35 冷静にシンキング
「ツネッコぉ……!」
と私が駆け出したところで、強い力が肩を掴んだ。
ルシウス君だった。
「どうするつもりだ、シーナさん!」
「どうするもこうするもねえんだよ! ツネッコ助けに行くに決まってんだろうが! 離せや殺すぞてめえ!」
私は10倍パワーでルシウス君の手を撥ねつけた。
それでもルシウス君は組み付いてきた。
ごどおおん、とまた崩落音が聞こえてきた。
私の眼裏に瓦礫で潰されたツネッコの姿がよぎり、頭の中が白くなる。
私は拳を振りかぶって石みたいに固めた。
それを尖った顔に叩きつける。
「離せっつってんだろうが!」
ルシウス君は皮一枚で拳をかわした。
裂けた頬から血が噴き出すのが見えて、私は頭の中に冷水をかけられた気分になった。
「シーナさんが行くなら!」
ルシウス君が決死の形相で言った。
「僕も行こう」
でも、と続ける。
「敵の要塞に無策に飛び込むなんて自殺行為だ。策を練ろう。そのためにも、まず状況確認からだ。いいね?」
「……」
私は何秒か知らないが、猛獣のような息をしながらルシウス君を見つめた。
瞳孔開いていると思う。
正論だと思う理性と、賢しらなことを言いやがってという突沸みたいな衝動が、半分半分で鍔迫り合っている。
その間も頭にあるのはツネッコのことだ。
「ニャアンッ!」
ムササビみたいにアルニャンが飛んできた。
「ルシウスの言う通りニャ! シーナ、ちょっと落ち着くニャン! ボクを思いっきり吸ってイニャアアアアア……!?」
私は言われるまでもなく深呼吸した。
吸い尽くされたアルニャンは中身がカラになった紙パックジュースみたいにへこんでしまった。
……ふぅ。
さんきゅ。
落ち着いたぜ。
いや、まだ頭の中は半分白いが、落ち着かなきゃならねえな。
わぁーってるよ。
「殺そうとしてごめんなさい、ルシウス君」
とりあえず、私は深謝した。
「こ、殺そうとしていたんだ、本当に……」
あ、はは、とルシウス君は引き攣り笑いしている。
「アルニャンもサンキューな。おかげで少し冷静になったよ」
「ふ、ふニャん……」
私はネコザルの吸い殻を抱きかかえて、ヒュッポース要塞を見下ろした。
黒煙と砂塵を風になびかせながら、今も小規模な崩落を続けている。
あそこにツネッコがいたらと思うと、胸がギュっとする。
でも、
「いるとは限らないしな……」
案外、宿屋の自室でヘソ出して寝ているかもしれない。
魔王軍の秘宝をとってこいと言われて、はぁーい、と飛び出して行く奴のほうがレアだしな。
なんか、大丈夫な感じがしてきた。
でも、もし、あの中にいるとしたら……。
いや。
仮定の話をし始めたらキリがない。
ルシウス君の言う通り、状況確認が先だ。
「ねえ、ルシウス君。ツネッコっていじめられていたの?」
そのつもりはないのに、声に責めるような響きがにじんだ。
ツネッコは領主邸で男装執事見習いとして働いている。
毎日、笑顔で出ていった。
そして、笑顔で帰ってきた。
いじめをうかがわせる素振りはなかったと思うが。
「……」
ルシウス君は整った眉目を苦しげに歪めた。
「ほかの使用人たちからいじめられていたのは本当だ。見かけるたびに僕がフォローしていたんだけど、目につかないところではたくさん嫌な思いをしていたはずだ」
「うん。それで?」
「ツネッコは言い返しもせず耐えているようだった。シーナさんが作ってくれたチャンスだからって、必死に認めてもらおうとしていた」
なじられながらも笑顔を浮かべるツネッコの顔が頭に浮かんだ。
私の奥歯が勝手にぎりりと音を立てた。
「ごめん。伝えておくべきだった。心配をかけたくないと言われて、ツネッコに口止めされていたんだ」
私にルシウス君を罵る資格はない。
毎日一緒にいたのに、一番近くにいたのに、これっぽっちも気づかなかった。
カタログギフトをだらだら眺める時間はあったのに、ツネッコと向き合って話を聞こうとしなかった。
姉御失格だ。
「その話を聞いた後だと……」
ツネッコがヒュッポース要塞にいるような気がしてきた。
あの子は元・枕荒らしだ。
いっちょ盗んでやっか!
