第六章(4)
司書さんの名前は、ハンナ・プリシラと言った。二十七歳。風見鶏出身の職員で、卒業後すぐにこの職に就いたらしい。
禁書の情報を引き出す目的で近づいた僕たちだったけど、話しているうちに、思いがけない情報が次々と飛び込んでくることになる。
きっかけは、彼女からのこんな質問だった。
「フリックさんとマーガレットさんは、ハチゴ生なんですよね。どうですか? ハックフォード先生の授業は難しいですか?」
「ええと……ハックフォード先生、ですか?」
どうしてそんなことを聞くのだろう。本棚の整理を手伝いながら、僕はマーガレットと顔を見合わせる。
「ハックフォード先生は、全然授業に出てこないのよ。ハンナさんは、彼と仲が良いの?」
「ええ、仲が良いというか……実は風見鶏時代の同級生だったんですよ。ハックフォードくんとは」
「えっ、そうなんですか」
ということは、コリウス先生とも同級生なのだろうか。そう尋ねてみると、ハンナさんは嬉しそうに頷いた。
「そうそう。コリウスくんと、レウィシアちゃんとね。ナナニ生は、なぜだかたくさん出世したんですよね」
「コリウス先生と、レウィシア先生も同級生なの?」
マーガレットが、驚いた声を上げる。
レウィシア先生といえば、『為政学基礎Ⅱ』で一度教鞭を執ったことのある先生だ。外交戦略研究室の助手だと名乗っていた、レウィシア・フランクリン。同級生のニースのお姉さんだ、と噂で聞いたことがある。
「私は地味な生徒でしたから、彼らとはあまり話したことはなかったんです。でも当時、あの三人は特に目立っていましたから……同級生たちの注目の的でした」
またあの三人が風見鶏に戻ってくるなんて――と、ハンナさんは夢見る乙女のように頬を紅潮させて呟いた。
確かに、レウィシア先生はニースにそっくりな黒髪美人の先生だ。コリウス先生と並んだら、さぞお似合いのことだろう。
見た目が地味なハックフォード先生が目立っていた、というのは、少し意外だけれど。
「レウィシア先生の授業は良かったけど、コリウス先生の授業は、いつも激しいわ。みんな毎回、死にそうになっているもの」
マーガレットがそう言うと、ハンナさんはアハハと声を上げて笑った。
「風見鶏の教壇にあの二人が立つなんて、私にはとても想像できません。ハックフォードくんも是非立ってみてほしいわ。でも彼は、教育者には向かないんでしょうね」
ハンナさんは気分が乗ってきたようで、彼らに関する話を次々と聞かせてくれた。
レウィシア先生は、風見鶏を卒業後、しばらく実家に戻っていたが、三年前に『風見鶏の錬成師』の資格を取るため助手になったらしい。
ハックフォード先生は、卒業後に外部機関へ就職したが、二年前に突然、教授待遇で学長に招き寄せられたという。
そして彼らに続くようにして、今年度からコリウス先生も教授となった。
「それはもう、びっくりしましたよ。特に教授のふたりは若いし、異例中の異例です。ハックフォード先生は、今までアイビー先生が持っていた『風見鶏最年少教授』の記録を更新したんですからね! バルマー・ブレガーの子孫であるアイビー先生より優秀なのかって、大騒ぎになりました」
鼻息荒く語っていたハンナさんは、ふいに声のトーンを落とした。
「ですが……聞いた話によると、この無理な採用に抗議した先生もいるらしいんです……誰とは言いませんが……」
僕の頭には、アイビー先生とヘルムート先生の顔が浮かんだ。抗議しそうなのは、そのふたりだろう。
「でもね、私は嬉しかったんですよ。出世した同級生を、こんなに近くで見られたんですから。 まさかね、アイビー先生と同じ教授になるなんて。当時は三人揃って、よくアイビー先生のお説教を受けていたんですよ? 信じられないでしょう?」
「アイビー先生って、その頃から教授だったんですか?」
「ええ。その時は新任教授で、ナナニ生の学年担当だったんですよ」
アイビー先生の今の年齢は、三十代後半くらいのはず。ナナニ生ということは十三年前。つまり当時は、二十代後半だった計算になる。
アイビー先生とコリウス先生の仲が良いのは、かつての担任と教え子の関係だったからなのか。
「三人は、どうして説教されていたの?」
「あまり大きな声では言えないんですけど……七不思議を調べるんだって言っていました」
周囲を気にしながら、ハンナさんはそう教えてくれた。
七十ニ年入学生の間でも、僕たちと同じように、七不思議を調査するというのが流行ったらしい。
彼らは僕のように、深夜に寮を抜け出すことを繰り返し、見つかるたびにアイビー先生にこってりと叱られていた。
「これは、本当に内緒の話なんですけど……七不思議に『神の子の棺』ってあるのをご存知ですか?」
「ええ。知っているわ」
「それ、本当に学内にあって、神子様がそこで眠っておられるんですよ」
ああ、なんだ。そのことか……。すでに知っている僕たちは、冷静な顔でそれを聞いた。
僕たちの反応が薄かったせいか、ハンナさんは少し焦ったように、さらに顔を近づけて、追加の情報を落とした。
「信じられないかもしれませんが、本当なんですよ。私、何度かお会いしたことがあるんです。神子様と」
「そうなんですか……棺で眠っている神子様と、ですか?」
「いえいえ、とんでもない。起きておられる神子様ですよ。ナナニ生と神子様で、こっそり遊んでいたんです」
「ええっ?!」
ようやく期待どおりの反応が得られ、ハンナさんは満足そうに頷いた。
「このことは、『学外の誰にも話してはいけない』って、卒業する時にアイビー先生から厳重注意されたんですけど……おふたりは学内の生徒さんだから、大丈夫ですよね」
