第二十二話
仕事明けの午後8時半過ぎ、啓子は近所の古びた商店街にいた。
車1台がやっと通れるほどの1本道を、早歩きで進んでいく。道の両脇にある居酒屋や定食屋に、会社帰りのサラリーマンが吸い込まれていく様が横目に映る。彼らが1杯引っ掛ける前のウキウキ感で、夜の街の空気が浮ついていた。
啓子は、通行人が持つ携帯電話に目が行く習性を抑えられなかった。特に2年以上前に発売したレッドの端末だと、ついつい機種変更を勧めたくなってしまう。重度の職業病に内心苦笑しているうちに、目的の店に到着した。
窓から漏れ出る炭火の煙に香ばしい焼肉のにおいが混じり、口の中にヨダレがにじみ出る。今日は炭火焼肉屋で『繁忙期・戦勝祝賀会』を開催する運びとなっているのだ。店の締めを任せられた啓子は、最後に合流する予定だった。
「いらっしゃいませ~。ご予約されていますか」
店に入るなり、快活な笑顔の女性店員に出迎えられる。その後ろで皿を片付けていた男性店員が啓子の姿を確認すると、半歩前に出て挨拶を交わした。
「いつもありがとうございます。会社の方、奥でお待ちですよ」
「お邪魔します。久々に美味しいお肉をやっつけにきました」
半年置きの常連となっていた啓子が、顔見知りの店員に案内される。店内は軽快なBGMで活気に満ちており、箸が進む雰囲気作りに腐心していた。
「いよっ。ボスのご到着なり~」
的野がジョッキを掲げて啓子を迎える。啓子が席に着くなり、気を利かせた店員が生ビールを持ってきた。
「なんという仕事の早さ。誰かさんとは違いますね」
鮫島が、的野の方を見やりつつ突っ込みを入れる。
「鮫さん、そこで俺を出さないで下さいよ~。いじめは職場オンリーでっ!」
皆、修羅場だった繁忙期を乗り越えた開放感で、気持ちが晴れやかになっているようだ。
「久野さん、お疲れさま~」
隣に座った鳥飼からジョッキを合わせ、順番に一回り乾杯を済ますと、啓子は一気に大ジョッキの3分の2を飲み干した。
「う~ん。この味は、サッポロのプレミアムね」
唇の端についた泡を舌で味わいながら、ビールの銘柄を当てる。
「すっげ。なんでわかるの?」
とっさにメニュー表を取った的野が、啓子に尊敬の眼差しを向ける。
「啓子姉さんが飲んベえだからよ」
茶化した鳥飼に対して、啓子はアヒル口を突き出してむくれた表情になる。
「カルビを絨毯のように並べるっ!」
肉奉行役となった的野がトングで肉を並べていく。啓子が到着するまで焼くのを遠慮していたようだ。七輪に肉と野菜が盛大に飾られていく。
「じゃあ最初の肉が焼きあがる前に、手短に挨拶をしようか」
外で煙草を吸っていた御国が席に戻ってきた。
「皆。迷惑かけてしまって本当にすまなかった」
座布団の上に正座した御国が、開口一番頭を垂れる。その顔には濃い疲れの色が滲んでいた。事件は解決したが、マスコミの取材攻勢はなおも続いている。
「迷惑なんてかかってないですよぉ。忙しい中、裏処理していただき助かりました」
スタッフ全員が御国に真剣な眼差しを向ける。
「俺自身が犯行に関わったわけではないが、誤解なしの世論を期待するのは虫がよすぎるだろう。今後、戸園店に対する風評被害が出るかもしれない」
御国の悲観的な見解に対して、啓子も同意せざるをえなかった。犯罪者の家族や友人が色眼鏡で見られるのは、防ぎがたいことなのだ。
「フェアでない収益が上乗せされたのは確かだ。だけど、これだけ多くの来客を捌けたのは、店長をはじめ、スタッフの日々の修練のたまものだ。皆、良く頑張ったよ」
社長が始めた拍手に合わせて、スタッフも手を叩き、互いの健闘を讃えあう。その拍手がおさまる頃を見計らって、御国が啓子にコメントを促した。
「日々の接客を丁寧にこなしていく事で、再びお客様の信頼を勝ち取りましょう。幸い、繁忙期には大きな蓄えもできています。今日はたくさん食べて、消耗した分補給してください!」
盛大な拍手が止むと、皆の姿勢が食事モードに移行した。的野は早速、てんこ盛りにされた白御飯の上にカルビを次々と乗せている。
「こらこら。カルビ独占法違反で逮捕するわよ」
「そんな法律あるわけないでしょ。早いもの勝ちだよ」
的野に対してお約束の突っ込みを入れた啓子も、今日ばかりはダイエット解禁で旨肉を平らげるつもりだ。
「何これ。うめぇ~! こんなうまい肉は、生まれて初めてだ」
「本当ですぅ。舌がとろけそう!」
初めてこの店に来た的野と児玉が、佐賀牛カルビの初体験に感動しているようだ。
「ああ、それと忘れてた」
御国は、焼肉に伸ばしかけた箸を的野に突きつけた。
「的野君。来月から社員昇格っ」
「よっしゃ~!!」
歓声を上げる的野に対して皆から拍手が送られる。対して、啓子のそれは振りだけで、手の平は宙を舞って空振りしていた。
「ちょっとそこの人! さては俺の昇格に危機感をもっているな? 店長の座が危うくなると……」
「んなわけないでしょう。次遅刻したら、時給500円のバイトに降格させるから、覚悟しときなさい!」
「んな馬鹿な。労働基準法助けて~!」
啓子が笑いながら拍手する間に、皆が的野と乾杯し直している。厳しい繁忙期の中、助け合いながら働いたスタッフ間には強い連帯感が芽生えていた。
ワンランク成長した仲間たちとともに、今後もレッドモバイル戸園店を盛り上げていこうと、啓子は決意した。
それにしても、一山超えたあとの焼肉の味は格別だった。啓子は丁度よく焼きあがった特上カルビに舌鼓をうつと、仕事の事はいったん頭の奥にしまいこんだ。




