第14話 領主の授業
俺が三日間の出張から戻ると、フィーネ様が玄関まで走って出迎えてくれた。息が切れて赤毛が乱れているが、本人は構う様子もない。誇らしげに留守中の業務日誌を見せてきた。
日誌を手に持ったまま、両手を広げるように差し出す姿は、テストで百点を取った子供に似ていた。ただし、紙の端がヨレヨレで、角にインク染みがある。
「……よくできています」
「本当ですか!?」
「はい。ただ、境界線争いの処理をもう少し詳しく書いてください」
(やっぱり)
「やっぱり言われると思いました……」
「予想できたなら、書いておくべきでしたね」
「あぅ」
メモ帳に「きょうかいせんあらそい→しょりをくわしくかく」と書いた。その横に「よそうできたらかく」と追記している。——学習している。
「フィーネ様。今日は授業をしましょう」
「じゅ、授業?」
「棚卸しの実習です」
倉庫に行った。紙とペンを渡した。
「棚卸しとは、今ある在庫を全部数えて、記録と照合することです。——やってみてください」
「はい!」
棚の一番上から数え始めた。
光魔晶――八個。ルーン石の予備――五個。干し肉――塩漬けの樽が四つ。小麦粉――大袋が二つ、小袋が七つ。
数え終えるのに二時間かかった。途中、小麦粉の小袋を数え間違えて「八つ」と書き、数え直したら「七つ」で、もう一度数えたら「やっぱり七つ」だった。
「フィーネ様。三回目は不要でしたが、慎重なのは良いことです」
「えっ、三回目はやりすぎでしたか」
「二回合えば信頼できます。——ただ、疑い深いのは行政官の美徳です」
フィーネがメモ帳に「うたがいぶかい=びとく」と書いた。目が輝いている。どうやら「美徳」という単語に喜んだらしい。
(疑い深いことを美徳と言われて喜ぶ十三歳。——普通の貴族令嬢からは相当逸脱している)
フィーネは「びとく」の二文字を三回書き直した。最初は「びとけ」、次は「びとく」、三回目でようやく「美徳」と正字で書けた。その達成感に満ちた顔が、棚卸しで三回数え直した時と同じだった。
「フィーネ様。数え間違いは正常です。大事なのは、『数え間違えたかも』と思ったら数え直すことです」
「あぅ……はい」
(「あぅ」が出た。予算案を作った時以来だ。懐かしくすらある)
「ナカムラさん。数え終わりました」
「では、前回の棚卸し記録と照合してください」
前回の記録を開く。光魔晶――九個。ルーン石――六個。
「あれ……。光魔晶が一個減ってます。前回九個だったのに、今八個です」
「正解です。一個は先月の魔動灯の修理で使いました。——では、ルーン石は?」
「前回六個で、今五個。一個減ってます。——あ、これは私が留守中に確認した時と同じですね。排水溝の浄化に使ったんですか?」
「いいえ。四ヶ月前の噴水の初回起動で使いました」
「ということは、四ヶ月で一個消費。予備が五個あるから、単純計算だと一年半以上持つ計算ですか」
俺は一瞬、手を止めた。
「フィーネ様。今の計算、暗算でしたか」
「え? はい。五割る一で五……それに四ヶ月をかけて二十ヶ月……。合ってますか?」
「合ってます。——予算案を作った時は、十二×三十で指が足りなくなっていましたが」
「あの時よりは練習しました……!」
(筆算を教えてから二週間。もう暗算で割り算をしている。——この吸収速度は異常だ)
「そうです。では、それを過ぎて補充が間に合わなかった場合、何が起きますか」
「噴水が止まります。——水が止まる」
「そうです。だから棚卸しは大事なんです。『今あるもの』を数えるだけで、『いつ困るか』がわかる」
フィーネがメモ帳に書いた。「たなおろし→いつこまるか、がわかる」
(前にも同じようなことを書いた気がするけど、今回のほうが具体的だ。成長している……のかな)
「フィーネ様。もう一つ教えます」
「はい」
「在庫管理は、未来の予算編成の基礎になります。何がいつ足りなくなるか把握していれば、次年度の予算案に『ルーン石の購入費用』を入れられる」
「あ……! 予算と棚卸しが繋がるんですね」
「すべては繋がっています。台帳、棚卸し、予算案。——行政とは、別々に見える仕事を一本の線で結ぶ作業です」
(前世の上司が同じことを言っていた。「行政は点じゃなくて線だ」と。あの人は面倒な人だったが、言うことだけは正しかった)
フィーネが目を輝かせてメモ帳に書いている。「ぎょうせい=てんじゃなくてせん!!」
感嘆符が二つ付いている。感動したらしい。
「ナカムラさん。今日の授業、すごく勉強になりました」
「授業はこれからも続きます」
「次は何ですか!」
「次は——掃除です」
「掃除」
「倉庫の管理は、在庫を数えるだけじゃなく、整理整頓も含まれます。楽しい話ではないですが」
「やります!」
掃除の時間になった。
フィーネは倉庫の棚を一つずつ拭いていった。小柄な体で、上の棚は踏み台が必要だ。下の棚はしゃがみこんで拭く。スカートの裾に埃が付いているが、気にする様子がない。
「フィーネ様。棚の配置、変えてもいいですか」
「変えても?」
「よく使うものを手前に、めったに使わないものを奥に。——取り出しやすさが変わります」
「なるほど! それは、台所と同じですね。よく使う調味料を手前に置くみたいな」
(台所に喩えた。——その発想は正しい。整理整頓の原則は、倉庫でも台所でも同じだ)
「その通りです。整理の基本は、『使う頻度で配置を決める』です」
フィーネがメモ帳に「せいり=つかうひんどできめる」と書いた。そして、棚の配置を変え始めた。光魔晶を手前に、正体不明の光る球体を一番奥に。
(光る球体を一番奥に置いたのは、「触っちゃダメ」を学習した成果だろう)
棚の配置が終わった後、フィーネが棚にラベルを貼り始めた。紙を小さく切って、「ひかりましょう」「るーんいし」「さわらない!!」と書いている。
「フィーネ様。三枚目のラベル、何ですか」
「光る球体です。触ったら危ないかもしれないので!」
「正確ですが、感嘆符は二つ要りません」
「でも、本当に危ないかもしれないんですよ!!」
(感嘆符が増えた)
(この子は、「やります」の返事が早すぎる。せめて内容を聞いてから返事してほしいが——嫌いじゃない)
棚卸し。「今あるものを全部数える」。
小麦粉の小袋を三回数えたフィーネ。慎重すぎる? いいえ。
「疑い深いのは行政官の美徳です」。
「びとく」の二文字を三回書き直して、ようやく「美徳」と正字で書けた時の笑顔。
この子の成長速度は、ちょっと異常です。
▶ 次話「井戸端の女たち」——住民の「困りごと」を聞きに行く。
行政の出発点は、いつも「現場の声」から。
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