第六章(3)
「『大帝国の禁書』について、ご存知でしたら教えていただけませんか」
翌日、サファー先生の授業の終わりに、僕とマーガレットはサファー先生を廊下で引き止めて直球の質問をした。
ライズは同行してくれなかった。先生と話をしたくないと言って、先に帰ってしまった。
その質問に少し驚いた表情を見せたサファー先生だけど、すぐににこりと笑顔を浮かべて口を開いた。
「そっか。あなたたちはまだ七不思議が気になっているんだね」
「はい。特にいま、禁書のことが気になっていて、どういうことが書かれてあるのか知りたいんです」
「大帝国の禁書かぁ……」
先生は頬に手を添えながら、思案するように天を仰ぐ。
「多分ね、閲覧注意図書のことを言っているんだとおもうの」
「閲覧注意図書?」
「生徒に読ませるのは注意が必要と、国の偉い人から指定された本のことだよ」
「そんなものが図書館にあるんですか?」
サファー先生はこくりと頷いて、詳細を教えてくれた。
それらの本の特徴は以下のようなものである。
・先の戦争について書かれている
・帝国神教について書かれている
・建国の経緯について書かれている
「禁書指定されるほどの本じゃないけど、学生には気軽に読めないものだね」
「どうしてそれらの本は閲覧注意に指定されているんですか?」
「単純に貴重な古文書が多いというのと、過激な内容が含まれているというのと、専門的な知識のある人が読まないと理解できない内容だってことからかな」
僕とマーガレットは顔を見合わせる。僕たちが知りたい『風見鶏の歴史』や『神子のこと』が書いてあるのかはわからないけど、多分、風見鶏の建立と同じような時期のことが書かれていると思われる。
「それはどうやったら読めるんですか?」
「管理者の先生に申請書を提出すればいいんだよ」
「申請書……ですか」
「うん。読みたい本のタイトルと、読みたい理由と、貸出期間を書くんだよ。必要なら持って来てあげるよ」
「えっと……お願いします」
僕たちはサファー先生の研究室まで付き従い、申請書なるものを一枚ずつ受け取った。
「この読みたい本のタイトルって、何て書けばいいですか? どんな本があるのかわからないんですけど」
「閲覧注意図書の目録は多分、図書館にあるよ。司書さんに聞いたら見せてもらえると思うよ」
「この申請書一枚につき、一冊しか借りられないんですか?」
「面倒だと思うけど、そうなんだよ。昔はこんな手間なことはなかったんだけどね」
「昔は違う手続きだったんですか?」
「今の管理者、ハックフォード先生になってからすごく色々面倒事が増えて……。去年から彼の担当になったんだけど、すごく熱心なんだよね」
ハックフォード先生。僕はヒヤリとした。ここにもハックフォード先生が絡んでいるのか。
マーガレットも眉をひそめている。
「申請書を書いて、わたしに渡してもらえたら、わたしからハックフォード先生に提出しておくから」
「い、いえ、大丈夫です。多分、申し込まないと思います……」
僕たちはそう言って、礼をしてその場から待避した。寮に帰りライズと合流してから、僕たちは作戦会議を行った。
「禁書はすでにハックフォード先生の手の内ってことかしら」
「彼に目を付けられたら面倒そうだよね……」
マーガレットは神妙に頷く。僕は彼女にコリウス先生の話はしていなかったけど、彼女は彼女独自の見解から、ハックフォード先生を警戒しているようだった。
「とりあえず司書に話を聞いてみましょうよ」
「そうだね。目録を見せてもらうだけなら大丈夫かな」
僕たちは図書館に向かうことに決めたけど、ライズはどうも気が進まないように見える。到着した途端、彼はとても気だるそうにこう言った。
「ぼくはあっちで課題をやっているから、用が済んだら声をかけてよ」
「なによ。付き合い悪いわね」
マーガレットの毒づきにも反応を見せず、彼は空いているテーブルに勉強道具を広げて、早速課題を始めてしまう。
「無理強いしても仕方ないし、行こうよ」
僕はそう促して、彼女とふたりで受付に向かった。
受付にいた司書さんは、二十代後半くらいの若いお姉さんだった。花瓶の底のような分厚いメガネをかけていて、鼻筋に濃いソバカスが散っている。
「本をお探しですか?」
「ええ、その、閲覧注意図書の目録があると聞いたんですが……」
「えっ、閲覧注意図書ですか?!」
その単語を聞いてすぐ、彼女が甲高い声を上げたので僕はビックリしてしまった。
「あの、その、ごめんなさい。聞いちゃダメなことでした?」
「いえ、とんでもないです。ただちょっと、久しぶりに受けたお問い合わせだったもので」
彼女はすごく狼狽えた様子で、カウンターの隅から隅までを探り何かを探している。アッと短い声を上げた後、僕たちの前に木板に鋲で留めてある一枚の羊皮紙を差し出した。
「これです、これです。閲覧注意図書の目録……。すみません、今お引っ越し中で色々と書き込みをしておりまして……」
「ありがとうございます」
僕たちは揃ってそれを覗き込む。茶色く変色した羊皮紙に、華麗なザヴィック体の文字が並んでいた。
それだけで、この目録がとても古いものということが伺える。
「うわ……ザヴィック体よ。フリック、あなた読める?」
