暗闇に黒い玉を見つけた貴公子・1
「今、丸くて黒い玉のような物が見えた気がしたのだが」
歌劇場からの帰り道、こんな遅い時間にはもうあの角にはいないと分かっていながらも、誰も―――この場合エドモンドと家令ロバートそして馭者―――何も言わないせいで、わざわざ遠回りをして帰宅する途中。
主役の歌姫がタチの悪い風邪をひいて喉をやられたとかで、今夜は代わりに若き新人歌手が起用された。
すこぶる美人ながら、歌の方は声が高いばかりで技術的には発展途上といったところで。エドモンドの顔を三時間しかめさせた。
嫌気が露骨に出ていてもなお端正な顔で馬車内に座る主人の声は、珍しく自信なさげだ。
「もう一度通りましょう」
主人の返事を待たずに、家令ロバートが馭者台との境にある小窓を開けて指示する。
一区画回り角に差し掛かる随分前から、窓に額をつけるようにして、主従は暗闇に目を凝らした。
「いたな」
「はい確かに」
いつも立つ角より一軒奥。昼間は商品の並べられる台のすぐ脇に、身体を丸めてしゃがむリリーがいた。丸くて黒い玉。
夜もかなり遅い。他に人通りはなく、歩いていても気づく者もないだろう。
それにしてもあの暗さのなか、よく主人が見つけたものだと感心する。若い分夜目が利くという事か。
「何故こんな遅くに此処にいる」
お前なら何か知っているのだろうと視線を向けられ、家令はまだ言うつもりのなかった話を、しなければならなくなった。
「最近母親についた客が、どうもお嬢さんにちょっかいをかけるようで」
その一言でしかめていた端正な顔に険が加わった。
だから言いたくなかったのだ。前置きを口にする。
「肉屋の子供トムにリリーお嬢さんが漏らしたのを、肉屋の主人が私の耳に入れた話です。また聞きですので、どこまで信用できるのかも分かりません」
「かまわん。噂として聴こう。それでいいな?」
承知してくれればそれでいい。ロバートは言い難いながらも口にした。
「その客は『泊まり』を望むのだそうです。お嬢さんの母親は酒好きなのですが、年齢的にも酒に弱くなり、客に差し入れられて共に飲むと、必ずぐっすりと眠り込む」
口にしたくないのはこの後だ。
「その隙に男がリリーお嬢さんの寝ている床へ来て、その……『イタズラ』しようとするのだとか」
婉曲な表現にしてみたが、主人の不機嫌極まりない顔は変わらない。
肉屋の主人が「服の下に手を入れてくる」と表現したのを言い換えたが、逆に聞こえが悪くなったか。このまま話を続けた方が良いだろうと判断して家令は口を開いた。




