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第37話 治安という最後のピース

 赴任十六ヶ月半。


 夜間巡回が定着した。


 レイガスが、毎晩、領地を一周する。魔動灯の点検を兼ねた巡回だ。仕様書上は「公共照明設備の夜間点検業務」だが、実態は治安巡回だ。


「レイガスさん。巡回報告を見ました」


「何か問題が」


「問題ありません。むしろ、提案があります」


「……提案」


「巡回ルートを固定化して、住民に周知しましょう。何時にどの区画を通るか決めて、住民に知らせる。そうすることで——」


「……何かあったら声をかけやすくなる。か」


(この男は、社会的なコミュニケーションは苦手だが、戦術的な推論は鋭い。巡回の目的を即座に理解した)


「正解です。治安とは、パトロールカーが走ることではありません。住民が『守られている』と感じることです」


「……パトロールカーって何だ」


「前世の乗り物です。——忘れてください」


 レイガスは黙った。それから、小さく言った。


「……ルート、決める」


「お願いします。南区から始めて、北区で終わるルートがいいでしょう。学校の前を通るのは、日が落ちてから一刻後。帰宅途中の住民と顔を合わせるタイミングです」


「……顔を合わせるのは結構きついんだが」


「巡回の必須事項です。——でも、挨拶は不要です。ただ、そこにいるだけでいい」


 レイガスが「そこにいるだけ」という言葉を噛みしめるように繰り返した。——前世でも、「そこにいるだけ」をやったことはなかったのだろう。一人プレイのゲームには、「そこにいるだけ」の役割はない。


 ◇ ◇ ◇


 レイガスの巡回が始まって二週間。


 変化は、静かに始まった。


 マリアがパン屋の店先で、俺にこう言った。


「ナカムラさん。最近、夜遅くにパンを仕込んでいると、外をレイガスが歩いていくのが見えるんです」


「夏を過ぎて、日が落ちるのが早くなりましたからね。夜の時間が長い」


「最初は正直、あの人が外を歩いているだけで怖かったんですけど。——最近は、あの人が歩いていると安心してお釜の火を落とせるんです。——不思議ですよね、変わるもんですね」


(「安心して火を落とせる」。——その一言が、治安の本質だ。住民が「守られている」と感じること。レイガスの巡回は、それを実現している)


 その夜、南区で喧嘩が起きた。残留民の若者が酒に酔って、帰還民の家の前で罵声を上げた。近所の住民が次々と窓を閉め始めた。子供の泣き声が聞こえる。


 レイガスが到着した。魔動灯の光が、金髪と剣の柄を照らしている。


 通常なら、この男は「面倒ごと」を力で解決する。チートの剣聖だ。腕を振れば済む話だ。かつてのレイガスなら、行動する前にもう終わっていただろう。


 だが、今夜のレイガスは違った。剣の柄に手をかけなかった。足を止めて、酔っ払いを見下ろした。


「うるせぇぞ」


 低い声で、一言だけ言った。


 酔っ払いがレイガスを見上げた。——元チート転生者の、あの目を見た。剣は抜いていない。だが、存在そのものが「これ以上やるなら力で止める」と伝えていた。


 酔っ払いは黙った。帰った。


 帰還民の家の窓が、そっと開いた。中から子供の顔が覗いた。アダムだ。レイガスの顔を見て、小さく手を振った。


 レイガスは一瞬固まった。それから、ぎこちなく片手を上げた。手を振る動作とは到底呼べない、不器用な動きだったが。


(手を振った。——この男が、子供に手を振り返した。前世で「パーティーを組んだことがない」男が、「手を振る」という社会的動作を始めた)


 レイガスの日報にはこう書いてあった。


 『南区夜間巡回中、住民間のトラブル一件。声かけにより鎮静化。物理的対処なし。——以上、報告します』


(「物理的対処なし」。——この男が暴力以外の方法でトラブルを解決した。チートの力を見せつけるのではなく、「声かけ」で鎮静化した。前世の交番勤務の巡査と同じだ。存在感が治安を作る。——五つの課題の最後のピースが、こうして埋まった)


 俺は赤字を入れなかった。青字で書いた。


 『対処適切。報告内容も完璧です』


 ◇ ◇ ◇


 翌朝。帰還民の家の主人がアルノルドのところに来た。


「アルノルドさん。昨夜、レイガスが……」


「聞いた。酔っ払いを追い払ってくれたんだろう」


「ああ。——あの男を信用するかどうかは別として、夜中にあんなことがあった時に、誰かが歩いてくれるのは、正直、ありがたい」


 アルノルドが煙草をくわえた。


「……信用するかどうかは別として、な。——だが、おれたちが寝ている間に領地を回ってくれる奴がいなきゃ、安心して眠れないのも事実だ」


 アルノルドが煙を吹いた。それから、小さく言った。


「……あの男、変わったな。お前のせいか」


「レイガスさん自身の力です」


「またそれか。——お前、誰を褒めてもそう言うな」


(アルノルドにも指摘された。——たぶん、癖なのだろう。前世でも部下の功績を自分の手柄にしないのが信条だった。だがそれは、「自分の居場所を作らない」ことの裏返しかもしれない)


(噴水。排水溝。台帳。農業。そして治安。——五つの課題があった。最初の四つは俺が仕組みを作った。最後の一つは、元凶が埋めた。行政計画としては、できすぎた話だ。だが「できすぎた話」は、関わった全員が努力した結果だ)


 ◇ ◇ ◇


 その日の夜、俺は巡回中のレイガスに会いに行った。


 南区の魔動灯の下に、レイガスが立っていた。日報帳を書き終えたところらしい。魔動灯の光が、金髪を淡く照らしている。


「レイガスさん」


「……何だ」


「今日の件、ありがとうございました」


 レイガスが黙った。それから、夜空を見上げた。


「……前は、夜に歩くと窓が全部閉まった。最近は、開いている窓がある」


(「開いている窓がある」。——閉じるのは怖いからだ。開いているのは、「外を歩いている人」を受け入れたからだ。レイガスは、それを「治安」という言葉ではなく、「窓」という言葉で語った)


 翌朝。フィーネが窓から広場を見下ろしている。噴水の前で、子供たちが遊んでいる。帰還民の子と残留民の子が混じって走り回っている。その向こうで、レイガスが魔動灯を点検している。


「ナカムラさん。この景色、好きです」


「俺もです」


(前世なら「いい街ですね」と言って異動していくところだ。——だが、ここでは、まだやることがある)

窓を開ける。

——それが治安の本質です。


「前は、夜に歩くと窓が全部閉まった。最近は、開いている窓がある」


「うるせぇぞ」の一言で鎮静化。剣は抜かなかった。

チート転生者が「声かけ」でトラブルを解決した。


「物理的対処なし」——日報の一行が、この男の成長のすべてを語っています。


▶ 次話「ツクヨの査定」——神界から最終査定。S評価。

 帽子の廃止は第三百一回で否決されました。記念品はマントです。


あなたの☆評価が、作者にとっての「開いている窓」です。

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― 新着の感想 ―
今回も面白かった。 治安維持要員独りのままでルート固定化ってありなのかな? 住人戻り始める前時点で5.6千人だったから今は6千人超えてるだろう町だと、「来るとわかってる安心」より「(来た後で二回目は)…
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