マーガレットがそう耳打ちしてきたので、僕は無言で頷いた。ザヴィック体は装飾の多いごちゃごちゃした文字であるけど、今の文字とそこまで読み方が違うわけではない。
閲覧注意図書目録 タイトル
・東部戦線の趨勢
・神に与えられた果実
・帝国聖書
・国体の選択ー帝政、神政
・天国に関する考察
・繁栄を極めた大帝国ザイヴァ
…………
懸命に読み解いた文字は小難しい単語ばかりで、僕の目はチカチカしてしまう。確かにサファー先生の言っていた通り、戦争や帝国神教の関係の本が多そうだなと思う。
「ねぇフリック。良さそうな本はある?」
「ええと、まだ初めのほうしか読めてないから……」
「ねぇ。この記号はなにかしら。ここだけ真新しいインクみたいだけど」
マーガレットがタイトルの右側を指差したので、僕もその落書きが気になってきた。
それはすべてのタイトルの右側に書かれている。マルとバツ、サンカクといった記号が五種類くらい、ランダムに配置していた。
「ああ、それは、すみません。引っ越しのためのメモ書きなんです。ハックフォード先生に言われて、慌ててメモしたもので……」
「ハックフォード先生?」
僕はつい大袈裟な反応をしてしまって、自分の口を押さえる。司書さんは特に気にしていない風に、説明を続けてくれた。
「ハックフォード先生が、閲覧注意図書の整理をしようと提案してくださったんです。それで、関連性のある書籍を同じ棚に集めようと思いまして、彼の言う通りに分類したものがそれです」
「なるほど……」
マルには帝国神教に関する本が多く集まっている気がする。バツには帝国の政治関係の本。サンカクは戦争の記録かな?
「この鍵のマークは何ですか?」
マーガレットが指差してそのように問い掛けた。鍵のマーク? 僕も覗き込むと、確かに鍵に見えるマークがあった。
そのマークだけ赤いインクで書かれているから、マーガレットは気になったのだろう。明らかに特別視されている書籍だ。視界に入った順にタイトルを脳内で読み下す。
・残存文書から紐解く建国の謎
・戦争犯罪者の記録
・マクシネルの風土
・ジュネブ史 ラチェット一族の治世
………………
「何だかここだけまとまりがないね」
「ああ、それは、そうなんです。鍵のマークのものは、特に閲覧に注意が必要だから、鍵をかけて保管しましょうとハックフォード先生が仰いまして」
鍵だって? この施錠の概念のない平和な風見鶏に、ついに鍵をかけてしまったのか!
僕は風見鶏に来てから初めて出会った"施錠された謎"に、妙に惹き付けられた。この鍵の中に、僕の知りたい真実がある。そんな確信めいた気持ちが沸き上がる。
「あの、ありがとうございます。助かりました」
「はい。また必要なら仰ってくださいね!」
僕は目録を返却し、マーガレットを引っ張って、ライズのいる机まで退却した。
「どうしたのフリック。何か目当ての本が見つかったの?」
マーガレットはまだ目録を見ていたかったようで、少し不満そうに口を尖らせている。
「マーガレット、鍵のマークだよ。鍵をかけるほど重要な本だ! 絶対にそこに重大な秘密が書かれている」
「でも、ハックフォード先生がわざわざ鍵をかけるほどの本なんでしょ? それを借りたいなんて申請をしたら、すごく目を引いてしまいそうだわ」
「そうなんだよね……。どうにか、ハックフォード先生に知られずに読むことができないかな……」
夜に忍び込むにしても、この広い図書館のどこに鍵付きの本棚があるのかがわからないし。鍵はきっとハックフォード先生が管理しているだろうし。どうやったら彼にバレずに読むことができるか……。
その日僕たちに名案は浮かばなかったので、それから数日間、なんとなく図書館の捜索や観察をすることになった。
すると、意外なことが判明した。僕はマーガレットを手招きして、その観察結果を共有した。
「あの司書さんってすごくそそっかしいんだよ」
「え? どういうこと?」
「ほら、見ていて。あんなガタガタの梯子を登っていたら、絶対に本を落とすよ」
僕の視線の先に、件の司書さんがいた。彼女は天井近くの本を整理しようと長い梯子を登っていたのだけど、その梯子はうまく固定できておらずがたついていた。
「彼女のお手伝いをしていたら、禁書の情報が引き出せるかもしれない」
「確かに。名案かもしれないわ!」
僕はガタガタしている梯子の根本に待機する。すると、予想通りに上から本がバタバタ音を立てて落下してきた。
「あっ、すみません、すみません」
「大丈夫ですか? お手伝いしましょうか」
「いえ、そんな、滅相もない」
そう言いつつも彼女はがたついた梯子からうまく下りられずに途方にくれている様子だ。
「僕たちで支えていますから、安心して下りてきてください」
「あっ、ありがとうございます、大変申し訳ないです……」
彼女は本当にそそっかしい人だった。それから何度も僕たちは彼女の窮地を救うことになる。
そそっかしいけど、甘え上手な人なんだろう。初めは滅相もない、とんでもないと言いながら僕たちの加勢を断っていたけど、次第に申し出を受け入れてくれるようになった。
「僕たち、司書の仕事に興味があって。色々見学させてもらいたいんです」
そのような嘘をついてから、彼女はすっかり警戒心を無くしてしまったようで、僕たちに積極的に話を振ってくれるまでになった。




