第六章(2)
この小さな犬は、よほど話し相手に飢えていたと見える。僕の問い掛けのほとんどに、丁寧に回答してくれた。
「君はどうしてここで石像に変身しているの?」
「神子のお守りをしているのですよ。昼は弟、夜はワタシの担当なんです」
「弟……さんが昼間は石像に変身しているの?」
「弟はたまに見回りに来るだけみたいですよ。ワタシはその時間は担当じゃないからよく知らないですけど」
「石像になっているのはどうして?」
「夜はワタシは眠たいですから、見ただけで皆が逃げ出してくれたほうが都合がいいのですよ。怖い石像がいたら悪い子供たちは怖がって近寄って来ないのです!」
「神子に近寄らせないのが目的で、石像になっているの?」
「いえ、神子に近寄らせないのが目的ではないです。神子を起こそうとするような善良な生徒が現れたら、その子と遊んで、それを学長に報告するのがワタシの役目です」
「えっと……それじゃあ、今僕と話しているのは……」
「はい。フリックは脅されて驚かされて、ヒドイ目に遭いながらもまたここにやってきましたから、期待の新人さんなのです。つまりは『遊んでも良い』という許可が下りたことになるのですよ。ワタシはめいっぱい遊んで学長に報告するのです」
「報告……」
僕がここで探った内容は、学長に筒抜けになってしまうということか。若干の気味の悪さを覚えたけど、学長は僕の味方のようだし、あまり気にしなくても良いのかなとも思う。
「君はいつから神子のお世話をしているのかな。十年前のことは知っている?」
「十年前ですか? スミマセンが、ワタシは時間の感覚がニンゲンとはちょっとズレていて、十年前というのがいつかわかりませんです」
そりゃあそうだろう。犬なんだから……。僕は変な質問をしてしまったと反省した。犬の寿命はたしか十年くらいだと聞いたことがあるから、子犬のように見えるこの子にはきっとわからないだろう。
「十年前に、コリウス先生がここに来ていたんじゃないかと思うんだけど……」
知っているハズがないよなと思いながら呟く僕に、彼女はキッと目付きを鋭くしてこんな反応を返した。
「コリウスとはゼッコーしたのです! アイツはヒドイのです! ヒドイのですよ!」
「えっ……?」
どういうことだろう。豹変した態度に僕が狼狽えている間も、彼女は文句を言い続けている。
「コリウスはウソツキです。黙っていると約束したのに、学長に告げ口しました! ワタシの……ワタシの失態を……! ワタシは、すっかりコリウスを信じてしまっていたから、うっかりお腹を撫でさせてしまって……」
「えっと、待って。君はコリウス先生とも喋ったことがあるの?」
「はい。彼とはちょっと前からの知り合いです」
「ウソツキってどういうこと?」
「それは……」
彼女はギリリと歯を鳴らし、とても憎々しげな鋭い目をして、震える声で語った。
「ワ、ワタシは、大人の上品なレディとして振る舞うように、努力していますが……眠っているときにごくたまに、品がない頃のクセが……出てしまうことがあるのです。アッ、そういえば、フリックにも聞かれましたっけ……」
「えっとそれは……"おなかを撫でて"って言っていたこと?」
「ピャーーー! 止めてください! それは言わないで!」
ゴロンゴロンとのたうち回りながら奇声を上げるディクティス。その様子を眺めながら、僕の頭にはひとつの可能性が浮かんでいた。
もしかして……この子が語ろうとしていることは、すごくどうでもいいことなんじゃないか。
彼女はヨロヨロと立ち上がり、グシャグシャになった毛並みを懸命に整える。そして震える声で続きを話してくれた。
「未熟なワタシはあのニンゲンに誑かされて、ついついおなかを撫でることを許可してしまったのですよ。それは絶対に学長には話さないでと約束しましたのに、あのニンゲンは学長の前でその話をしたのです……」
しくしくと泣きはじめる彼女に、僕は何だか居心地が悪くなる。クラスの女子グループの恋愛話に巻き込まれているような気持ちになる。
なんかちょっと違うのかもしれないけど、なんとなくわかった。コリウス先生はデリカシーがない。そのことにこの子はとても怒っている。