とノリノリで行くかもしれない。
かもしれない、だ。
推測の域を出ない。
「どうしよう……」
私は足元に目を落とした。
くるぶし丈の緑の草が生い茂っている。
でも、数歩歩けば、そこから先は赤褐色の荒野。
魔王領。
山の斜面を下れば、すぐにヒュッポース要塞がある。
行ってもツネッコはいないかもしれない。
その場合、怒り狂った魔物の大軍と無意味にご対面することになる。
絶対死ぬ。
「シーナ」
ぴと、と銀色の前足が私の鼻先に触れた。
「ボクはキミがどんな選択をしても一緒にいるニャ。なぜなら、ボクはシーナの相棒だからニャ」
「ナシワン……」
「アルニャンだニャ……」
こんにゃろ、泣けること言ってくれるぜ。
おかげで、腹が決まった。
行かなくて後悔するくらいなら行って後悔するほうがいい。
どうせ1回は死んだ身だ。
なんにも怖かないね。
「じゃ、突撃しますか。ゴリラめなヤツじゃなくて、賢めな突撃を」
この蜂の巣を叩き壊したような騒ぎに乗じて要塞に乗り込もう。
もちろん、帰りの切符も用意してからだ。
「シーナさん、僕も一緒に行く」
ルシウス君がドンと胸を叩いて請け合った。
「エンヴィリッタの暴走を止められなかった責任は僕にもある。ここで指をくわえているつもりはない」
「割と高率で死ぬよ?」
「民を守って死ねるなら本望だ」
「……?」
決然と言い切ったルシウス君の金色の瞳には微塵の迷いもなかった。
バカだね、あんたも。
「シーナ・カタギリ! あなた、わたくしのルシウスとスリリングなラブロマンスを堪能するおつもりですのことね! そうはさせませんのことよ!」
エンヴィリッタが復活していた。
へし折ってやったはずの鼻も真っ直ぐ前を向いている。
使用済みのスクロールが茂みに引っかかってパタパタ風に揺れている。
治癒魔法か。
「この泥棒猫の卑怯者! わたくしも行きますのことよ! ルシウスと結ばれるのはわたくしですの! あなたには渡しませんのことよ!」
「あァ?」
「ひぃ……」
私が睨むと、エンヴィリッタはルシウス君の陰に飛び込んだ。
「なにも邪魔をしようというわけではございませんのことよ? わたくしも協力いたしますわ」
「てめえの存在そのものが邪魔なんだよ、人類の」
「あら、決定権を持つのはわたくしですのことよ。わたくしには主の権限があるのですから」
青いマニキュアを塗った指がルシウス君の首輪をなぞった。
奴隷の首輪か。
ルシウス君はたった一言命じられるだけで逆らえなくなる。
突撃と言われたら、たとえマグマの海でも行くしかない。
実質、人質だ。
「オホホ! 敵将の首を断ち、ルシウスと愛の契りを交わすのはわたくしですのことよ! シーナ・カタギリ、あなたにはわたくしたちが結ばれる奇跡の瞬間を拝ませて差し上げますわ! オッホホーン! ホンホンホーン!」
もはや、こいつ魔物だろ。
討伐したらGP、山ほど吐き出すんじゃね?
やってみようかな。
できるんだよな、ワンパンで。
「……」
まあ、さすがに殺すわけにもいかんか。
それに、私はたった今、冷静にシンキングする大切さを学んだところだ。
命拾いしたな、チッ。
「指揮は私が執るからな?」
「そのくらいのおこぼれなら差し上げますのことよ! オホホ!」
「ああ、殺してえ……。マジぶっ殺してえ」