ナナニ生だけが知っている内緒話です――
そう前置きされた彼女の話に、僕たちはすっかり夢中になった。
神子は、本当に普通の子供のようだったという。むしろ、当時二年生だったハンナさんたちよりも、少し幼く感じてしまうくらいだった。
「夜は学内探検、お昼間は室内で、ちょっとしたゲームなどをやっていました」
彼女は校則を破りたくなかったから、夜の遊びには参加しなかった。昼間の遊びに何度か参加したことがある――そう語ってくれた。
「神子様は本当は、体を動かすような遊びをしたかったみたいですけど、主に頭を使うようなボードゲームをしていましたね。とても活発な方で、彼についていける身体能力があるのは、コリウスくんくらいでした。みんなで安全に遊ぶためには、室内遊びをするしかなかったみたいです」
でも神子は、ボードゲームが不得意だった。ハックフォード先生とレウィシア先生にどうしても勝てず、憤慨していたらしい。
コリウス先生とは同レベルで、良い勝負をしていたという。
「コリウスくんとふたりで、もう一度やろうって、ハックフォードくんにせがんでいたのが印象的でした。レウィシアちゃんは優しいから、時々わざと負けるんですけど、そういうのは気に入らなかったみたいで、それにもよく怒っていました」
そうして楽しく遊んでいた時間は、数ヶ月ほどしか続かなかった。
とある事件が起きてから、あっさりとその遊びの時間は、なくなってしまったのだという。
「事件……ですか?」
「ええ。同級生の数人が、突然退学になったんです。どうしてそんなことになったのかは、私にもわかりません。でも、その後から、誰も神子様の話をしなくなりました」
レウィシア先生に聞いても、『神子様は再び眠りにつかれました』としか教えてくれなかったらしい。
その後も、コリウス先生とハックフォード先生は、性懲りもなく校則違反を繰り返していたそうだが、レウィシア先生は、ハンナさんの友人グループに入ったり、別のグループに入ったりしながら、すっかり大人しくなってしまったのだという。
僕はその話を聞いて、二ヶ月前の自分の姿と重ねてしまった。
もしかして、レウィシア先生は、何か恐ろしい場面を目撃したのではないか。
だから七不思議から手を引いた。
この二ヶ月間、僕が平和に暮らしたがっていたように。
コリウス先生とハックフォード先生の関係は、聞いている限りでは良好そうだ。
それなのに、どうして今は、警戒しているようなことを言うのだろう。
神子と彼らの間に、一体何があったのか。
僕たちがハンナさんの手伝いを始めて、二週間が過ぎたころ。
授業終わりに図書館を訪れた僕たちの姿を見て、ハンナさんはぱっと笑顔になった。
「おふたりのお陰で、昨日ようやくお引っ越しが完了しまして、新しい目録が完成したんですよ!」
ハンナさんは、真新しい板に打ち付けられた白い紙を見せてくれる。そこには、アスティル体に改められた本のタイトルが、ずらりと並んでいた。
僕としては、前の落書き入りの目録の方が良かった。どれが鍵付きの資料かわからないじゃないか……。
肩を落としていると、マーガレットが何気ない様子で問いかけた。
「ハンナ。この閲覧注意図書は、どこにしまってあるの? せっかくだから、整理された棚を見てみたいわ」
「ええ、ぜひぜひ、見てください。ピカピカの錠も格好いいんですよ」
ハンナさんは何の疑いもなく、僕たちを受付の奥へと招き入れる。
そこには地下へと続く階段があり、内部は鉱石ランプにぼんやりと照らされていた。
「埃っぽくてすみません。あ、触らないでくださいね。貴重な資料ばかりですから。見るだけですよ」
「はい、わかっています」
地下は狭く、カビ臭く、暗かった。
壁に設置された鉱石ランプのお陰で、物にぶつからない程度には辺りを見渡せるのだけれど、ハンナさんが持つ携帯用の鉱石ランプがなければ、本のタイトルなど、とても読めそうにない。
天井まで届く本棚に仕切られた、迷路のように狭い通路を、うねうねと曲がりながら進み、ハンナさんはようやく、ぴたりと足を止めた。
「見てください、あちらです。ハックフォード先生が用意してくださった、鍵付きの書庫ですよ!」
確かに、自慢したくなるのもわかる。
そこには、とても立派な彫刻が施された書庫があった。両腕を広げたほどの幅の棚で、両開きの扉には、大きな銀色の錠がかかっている。
「この一帯が閲覧注意図書でして、鍵マークのものが、こちらの書庫に入っています」
なるほど。
僕が狙うべき本は、この書庫の中にあるわけだ。
地上に戻った僕たちは、ハンナさんにお礼を言い、ライズが待つ机へ戻った。
「かなり厳重ね。やっぱり正式な申請をしないと、駄目なんじゃない?」
「でも、申請書一枚につき一冊なんだよね。読みたい理由も、なんて書けばいいのか……」
「適当に書いたらいいでしょ。まさか審査があるわけじゃ……いえ、あるかもしれないわね……」
鍵をかけるほどに管理されている本だ。正当な理由がなければ読ませられないと、言われてもおかしくない。
そうなった場合、本も読めない上に、
“鍵付きの本を読もうとした生徒”として注目を浴びる――
踏んだり蹴ったりな事態になる。
どうしたらいいか……。
僕とマーガレットが、うんうん唸りながら考え込んでいると、ライズは白い目で僕たちを見やって、こう言った。
「きみたち、真面目に課題をやりなよ。いつまで、ぼくのレポートを丸写しする気なの?」
お怒りはごもっともだ。
ここ二週間、完全に彼に頼りきっていた僕たちは、彼の機嫌を取るべく、しばらくの間、勉学に勤しまなければならなかった。