同時によくわかった。彼女は今は僕に好意的だけど、学長に『おなかを撫でてと言っていました』と不用意に告げてしまったら嫌われる。いとも簡単に"ゼッコー"されてしまう。それは避けないといけない。
「だ、大丈夫だよ、ディクティス。僕は学長と話をする機会もほとんどないし、絶対に君のその話はしないから……」
「絶対ですか? 絶対ですか? あなたが死ぬまで、半永久的にですよ? 約束できますか?」
「大丈夫だよ、約束するよ」
その答えを受けて、彼女はパアッと明るい表情を見せた。
僕はこのどうでもいい話を終わらせるべく、棺のほうに早足で歩みより、中を覗き込む。
そこには前回と変わらない姿の神子がいて、安らかな寝息を立てていた。
「ねぇ、ディクティス。この子はいつからここで眠っているのだろう」
「神子ですか? 彼はこの学校が建てられたあとすぐに眠りについてしまったと聞いていますね」
「この学校っていつ建てられたの?」
「さあ……ワタシはよく知りません」
そりゃあそうだよな。昔のことを聞いても仕方ない、この子は最近のことしか知らないだろうから。
「神子はずっと眠っているのかな、どうすれば起きるんだろう」
そう質問を変えると、彼女はビックリするようなことを言った。
「起きますよ。たまに起きます」
「えっ! 起きるの?」
「はい。起きますが、すぐに眠ってしまいます」
ディクティスが語るところによると、神子はごくたまに目を覚ます。目を覚まして、棺から出てフラフラとどこかに行ってしまう。大抵は学内のどこかに隠れて、また眠りについてしまう。
「ワタシが居眠りしているときに起きられるとですね、探すのが大変なのですよ」
学内を兄弟で懸命に探すらしい。弟の一人が探すのが上手く、いつもすぐに見つけてくるらしい。
「ワタシがちゃんと起きているときは後をつけて、どこに隠れたかはすぐにわかるのですが」
「声をかけたりしないの? 僕にしたみたいに、一緒に遊ぼうと言わないの?」
「それは……できないんです」
「できない? どうして?」
彼女はとても悲しそうな顔をして、ゆるゆると首を横に振る。そして別人のように品のある口振りで、意味深なことを呟いた。
「ワタシたちはニンゲンではありません。本来ならこの世界に関わるべきではない存在です。神子の問題はワタシたちが解決すべきでない。あなたたちニンゲンが解決しなければならないと考えています」
「…………」
僕はその言葉をどう解釈して良いのかわからなかった。
わからなかったので、単にディクティスが神子を突き放しているように感じてしまい、寂しい気持ちになった。
「君は神子と毎晩一緒にいるのに、声をかけてあげないんだ……」
話し相手に飢えているなら、神子を起こしてお話しすれば良いのに、彼女はそうしない。
たまに起きたときも、遊ぼうと声をかけずに後をつけるだけ。
どうしてディクティス兄弟はそのような行動をとるのだろう。学長がそうしなさいと言っているのだろうか……。
「学長は、神子をどうしたいんだろう。起こしたいのか、起こしたくないのか」
「起こしたいと思っているはずです。ですが、彼を起こすのは、あくまでもあなたたちニンゲンの仕事です」
「神子はどう思っているんだろう。起きたいと思っているのかな」
「起きたいと思っていないから、眠ってしまうのです」
「どうして起きたいと思っていないんだろう」
「それを調べるのが、あなたたちニンゲンの仕事です」
「…………」
僕は棺の中を眺める。相変わらず安らかな顔で、神子は眠りについていた。
黒くてツンツンとした、ちょっと固そうな髪質。あまり高くない鼻と、そんなに長くない睫毛。その平凡な顔立ちを眺めていると、コリウス先生の言葉が甦ってくる。
『神子を怖れることはない。あれはただの子供だ。むしろあれのほうが、私たちを怖れている』
きっとそうなんだろう。この子はただの子供だ。僕たちと同じ年頃の子供だ。
何故そんな彼が、起きたくないと思っているのだろう。彼の身に何が起こったのだろう。彼が眠りについたという、"学校が建てられた頃"に何が起こったというのだろうか。
「七不思議を調べてください、フリック。七不思議はすべて神子に繋がっています」
