《05》『呪いの魔女』の『同居人』
情報収集。
それが、吸血鬼――ウォーカーのすべきこと。
そのためには、ただ教会で引きこもっているだけではだめだ。教会には確かにたくさんの本があったが、それらのほとんどは宗教に関すること。必要なのはもっと別のもの。この国や、魔女に関することだ。
だからここ数日、ずっと図書館に通っている。
隅から隅まで全ての本に目を通す勢いで、読み続けているが大した成果を得ることはできていない。そもそもこの小国が成立したのも、せいぜい数百年前のことらしい。それならば、ウォーカーの方が年上だ。あまりにも歴史が浅い。そのせいで情報も少ない。
「……はぁ」
どうしたものかと嘆息をつきながら、雨の中を闊歩していると、
「あんた……旅の人だよな」
見知らぬ男が話しかけてきた。
思い返してみるが、記憶にない。いきなり話しかけられるような親しい間柄でもない。
「まあ、そうだが……あんたは?」
「俺はこの国の人間だ。それよりも、あんた……あの魔女の住処で暮らしているって本当か?」
誤魔化そうとも思ったが、すぐにばれることだ。
どうせ、この国の人間は知れ渡ってしまうことだろう。
「まあ、な。いい宿がないみたいだからな」
平然と言い放ったウォーカーとは裏腹に、男はギョッ、と目を剥く。
「あんた悪いことは言わない。さっさと教会から出て行って方がいい。さもないと――」
「呪い殺されるから、か?」
「……知っていて、あそこにいるのか?」
「呪いなんてものは信じられないね。少なくとも、今まで旅をしてきて、呪いで死んだ人間をこの目で見たことはない。興味があるんだよ、あの『雨の魔女』に。俺は色んな国を旅して回る歴史研究家でね。この国の歴史に興味があるんだ。『雨の国』の成り立ちとかね」
言い訳は考えておいた。
胡散臭そうなものを見る目で、男は見てくる。だが、このくらい嘘臭い方が、逆に信じやすいだろう。
「悪いが、知らないね。知ってたしてもこの国の人間は歴史なんて語らないさ。思い出したくもないことばかりだからね」
「まあ、そうだろうな……」
そこまで期待していない。
だが、サクラのことをはぐらかすためには、まだ言葉が足りないか。
「それじゃあ、いいパンが売っている場所は知らないか? 最近、豆のスープと肉ばかり食っていてね」
「この国じゃ麦が育たないからな……。たまに他の国から運んでくる連中がいるから、そいつから買うといい。ものによっちゃ、物々交換でも大丈夫だ。……ほら、ちょうどきたぞ。あの子も他の国から売り物を持ってきた商人さ」
小雨とはいえ、雨が降り続けているというのに、必死に御者台を引いている。
年齢的にはサクラとあまり変わらないように見える少女。
あれぐらいの子どもが商売をできるのか。大人のお使い程度しかできないんじゃないだろうか。だが、御者台を引く横顔は大人びていて、商売人の面をしていた。
「家族の生活ために、山や川を越えてここまでくるんだから、あの子も凄いもんだ。あの子がパンを持っているといいな」
皮肉っぽく言う男に、そうだな、と適当に返答する。
商人の少女に近寄っていく。
パンが欲しいのは本当だ。同じものしか食べていないので、たまには別の料理も食べてみたかったのだ。
「おい――」
声を掛けようとしたところで、
ガラッ、と嫌な音が上から響く。
岩が傾いている。
時間がまるでゆっくり流れているかの世に、切り立った崖の上から岩が落ちてくる。土砂崩れだ。ここらは山で囲まれている。振り続ける雨のせいで、岩が落下してしまいそうになっているのだ。
しかも、その岩は少女の真上へ影を落とそうとしている。
必死に御者台を引いている少女は、まるで気がつく様子はない。気がついたところで、ただの人間が間に合うような岩の大きさではない。
「危ない!」
