第四章(4)
サファー先生に連れられて、僕は反省室から違う部屋に移動した。
そこは小さな講堂のような部屋で、真ん中に人がひとり立てるくらいのスペースがあり、僕はそこに立たされた。
周囲をぐるりと肘くらいの高さの柵で塞がれていたから、許可なく外に出られそうにない。
僕のスペースを中心にして、階段状に座席が配置されており、正面の階段の先だけに荘厳なデザインの机が設置されていた。
すでに席はたくさんの人に埋められていて、よく見る顔ばかりがずらりと並んでいる。
最下層の左側の席にいるのは、アイビー先生、キュービット先生、国営学基礎Ⅱを担当しているビクトール・オルフ先生、あとひとりは知らない先生だ。右側にいるのはコリウス先生、メイ先生、ヘルムート先生、サファー先生。
そして正面の机にはジータ学長が座っていた。
「定刻になりましたので、始めます」
口火を切ったのは、僕が知らない左側の先生だ。くすんだ緑色の短髪の、眼鏡をかけた怖そうな先生だった。
「懲罰生徒、フリック・ラーベスが関わった事件のおさらいをします」
その先生は、手元にある書類を淡々と読み上げる。
「フリック・ラーベスは五月二十一日の晩、消灯時間を過ぎた後に寮から抜け出した。その姿を寮母が目撃しています。彼は他寮の生徒、ロイド・ラビオリと共に講堂の最上階に向かい、そこで大変不敬な行為に及んだと思われます」
え……? 僕はその内容に戦慄した。
僕が、『ロイドさんと共に』講堂に向かった? マーガレットじゃなくて?
「不敬な行為に関しては言及を避けますが、そこで起こった事実を述べます。ロイド・ラビオリは神の粛清を受けて消滅しました。彼が持ち込んだと見られる短剣が現場に残されていました。それがこちらです」
先生は、見覚えのある短剣を見せる。場内のみんながそれに注目するなか、僕は戦慄に身を震わせていた。
ロイドさんが消滅した……。『消滅した』?
消滅って何だ? ロイドさんは亡くなってしまったということ……?
「ロイド・ラビオリの不敬行為は明らかです。神罰が下りましたから。しかしこのフリック・ラーベスについて、神は罰を下していない。我々はどうすべきか、慎重に話し合わねばならない。
……私見を述べますが、彼はほとんど同罪です。然るべき対応をしなければなりません」
何だかとんでもないことを言っている。どこが大丈夫なんだろうか。僕は冷や汗を垂らしながら、サファー先生を見る。
彼女は普段通りの柔らかい笑顔を浮かべてこう述べた。
「わたしからも意見を述べさせてください。わたしの調べによると、事実は少し違うようです。フリックくんに話を聞きましょう」
彼女はこちらに視線を向けて、口を開く。
「フリックくん。先ほどのハックフォード先生のお話に、何かおかしな点はなかったかな?」
「えっと、おかしな点……?」
あるにはあったけど、どのように答えたら良いかわからない。戸惑っていると、サファー先生がさらに助言をしてくれた。
「あなたはロイドくんと共謀したわけではないでしょう。他の生徒と一緒に行こうとしていたんじゃないかな?」
ああ、そういうことか……。サファー先生の言いたいことはわかったけど、僕はやっぱり発言を躊躇った。
だって、僕が話せばマーガレットたちを巻き込むことになる。彼女たちはまだ、この事件の関係者となっていないのだろうから、名前を出すのは可哀想だ。
僕が困っていると、サファー先生は緩く首を振る。
「フリックくん。この場所では真実を話さないとダメよ。神に誓って、本当のことを話してください」
彼女は学長の頭上にある、太陽を模した彫刻を見上げた。
神に誓って……。それは、ゼリー事件を目の当たりにした僕には、とても重たい言葉だった。
「えっと、僕は……その日、マーガレットと約束をしていて、その晩はずっとマーガレットと行動をしていた……つもりでした……」
「マーガレットというのは、同級生のマーガレット・アレクサンドラのことですか」
「はい、そうです」
僕の言葉に、左側の先生方は一斉に眉を潜めた。
「証人がいます。フリックくんの話が正しいことを証言できます」
サファー先生は間髪入れずにそう言って、背後に佇むノギスさんに目線を送った。
彼女はスッと奧に消え、どこからかひとりの生徒を連れてくる。連れてこられた生徒はサファー先生の隣の小さな机について、無愛想な顔でこんな証言をした。
「ぼくは、フリックと同室です。その晩は既に眠っていたんですが、彼が部屋を出ようとしているとき、たまたま目を覚ましました。誰かがフリックを訪ねてきたようで、フリックはその人のことを『マーガレット』と呼んでいました」
「訪ねてきた人の顔を見ましたか?」
「いいえ。見ていませんが、フリックは確かに、マーガレットと呼んでいました」
「そうですか。ありがとうございます」
ライズは一礼をして去っていく。一瞬だけ目が合って、ひどく顔をしかめられた気がする。
迷惑かけてごめん……僕は謝罪の念を視線に籠めながら、彼の背中を見送った。
「もうひとり、証人がいます。あなたからも一言お願い、ノギス」
「かしこまりました」
続いて証言台に立ったのはノギスさんだった。
「私はあの晩、定例の見回りをしておりました。フリックさんが他寮の生徒とロビーを歩いていましたので、注意をいたしました」
「他寮の生徒とは誰ですか」
「わかりませんが、金色の髪をした男子生徒でした。三年生か四年生だと思われます」
「ロイド・ラビオリは四年生ですね。金色の髪をしています。フリックくんを部屋まで迎えにきた人物は、彼だと断定しても良さそうですね」
