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第39話 同じ空の下を

* * *


数日ぶりに、喫茶店「ミチクサ」のドアベルが、あの軽やかな音を立てた。

顔を上げた瞬間、喉が小さく鳴った。

「久しぶりだね」

解良《けら》は柔らかく笑って、いつもの窓際の席に腰を下ろした。


「ちゃんと、店から来たでしょう」

「そうですね」ジョウは声を落とした。「ご注文は」

「ブレンドで」


コーヒーを淹れる手が、いつもより慎重になる。

厨房の奥で、片桐さんが鍋をかき混ぜる音がしていた。

男は窓の外を眺め、ゆっくりとカップを傾け、いつも通り会計に来た。

小銭を数えながら、独り言のように呟く。


「頑張ってね。淡いゴールドくん」


手の中の伝票を、強く握りしめていた。


「……今、なんて」

「聞き間違いじゃないよ」


男は変わらぬ笑みのまま、レシートを受け取った。

「じゃあ、また」

ドアベルが鳴って、扉が閉まる。

(淡いゴールド……)


自分の鍵の色だ。噂で聞いたのは、青と白だけだった。

大学の噂話では、一度も聞いたことがない。


「鍵城くん? また幽霊でも見た顔してる」

「な、なんでもない」


空の苦笑を遠くに聞きながら、ジョウはもう一度、ガラス扉の向こうの、

何もない歩道を見つめた。


* * *


莢が鍵となってから、宝璽《ほうじ》と来縁《えんらい》が言葉を交わすことは、

ほとんどなくなった。

来縁《えんらい》は解放派へ、宝璽《ほうじ》は封印派の頂へ。

それぞれが答えを抱えて、別々の場所へ歩いていった。

それでも、あの夜のことだけは、来縁《えんらい》も忘れられずにいた。

正確な会話も、歩いた距離も、もう朧げだ。

それでも、あの時の温度だけは鮮明に残っている。

隣にいるだけで安心できる人間が、確かに二人いた。

それだけで、他には何もいらないと思えた時間があった。

あの温度が永遠に続くものだと、来縁は信じて疑わなかった。


* 


綴《つづり》との一件から、数日が経っていた。

古びた喫茶店の隅の席で、来縁《えんらい》は窓の外を見ていた。

人が歩き、車が走る。誰もが自分の日常の中にいる。

テーブルの上のコーヒーは、とっくに冷めていた。

スマートフォンが震える。画面には解放派の幹部の名前。

来縁《えんらい》は伏せたまま、鳴り止むのを待った。

向かいの席は空いている。

椅子は、誰かが座っていたように、少しだけ引かれていた。

窓の外を、学生が一人、足早に通り過ぎていった。

ジョウと同じくらいの年頃だった。


「……ジョウは、強くなったよ」


向かいに向けた声は、それきりだった。

続きを探すように口が動いて、何も出てこなかった。

冷めたコーヒーを、一口だけ啜るも苦いだけだった。

来縁《えんらい》はカップを置き、指先でソーサーの縁をゆっくりとなぞり、

そのまま、しばらく動かなかった。


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