七不思議を動かしてほしい。コリウス先生も僕に言った。その時はずいぶん勝手なことを言うものだと反発したけど、ディクティスの言葉はすんなり僕の中に入ってきた。
神子のことが知りたい。
彼がどうして起きようとしないのかが知りたい。
僕の中に、純粋な好奇心が沸き上がってくるのがわかった。
次の白陽日、僕はライズとマーガレットを誘って一日中図書館で過ごした。
調べものをするためだった。まずは風見鶏が建立された辺りの歴史を調査しようと考えた。
「風見鶏が建ったのは戦前よ。確かアスティリア建国の数年前くらいだって、おじいちゃまが言っていた気がするわ」
マーガレットが教えてくれた話では、風見鶏の正式名称『アスティリア国定三学研究所付属高等士官学校』は、ごく最近付けられたものらしい。昔は違う名前で呼ばれていて、通称名だけがずっと変わらず『風見鶏』だから、通称名のほうが広く知れ渡っている状態らしい。
「なんだってそんなことを調べようと思ったの」
ライズにそう訝しがられたけど、僕はなんとなく、と答えて誤魔化した。
「確かに風見鶏の歴史とか、あまりよく知らないから面白そうだわ」
マーガレットはそう答えて、協力したいと申し出てくれた。
その日は一日中探したけど、何故だか僕たちが知りたい辺りの歴史が書かれた本は一冊も見当たらなかった。
「どうして無いんだろう」
「アスティリア建国前は、少し文字が違っていたのも関係するかもね」
「文字が違う?」
「ええ。ザヴィック体って知っている? とても豪華な飾り文字なのだけど。あの形が大帝国ザイヴァの書籍に使われる一般的な文字だったの」
その後アスティリアが建国されてから、紙に印刷技術する技術が開発されて、大量生産しやすいように現在のアスティル体という文字に改良された。
「ザヴィック体の本じゃないと、その辺りの歴史が書かれていないのかもしれないわ」
「ザヴィック体の本か……写本しかないだろうから、別の場所に保管されているのかもしれないね」
昔の本は印刷できなかったから、欲しい人はそれぞれが原本を書き写して写本というものを作り、細々と増やしていくしかなかった。だから一冊一冊が貴重で、現在の本の何百倍も高価だと聞いたことがある。
「そういえば、七不思議に『大帝国の禁書』というものがあったわね」
そういえばそうだ。大帝国とはどこのことを指しているんだろうと以前疑問に思ったような気がする。
「ロイドさんたちは何か言ってたっけ。大帝国の禁書がどこにあるのかとか」
「あまりその話はしていなかったわね。学内にある七不思議関係の資料は大体ハックフォード先生かキュービット先生が隠しているとか、そのように話していたような気もするけど」
ハックフォード先生。僕はドキリとした。コリウス先生も「気を付けろ」と言っていた怪しい人物だ。
「あまりそのふたりには関わりたくないな……」
僕がボソリとこぼすと、マーガレットも苦笑いを浮かべて頷いた。
「わたしもあのふたりは苦手だわ。授業もあのふたりだけ特にヒドイじゃない! 教科書棒読みで、眠たいったらないわ。生徒のことなんて何も考えていない先生なのよ」
調査が手詰まりになった僕たちは、黙り込んでしまった。やっぱりただの平民の僕には何もできないのかもと、早くも諦めかけていた時。今までずっと沈黙を保っていたライズがこんなことを呟いた。
「そんなに気になるなら、サファーにでも聞けば良いじゃない」
「えっ……?」
何気なく放たれた意外な人名に、僕は一瞬理解が追い付かず思考が固まった。
「サファーだよ、サファー。アイツに聞いてみれば良いじゃない。大抵のことは答えてくれるよ」
僕はマーガレットと顔を見合わせた。確かに先生の中では比較的話しやすい人でもある。ロイドさんたちも調査に協力的だと言っていたし、彼女に聞いてみても良いのかもしれない。
「ライズって、サファー先生とどういう関係なの……?」
僕のその問いには答えてくれなかったけど、確か以前サファー先生は『ライズくんの主治医だ』と言っていた。
学校に入る前からの仲なんだろう。
明日、朱陽日の授業の後に、サファー先生を引き止めて質問してみようと決めて、その日の調査は切り上げることにした。




