第10話 B-ブロード
* * *
その夜。
連れられてきたのは、喫茶店のような佇まいの定食屋。
数席のテーブル席の他に年季の入ったカウンター席が三つ並んでいる。
夜遅くまで営業している隠れ家のような店だった。
ヨシの行きつけらしく、店主のマスターは三人の顔を見るなり
「いつもの?」と短く尋ねた。
何をどう「いつも」なのか説明を求めることもなく、
ヨシが「三人分で」と応じる。
事情も詮索せず、ただ黙って頼んだものを出す――
それがこの店の、この店主の流儀らしかった。
三人はいつものようにカウンターに並んで座った。
クラヴィスとの戦闘の後ということもあり、心身ともに酷く疲弊していた。
ジョウの足元には、まだあの封印術式の名残があるかのように、
妙な重みがこびりついている。しばらくの間、誰も口を開かなかった。
「……本部への定期連絡が、一件途絶えている」
トウゴが箸を止め、ぽつりと言った。
「監視任務の人間だ。……恐らく、さっきのあれだろう」
ヨシは何も言わなかった。
ジョウには見当もつかなかったが、二人の間だけに流れる重さに
迂闊に口を挟んではいけない気がして、ただ横顔を交互に見ていた。
やがて定食が運ばれてきて、それぞれが黙々と箸を動かし始めた。
ヨシが味噌汁をすする。トウゴは無言で焼き魚を口に運ぶ。
ジョウが白米を半分ほど平らげたところで、頭に浮かんだ思いを口にした。
「なぁ。よっさん、ごーさん」
「ん?」
「なんだ」
「ワシら、名前がないよな」
二人が同時に顔を上げた。
「チームの名前。なんか、あった方がよくないか?」
ジョウの言葉に、トウゴは「そんなものが必要か?」とでも
言いたげな不審の眼差しを向ける。
「必要かどうかは分からないけどさ」
ジョウは箸を、ことりと箸置きに置いた。
「なんか、今日三人で一緒に戦ったじゃん。
あの感じが、なんか……チームっぽかったからさ」
ヨシが少しだけ目元を緩めた。けれど、何も言わずにジョウの言葉を促す。
「……『B-ブロード(B-Broad)』ってのは、どう……かな?」
唐突な提案だが、あらかじめ考えていたわけではない。
今この瞬間に、ジョウの口から自然と滑り落ちた名前だった。
「ワシら、全員B型だしさ。それに、あの和音……三人の声が重なったとき、
B――シの音が、一番強く響いてた気がするんだ。ブロードって『広い』って意味もあるし、なんか、いい感じっしょ?」
一気に言い終えてから、ジョウは自分でも気恥ずかしくなり、
内側がじわりと熱くなるのを感じた。
「……なんかワシ、変なこと言ったか?」
「いいね」
最初に声を上げたのはヨシだった。間髪入れない一言だった。
しかしその響きは――妙に重く、温かい。
ずっと、こういう言葉を待っていたかのような、そんな実感が籠もっていた。
「いいと思う。B-ブロード」
ヨシは口の中でその音を確かめるように復唱した。
一方で、トウゴは何も言わなかった。
ただ黙々と箸を動かし、綺麗に魚を平らげていく。
ジョウは食べることに集中しているトウゴの横顔をじっと見つめた。
「ごーさんは?」
「……食っている」
「食い終わってから聞く」
「……」
トウゴが魚を食べ終え、味噌汁を飲み干し、箸を置く。
ジョウはまだ、その回答を待っていた。
「……悪くはない」
トウゴがポツリと言った。
「悪くはない、ってどっちだよ」
「悪くはない、は悪くはないだ」
「いいってこと?」
「B-ブロード。悪くはないと言っているだろう」
ヨシが、クスッと声を立てて笑った。
口角を上げるだけのいつもの笑い方ではない、心からの笑顔を向けていた。
彼がそうやって笑うのは、とても珍しいことのようだった。トウゴが目を丸くしている。
「ごーさんがそう言うなら、これで決定だね」
「決定した覚えはない」
「でも、否定もしてないじゃん」
「……」
トウゴは再び黙り込み、温かいお茶をすすった。
ジョウも白米の残りを口に運んだ。
「B-ブロード、か……」
喉の奥の鳴りは、今日は少しだけいつもと違った。振動そのものが、どこか温かい気がした。
「よっさん……前からこういうの、考えてた? チームの名前とか」
ジョウが尋ねると、ヨシは少しだけ間を置いた。
「うーん……具体的に考えていたわけじゃないけれどね」
「でも?」
「もしも、いつか三人になったら……そういうものができるのかな、とは、どこかで思っていたから」
ヨシがお茶を一口飲んだ。
「ワシがここに来る前から?」
「うん」
「なんで?」
「さあね。なんとなく、だよ」
ヨシは飄々と言ってのけた。
しかしお茶を持つ手の角度が止まる。
ほんの一瞬だけ、遠い過去を見るように揺れていた。
もう一歩踏み込みたい気持ちが、喉元まで出かかった。
けれど今は、この時間を壊したくなかった。
ジョウは飲み込んだ言葉の代わりに、白米を口に運んだ。
代わりに、トウゴが声を落とす。
「……『ブロード(Broad)』には、『解放』に近い意味合いもある」
「うん。そうだけど……?」
「封印派の人間が、その名を冠するチームにいる。……大いなる矛盾だ」
「簡単に言うと、閉じ込める派と外に出す派。昔は仲良かったんだけどね」
ヨシが簡潔に答えるもジョウには聞き慣れない言葉だった。
封印。さっきの戦いでも聞いた響きだ。解放という言葉は、初めて耳にする。
「そうかな? 僕はそれでいいと思うけど。ごーさんが封印派の人間だとしても、今ここで僕たちと『ブロード』であることを選んでくれているんだから」
トウゴはそれには答えなかった。ただ、もう一度お茶を口に含む。
(……封印派って、何なんだ)
聞こうとして、やめた。
トウゴの横顔が、これ以上は踏み込むなと言っている気がしたからだ。
ヨシが「今は言えない」と言った時と、同じ種類の静けさだった。
「……次から、外部にはそう名乗るのか?」
「必要があればね」
「……分かった」
トウゴはそれだけ受け入れた。
ジョウが厨房のマスターに向かって声をかけた。
「すみません、追加でコーヒー三つお願いしますー」
「いらない」
トウゴが即座に遮った。
「ごーさん、コーヒー飲まないの?」
「今は飲まない」
「そっか。じゃあ二つで」
マスターは苦笑いしながら奥へ引っ込んでいく。
こういう注文には慣れきっている、そんな手つきに見えた。
再び、三人の間に静寂が訪れた。
けれど今度は――さっきとは違う。
戦いに疲弊した沈黙ではなく、それぞれが自分のペースでただそこに座っている、
そんな優しい静けさが流れていた。
――B-ブロード。
誰かに決めてもらったわけじゃない。
誰かに無理やり入れてもらったわけでもない。
気づけば三人が揃っていて、気づけば一つの名前がついていた。
ジョウは定食屋の煤けた天井を見上げた。
口元が緩んでいることに、自分でもまだ気づかないまま。




