクティスが言っていた『弟』というのはキュービット先生のことだったんだろうか。
なんであれが弟なんだよ。種族が全く違うじゃないか。
ディクティスに文句を言いに行こうと思ったりもしたけど、止めておいた。
僕はすっかり疲れてしまったのだった。
しばらくの間、ライズとハーベストの確執とか、キュービット先生の陰湿ないじめとか、そういうものを頭から追い払って学業に打ち込んだ。
気にしなければどうと言うこともない。
国営学基礎Ⅰはメイ先生も担当しているから、キュービット先生ひとりが僕をいじめたって、単位が出ないということはないだろう。
ライズがクラスに馴染めないのは今に始まったことじゃない。セルグ第一のグループだって浮いているんだから、別にどうだっていいだろう。
僕はそう割り切って数ヵ月を過ごし、いつの間にか十一月を迎えていた。
この月には待ちに待った『進路希望調査』がある。同級生たちは中間考査のとき以来の浮き足だった空気を醸していた。
「おい、フリック、マーガレット」
僕たちが部屋に帰る道すがら、暖炉が焚かれた談話スペースで仲間とたむろしていたハーベストが声を掛けてくる。
「なに?」
「ちょっとこっちで話さないか? 進路希望の話だよ」
僕たちは顔を見合わせる。
わざとらしくライズを無視して僕たちに話しかけるのは、夏祭り以降は良くあることだったから、もうほとんど気にならなくなっていた。
「ちょっと気になるし、行ってみましょうよ」
マーガレットの提案に乗って、僕は彼らの輪に入ることにした。
「ふたりはどの寮に希望を出すんだ?」
「えっと、僕は錬成学に進みたいから……」
「フロウリードームか。マーガレットは?」
「わたしは個人戦闘学よ。イグノドームね」
胸を張るマーガレットの答えに、僕は今更ながらに気が付く。
そうか、進路が違うと別の寮になってしまうのか。
同級生たちはバラバラになってしまい、帰る寮が同じではなくなってしまう。
「俺は為政学にする。クラフティドームだ」
ハーベストに続いてニースたち三人娘が皆為政学にすると答えた。
「ニースはお姉さんと同じところには行かないの?」
「姉は口煩いですから、嫌なんです」
ニースのお姉さん、レウィシア先生は、経済学担当の先生だから、寮でいうとイーニディドームになる。バートとクリスはイーニディドームを希望していることが告げられた。
「ねぇねぇ、そういえばニース。レウィシア先生とコリウス先生ってお付き合いしているの?」
サーシャが突然、ニースにそんな話を振る。僕はびっくりしたけど、女子が何でも恋愛話に繋げようとするのは良くあることだったから、成り行きに任せて聞いていた。
「姉は別の婚約者がいるから、違うと思うけど……でも、学生時代は仲が良かったらしいわ」
「学生の時って、ハックフォード先生も同級生だったんでしょ? まさか三角関係だったりして」
「その時の担任ってアイビー先生だったのよね。もしかして四角関係なんじゃないかなぁ」
さすがにそれはないだろう。男子たちが乾いた笑いをしていると、妙に目をギラつかせたサーシャが反論の声を上げる。
「だって、コリウス先生とアイビー先生って仲が良いじゃない。よく一緒に歩いているところを見るわ。それにね、私、見ちゃったのよ。ハックフォード先生がアイビー先生に言い寄っているところを!」
「えっ? ハックフォード先生がアイビー先生に言い寄っている?」
僕は思わず声を上げてしまった。サーシャはエサに食い付いてきたと言わんばかりに、見たものについて語り始める。
「夏頃だったかな。私、授業のことで質問があったから、サファー先生の部屋に行こうとしていたの。そしたら、アイビー先生の部屋にハックフォード先生が入るのが見えて。私、つい聞き耳を立ててしまったんだけど、何だかただならぬ雰囲気を感じたのよ……」
「な、なんて言っていたの?」
生唾を呑んでそう尋ねてみたけど、声が小さくてあまり良く聞こえなかったそうだ。断片的に、『このままで良いのか』とか、『噂が広まるぞ』とかそういう言葉が聞こえてきたらしい。
「えーっ、お付き合いしていることが噂になっちゃうとか、そんな感じ?」
「ふたりとも家柄が良いんだから、結婚しちゃえばいいのにね」
女子たちはそんな話で盛り上がっている。
絶対にそういう内容じゃない。僕の脳裏に、ひとつの可能性が浮かんでいた。
夏頃と言うことは、恐らく僕が図書館でハックフォード先生を見た頃だ。あの後、ライズがアイビー先生に呼び出しを受けて、僕たちの調査を止めさせろと言った。
ライズは誰かがアイビー先生に僕たちのことを教えたらしいと言っていた。ライズが彼女に告げ口をしたわけではない。
そうなると、答えはひとつだ。ハックフォード先生がアイビー先生に告げ口をしたのだ。こそこそ嗅ぎ回るネズミの件を、彼女の耳に入れたのだ。
「女のカンなんだけど、多分、ハックフォード先生の片思いなのよ。アイビー先生はコリウス先生に惹かれているの。だけどコリウス先生は未だにレウィシア先生のことを思っていて……」
それは違うと思うけど、部分的には正しいのかもしれない。ハックフォード先生は、何かアイビー先生の弱みを握って脅している? コリウス先生はアイビー先生の護衛のために、一緒に行動しているのだろうか。
それともコリウス先生も、何かを探ろうとして彼女と一緒に居るのか?
何にせよ、七不思議はたぶん、アイビー先生が鍵を握っていると見て間違ってはいないのだろう。
百年ほど前に、アイビー先生の祖先『バルマー・ブレガー』が何かをやらかした。多分それが、現代まで尾を引いている……。




