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衰退世界の風見鶏  作者: 小柚
1年目
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第一章(1)

 カサカサカサ……。

 耳元で何か、軽いものが擦れる音がする。うっすらと目を開いた僕の視界に、白っぽい物体の像がぼんやりと浮かび上がってきた。

「紙切れ……?」

 そう呟いた僕は、くちゃくちゃに丸まった白いものを手に取る。そして破れないように丁寧に、それを広げてみた。

 同じ個室の乗客が捨てていったのだろうか。それとも、風に乗ってどこからか飛んできた?

 誰が書いたのかはわからないけど、その紙には殴り書いたような汚い字でこう記されていた。


ーー『復讐を 忘れるな』ーー


---


 車窓を流れる景色をぼんやりと見つめる。いつの間にか眠ってしまったみたいだ。狭い個室に荷物を押し込み、体を寄せ合っていた乗客が今や一人もいなくなっている。

 僕の隣にはポツンと革のバッグだけが座り、目の前にはくしゃくしゃの紙切れだけが残されている。景色は広大な平原が広がり、遠くに山脈が見える。

 ……寒そうだな。僕は思った。暦の上では春だというのに、山は未だ白い冠を被っている。僕が乗る汽車は、まっすぐにその山脈の方向に走っている。

 ……参ったな。あまり厚着は持ってきていないぞ。

 僕の家は裕福ではないから、上着と言えば今着ている革のジャケットだけだ。靴下にも穴が開きそうだし、靴底は磨り減ってしまっている。

 仕方がない。我慢しよう。我慢するのは、僕の数少ない『得意なこと』じゃないか。

 段々と近付いてくる白い山々に、僕は不安になりながらも窓のカーテンを閉めて、目的地までの時を穏やかに過ごすことに努めた。

 目的地は、この路線の終点だった。ふたつの山脈に挟まれた、この国で最も標高の高い街『学都ベルフォート』。到着を知らせる声が個室の外を通りすぎ、僕はカバンを抱えて汽車を降りた。

 肌寒い。僕は小走りになって駅舎に向かう。震える手でカバンを探り、茶封筒から手紙を引き出す。

「駅舎を出て、三本目の柱の側にある停留所からバスに乗る」

 バスが来るのは、午前九時から一時間置きに一本ずつ。駅舎の柱時計は、午前十時半を指していた。

 あと三十分後か。ほっと息をつき、僕は茶封筒に手紙を突っ込んだ。そして入り口からそっと駅舎の外を伺う。外は風が当たって寒いから、駅舎からまだ出たくない。

 停留所には既に数人の姿があった。保護者連れのグループが多く、僕みたいに子供ひとりで来た人は居ないようだ。和気あいあいと楽しそうな光景に、僕は卑屈な気持ちが沸き上がり、駅舎内に体を引っ込める。

 仕方ないじゃないか。僕の家は裕福でないから、家族分の旅費なんて払えないんだから。

 しばらく駅舎内のベンチで心を落ち着けて、出発の十分前に徐に腰を上げる。停留所にはさらに人が増えていて、もう少し早く並んでおけば良かったと後悔した。

 定刻から十分ほど遅れてバスが到着した。馬が引かない大きな車。初めて見るその姿に、ついつい僕の目はキラキラしてしまう。

 カッコいいなぁ……!

