綺麗なものには唇を寄せると知る貴公子・1
雨で花が売れないリリーはおばさんに会いに門番部屋へ早くに行った。今日は帰れない日なのに、まだ坊ちゃまの家に行くのは早すぎる。そう思ってゆっくり歩いても着いてしまった。
雨はひどくなる一方で寒さに耐えきれず、今までで一番早い時間に家へと入った。
部屋は居心地よく整えられていて、暖炉の火は赤々と燃えている。いつものように誰もいない。
お湯から上がるとすぐ、坊ちゃまが帰って来た。髪を乾かしてくれる。リリーの髪は坊ちゃまのお陰で、みんなに誉められるようになった。
それはそれで面倒な時もあるけれど、キレイなお姉さんの方が売り上げがいいのも事実だ。大人になるならそこを目指さなくてはいけない。
「今日は眠くないのか」聞かれて首を横に振った。まだ眠くはないし、おやつも食べてからにしたい。
「では、字でも教えてやろう」
少し考えて坊ちゃまがそう言った。
エドモンドがリリーの背中にぴったりと張り付き、紙を押さえる左手の上に自分の手を重ね、ペンを持つリリー手の上からペンを握って文字を書いている。
教えているのは公国建国の歴史らしい。ロバートにしてみれば、もっと子供らしい物をと思わなくもないが、これもまた口に出すことはない。
「坊ちゃま。私頭が良くなったみたい。一度聞くと覚えられちゃう」
感に堪えない口振りのリリーに、エドモンドが冷笑で応える。
「頭など急に良くなるわけがないだろう。全て私の力だ」
ロバートはそこで、わざわざ椅子を背もたれのないものに置き替えて、エドモンドがリリーに覆い被さっている訳を知った。背中も両手も触れる部分全てから、異能で知識を落とし込んでいるのだろう。
エドモンドの一族、大公セレスト家は皆恐ろしく優秀で、数ヵ国語を自在に操り勉学でも非凡な才を持つ。
「この特殊な才がなければ我が一族にこれ程の繁栄はない」と、いつだったかエドモンドが話した事があった。
「これがあるから何事も短時間での習得が可能なのだ」と。門外不出と聞いたその能力を惜しげもなくリリーに使っているのは恐らく、一から教える事が面倒なのだろう。エドモンドは気の長い方ではない。
「今、何をした」
エドモンドの珍しい口調に、お茶の用意をしていたロバートは振り返った。リリーもごく真面目な顔をしている。