サファー先生がそう語り、ノギスさんに下がるように言う。彼女は会釈をして、元いた場所に戻っていった。
「そういうわけで、その晩フリックくんはマーガレットさんと一緒に過ごす約束をしていた。だけど、迎えにきたのはロイドくんだった」
「どうしてフリック・ラーベスは、ロイド・ラビオリをマーガレット・アレクサンドラと見間違えたのか」
「それについては断定はできませんが、錬石を使ったと考えれば説明はつきます」
サファー先生は一欠片の石を取り出した。波紋のような模様のある、緑色の石だった。
「これはクラフティティフォン、学名Ⅴ・Ⅴ・Ⅶ、クラフティ系の錬石です。他人に幻想を見せる効果があります」
先生たちは頷いている。先生方にとっては常識に近い知識なのだろう。
「扱いが難しい錬石ではありますが、フリックくんはその晩マーガレットさんが来ると確信していました。そのような条件下であれば、四年生レベルの技術があれば、ロイドくんがマーガレットさんに化けることは充分可能だったでしょう」
そのような説明で、左側の先生方は納得してしまった。そうか、幻想を見せる効果……。もしかして、ノギスさんや白い犬の見え方がおかしかったのも、その錬石のせいだったのだろうか。僕がそう考えていると、眼鏡の先生、ハックフォード先生が次の質問を投げつけてきた。
「フリック・ラーベスがマーガレット・アレクサンドラと過ごす予定だったのはわかりました。しかし、そんなことはどうでもいい。そもそも彼は、マーガレット・アレクサンドラとどこへ向かう予定だったのか。二人の目的は、ロイド・ラビオリと一緒だったのではないか?」
それを言われると、苦しい。僕たちの目的も、神子の棺を探すことだったのだから。
どう弁明する気だろう。サファー先生は相変わらずにこやかな表情で、次の証人を連れてきて良いですかと発言した。
ノギスさんに連れられて、証言台に現れたのはマーガレットだった。
僕は彼女の姿を見て、心から安堵した。
良かった、ゼリーになったのはマーガレットじゃなかったんだ!
ほっとしたのも束の間、マーガレットは泣き腫らしたような真っ赤な目をしていたので、僕は一転不安になってしまう。
彼女は真剣な顔でハックフォード先生を見据えて、こう口火を切った。
「わたしが悪いんです! 先生……フリックは悪くないんです」
「どういうことでしょう。マーガレット・アレクサンドラ」
怪訝な様子で顔を見合わせる先生方。彼女はいつものようにキリッとした意思の強い瞳で彼らをぐるりと見渡し、よく通る声でこう述べた。
「フリックは無理矢理付き合わされただけです。ロイドが講堂の上に神の子の棺があるらしいと言い出して、フリックに見てこいと言い始めたんです。わたしは、自分が一番に神の子の棺を見つけたかったから、フリックと一緒に行くと言い張ってしまったんです」
「ロイド・ラビオリが言い出した?」
「はい。七不思議のことをわたしたちに教えてくれたのはロイドです。七不思議のひとつ、神の子の棺が講堂の上にあると言いました」
ハックフォード先生は顎に手を当てて、何かを考える素振りを見せる。
「……マーガレット・アレクサンドラ。あなたは何故、神の子の棺を見つけたかったんですか?」
その問いに、マーガレットは躊躇なくこう答えた。
「同級生を見返すためです! わたしたち新入生の間では、七不思議の噂が流行っていました。わたしとフリックは同級生に馬鹿にされていましたから、見返すチャンスだと思ったんです!」
「それだけですか?」
「それだけです!」
「……そうですか。ところで、あなたはその晩何故フリック・ラーベスを迎えに行かなかったんですか」
「それは……」
マーガレットはその質問で初めて口ごもり、少し考えてから口を開いた。
「その日はなぜか眠ってしまったんです。準備万端にして、消灯時間を迎えたところまでは覚えています。だけどその後の記憶がなくて……」
「…………」
ハックフォード先生は再び考えるような間をとってから、サファー先生に目配せした。サファー先生はマーガレットにお礼を言って、奥の部屋に下がらせた。
そこで初めて、学長が動いた。カンカンと木槌を叩き、場内の全ての人を注目させた。
「これで大体の状況がわかりましたね。どうやらフリックくんとマーガレットさんは不敬行為には無関係のようだ。神の粛清を受けていないのだから、そういうことなんです」
誰も反論しない。右側の先生たちは深く頷いている。
場内をぐるりと見渡してから、学長は続けた。
「フリックくんは利用されたようですね。不敬行為に及んだ生徒は、不敬行為が成就した先のことを考えていた。つまり、犯人をフリックくんとマーガレットさんに仕立てようとしたわけです」
「……しかし、これは……。ロイド・ラビオリ単独の企てではありませんね」
今まで沈黙を保っていた、キュービット先生がボソリと呟く。
「状況から考えて、複数の錬石が使用されたと考えられます。生徒が錬石を個人所有することは禁止されている。彼に錬石を提供した者が背後にいる……」
「それは今後の調査で明らかにしましょう。とりあえずフリックくんはこの件に関しては無罪です。消灯時間後に寮を抜け出した罰として、一週間の謹慎を言い渡したいのですが、いかがでしょうか」
異議なし、との声がちらほら聞こえ、あとはみんな沈黙をしていた。
学長先生は軽やかに笑い、木槌をカンカンと鳴らす。
それは閉会の合図だった。
僕は部屋に戻る許可をもらい、一週間ほど寮から出ないようにとノギスさんから命じられた。
僕は丸一日眠っていたらしい。僕が帰寮した日付は、五月二十三日、朱陽日の朝だった。