 知識だけはあった。機関車と同じ動力で走るクルマ。『火力石』と呼ばれる石ころを燃やし、水を沸騰させた蒸気で動くクルマだ。

 黒光りするそれは、想像よりも大きくて威圧感がある。胸を高鳴らせながら車内に乗り込むと、赤い毛並みの高級そうな客席が左右の窓際に並んでいた。

 相変わらず、周囲は和気あいあいとして騒がしい。僕はキュッとカバンを抱き締めながら、存在感を消すことに集中していた。

 そんなとき、隣に座った女の子が僕に声をかけてきた。

「あなたも『風見鶏』の新入生?」

 僕は驚いてパッと顔を上げる。視界に飛び込んできた相手の容貌に、僕はさらに驚いて息を飲んだ。

 こちらを覗き込む少女。今まで見たことがないくらい綺麗な女の子だった。金色の巻き毛を肩に乗せ、宝石のように煌めく空色の瞳で僕を上目遣いに見ている。

 彼女の美貌に圧倒されて、僕は返事もできずに口をパクパクさせていた。

「違うよ。どう見ても平民の子供じゃないか。田舎から出稼ぎに来た使用人だよ」

「ええ? そうなの? 同い年くらいに見えたから、てっきり……」

 僕が返事に窮していると、女の子の向こう側から男の子の声がした。女の子と同じ金色の髪の綺麗な男の子。きょうだいか何かなのかもしれない。二人は良く似た顔立ちをしていた。

「本当に? 新入生じゃないの?」

 再び問いかけられたけど、僕は返事をすることができない。モタモタしている間に、向こう側から溜め息混じりの声が聞こえた。

「やめてよね。誰にでも話しかける癖は良くないよ。ねぇ、お母様」

 男の子のさらに向こう側には両親が座っているらしい。女の子はばつが悪そうな顔をして、僕から目を離してこう言った。

「わかったわ、わかったから。もう。大人しくしているわ」

 一瞬だけ彩り豊かになった目の前が、再び寒々としたつまらないものに戻る。僕に興味を持ってくれる人など他にはいない。僕はまた、存在感を消すことに集中しなければならなかった。

 車窓には鬱蒼とした森が広がる。バスはガタガタ揺れながら山道を進んでいた。半分開いた窓から、冷たい風が吹き込んでくる。僕は身震いした。森には残雪が見える。街よりも更に気温が下がっている。