男の叫びが後ろから聴こえる。
たかだか人間一人が死のうがどうでもいいはず。だけど、いったいこの土砂崩れは何が原因だ。……わかりきっている。雨のせいだ。雨の……魔女のせいだ。あいつのせいで、人が死のうとしている。直接的にではない。望んでいるわけでも狙っているわけでもない。
死のうとしている。
今、この瞬間だけではない。
今までもきっとこういうことはあったはずなのだ。何人もの人間が災害に捲き込まれていたるはずなのだ。だから、見殺しにしたところで、さほど変わらない。
だけど、それでも、助けたい――。
そんな願望が頭をよぎった瞬間、動いていた。
勝手に動いた身体は、人間の肉体能力を遥かに超えた動きを見える。人間では人間を救えなかった。あのタイミングで助けられる可能性があったのは、異形の存在だけだった。
ドゴォオオオオオオオオン!! と、ウォーカー達は岩の下敷きになる。
御者台が、ただの木屑となってしまった。
少女に覆いかぶさるようにして、ウォーカーは岩の直撃を受けた。咄嗟の内に少女の腕を引いて、押し倒したのだ。
頭からは血が流れる。
もろにうけてしまったが、問題ない。
全盛期にはほど遠い再生能力しかないとはいえ、こんなものかすり傷にも入らない。
シュウゥゥウ、と白煙を上げながら、傷口が自然と塞がっていく。
「うっ…………」
少女は一瞬気を失っていたようだが、タイミング悪いことに目覚めてしまったようだ。恐怖のあまり、眼を見開いている。
恐怖の対象は、自分がもう少しで命を落としそうだったことではない。
傷口が治癒されているのを目撃してしまったことに、だ。
眼前の男が、普通の人間ではありえないこと。それに、気がついてしまった。
「あ、あ、あ、あああああ」
言葉を忘れたように、ショックを受けている。どうする。目撃されてしまったからには、殺しておくのが一番いい。今なら、事故として口封じができる。だが、せっかく助けた命を、散らせてしまっていいのか。
「大丈夫か!! あんた!?」
生かすか。
殺すか。
逡巡している内に、男が駆け寄ってきた。
……時間切れだ。
殺すにしても、目撃者である男をも殺さなければならない。だが、あの男を殺してしまえば、周りから見られる可能性がある。助けを呼んで、岩陰に誘って殺すという手段もあるが、男はこの国の人間。つまり、他人と繋がりがあるということ。
よそ者の少女はともかく、男の死因について執拗に探られれば、こちらのボロがでる。ウォーカーはどうやらそこそここの町の人間は周知されてきた存在らしい。だから、この男と話しているのを他人に見られているかもしれない。ならば、ここでできるのは、口封じではなく、口止めぐらいなものだろう。
「――誰にも言うなよ」
「……あっ……」
脅すように少女を睨みつけると、それ以上何も言えなくなってしまう。
重い岩をやっとの想いでどかす、という演技をしながら、男に笑顔を向ける。
「ああ、ちょうど岩と御者台が折り重なった隙間に張り込んだみたいだ。奇跡的に、ほとんど無傷ですんだみたいだな」
「そ、そうか。よかったな……」
男はしきりに、不思議そうな顔をしながら頭を傾ける。
どうやら、色んなことが腑に落ちていないようだ。
奇跡的に助かったこともだが、どうやってあんなにウォーカーが高速で動いたのとか。まぁ、いいか、とか呟いている男は、どうやら考えるのをやめたらしい。
雨のせいで視界が悪く、見間違いでも起こしたのかと思ったかもしれない。
「あ、ありがとうございました……」
少女はかしこまりながらそう言った。
どうやら、黙ってくれるつもりになったようだ。だからだろうか。安心すると、一気に腹が減ってしまった。
「礼はいらない。それよりも、お前……パン持っていないか? あったら、なるべく安くで売ってくれ」