 僕以外の人たちは、暖かそうなコートを羽織っていた。窓が開いていても大して寒くないんだろう。羨ましいなと思い始めた頃に、ふわりと暖かいものが手に触れる。

「!」

 顔を上げると、先ほどの女の子が口の前で人差し指を立てていた。僕の手元には柔らかい毛糸の手袋が置いてあり、女の子の小さな声が耳に届いた。

「それ、貸してあげるわ。暖かくなったら返してちょうだい」

 そんなわけには、と言おうとすると、車内がガタンと揺れる。どうやら目的地に着いてしまったらしい。乗客たちは窓の外を指差して、歓喜の声をあげている。

「どっちにしろあなたも学校に住み込むのでしょう? また会う機会もあるでしょう」

 騒がしい周囲に紛れて、彼女は僕に耳打ちする。

「わたしの名前はマーガレット。マーガレット・アレクサンドラよ。あなたのお名前は?」

 心臓が高鳴る。息苦しさを覚えながらも、僕はなんとか喉を震わせて声を出した。

「フリック。僕の名前は、フリック・ラーベス、です……」

「フリック。良い名前ね。これからよろしくね」

 鈴の音のような心地よい笑い声。

 『これからよろしくね』。彼女の言葉が頭の中をぐるぐると回る。灰色だった周囲の風景が、再びキラキラとした光に満ち溢れていった。

 じゃあねと手を振り、家族と共にバスを降りていく彼女を見送る。僕は貸してもらった手袋を身に付け、カバンを抱いて後に続いた。

 バスを降りた先にあったのは、小高い丘に聳え立つ三角屋根の広大な施設。

 『アスティリア国定三学研究所付属高等士官学校』、通称『風見鶏』と言われる、国立のエリート学校だ。

 僕は出稼ぎに来た田舎者じゃない。この学校の生徒になるために、遠路はるばるやってきたのだった。


 正午から入学式が始まるそうだ。バスから降りた人たちは、学校の職員らしき人たちに誘導されて、一番近くにあった三角屋根の建物に通される。

 ぐるりと円状に連なった座席が、奥にある舞台を見下ろしているような内装の建物だった。

「ここは講堂です。式典のほとんどがここで行われます」

 好きな場所に座るように指示されて、僕はできるだけ人が少ない席を選んでちょこんと座った。

 しばらく待っていると、どんどんと人が増えていき、ついに定刻となり式典が始まった。

 最初に舞台に現れたのは学長のトマス・ジータ。床に付きそうなほど長い口髭を揺らしながら、入学の祝詞を述べる。

「……この学校は、アスティリア国の未来を担う優秀な学生のみを受け入れる特別な場所です。皆さんは、国民とご家族の期待に応えられるよう、勉学に励んでください」

 何やらそんなことを語っていた気がする。ほとんど頭に入らないうちに、ジータ学長の演説は終わってしまった。

 続いて新入生代表の挨拶が始まる。首席入学をした生徒が担当しているらしい。

「ぼくたちはアスティリア国民の代表としてこの学校に入学しました。国を導く者としての自覚を持ち……」

 これもあまり頭に入らずにいつの間にか終わってしまう。拍手の音につられて無意識に拍手をしたところで、ようやく意識を取り戻す。

 僕は完全に舞い上がっていた。だって、僕みたいな庶民中の庶民が、貴族の子息ばかりが通う名門中の名門のこの学校に入学できるなんて、未だに信じられないでいたから。

 天井の暗がりに煌めいている、星空のような灯りはどうやって作っているんだろう。風見鶏には国の最先端の技術が集まっている。故郷のみんなが見たらきっと『魔法』とか『幻術』とか騒ぎ立てるだろう不思議な技術がありとあらゆる場所にみられる。

 ずっと憧れていた学校だ。バスから降りて以降に見たもの全てをまだ全然処理しきれていない。早く落ち付いてそれらを楽しみたい、早く堅苦しい会から解放されたい気持ちでいっぱいだった。

 何人かの挨拶が終わり、在校生代表が歌う校歌を堪能した後、入学式はようやく閉会となる。講堂から出た人たちが好き勝手に学校の周囲を歩き回ったり、賑やかにお喋りしたりして、職員から注意をされるトラブルがそこかしこに発生していた。

「新入生はこちらに集まってください。寮に案内します。保護者の方はここまでのご参加となります。バスに乗ってお帰りください」

 やっと静かなところに行けるのか。僕は嬉しくなって職員さんの元に駆け寄った。僕たちを呼び寄せたその人は、黒いロングドレスを着た背の高い女の人で、指先から爪先までピシッと姿勢が整った厳しそうな人だった。

「新入生は『グロウリードーム』と呼ばれる寮に入ります。白い垂れ幕が目印です。白は新入生の色ですから、覚えておいてくださいね」

 女の人は『ノギス』と名乗った。グロウリードームの寮母さんらしい。初見は少し怖いと思ったけど、僕たちに微笑みかける表情は優雅で落ち着きがあり、親切な人なのかも知れないと思い直す。

「あちらにあるのが講義棟です。講義を行うところです。講堂の隣にあるのが研究所で、その隣が職員寮です。あちらが食堂と、図書館で……」

 ノギスさんが示す方を順番に見る僕たちだけど、どれも似たような三角屋根で違いがわからない。階段を上り、上級生らしき人たちがたむろする広場を通りすぎると、特徴的な景色が視界に飛び込んできた。

 五階建てくらいの塔が円状に並んでいる。真ん中に建った一つを取り囲むように六つの塔がある。それぞれ違う色の垂れ幕が下がっており、これがさっきノギスさんが言っていた目印だと理解できた。

「こちらが、皆さんをお迎えする『グロウリードーム』です」

 白い垂れ幕が下がっているのは、真ん中の塔だった。垂れ幕の下にある、古びた石造りアーチ状の入り口の前で、ノギスさんはこちらを振り返って微笑んだ。

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