時化
この日本において、ジェーナホルダーは妖魔対策本部に所属している。当団体は、政府の特殊機関と位置づけられているため、一応、立場は公務員。妖魔の出現は日時を問わないが、土日祝日は休日扱いになっていて、緊急の警報でもない限り、施設内は普段より静かでのんびりした空気。
その空気を打ち壊すような声が、廊下に響き渡った。
「うわああああああん!」
ああ、レヴィが泣いている。しばらくすれば泣き止むだろう。
と、ほとんどの職員が自室で聞こえぬふりをしていたのだが、泣き止むどころか、音量は増し、酷くなるばかり。
何か、あったのか? 心配した大槻が席を立ったのと、召集のアラームが鳴ったのが、ほぼ同時。警報ほどの緊急性はないものの、召集には応じなければならない。ロキたちの事は気になったが、モニター室へ急いだ。
廊下で薗田たちと合流し、速足で歩きながら会話を交わした。
「聞こえたか? レヴィ、何かあったのだろうか」
「ええ、私も様子を見に行く途中だったんですが」
モニター室に入ると、吉井他数名の当直の職員が困惑顔で出迎えた。
「吉井さん、妖魔ですか?」
「いや、それが。
先ほど外電が入ったのだが、スカンジナビア半島の北、ノルウェー海と北極海周辺が、何の前触れもなく、突然の大時化で、ひどい被害が出ている。 日本の領海ではないし、我々が動くような事態ではないのだが」
その場にいた全員の脳内に、ひとつの心当たりが浮かんだ。
「あ、の、私、ちょっと様子を見てきます」
「私も行こう」
外出中の高岡以外のジェーナホルダー、大槻、薗田と、吉井の3人は、ロキの部屋を目指した。
近付くにつれ、泣き声は悲鳴にも似て、まるで超音波。
「きいいいぃぃぃい、うぎゃああああああん」
頭を振り、じたばたと暴れるレヴィを、眉を寄せたエンが抱っこして途方に暮れていた。その傍らでは、アキとフユがそれぞれおもちゃを手に、なんとかレヴィを宥めようとしているようだった。
「レヴィ、みて、ほら、楽しいよ」
「ぎゃあああああん、やだあああああ」
「なあ、いい加減泣き止んでくれよ……」
「ろぎいいいいい、ろぎがいい、ろぎがいいのおおお」
「ロキはね、頭が痛いんだよ、静かに遊ぼう?」
「やだああああ、ろぎいいいい」
レヴィは真っ赤な顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら、パニックを起こしたように泣き続け、エンと秋冬の言葉に、やだやだを繰り返すばかり。
薗田が代わりに抱っこしようと手を伸ばしたが、きいいい、と、超音波声を発して暴れ続ける。幼児と触れ合った経験がほぼ皆無の大槻は、成すすべなし。
「レヴィ君」
吉井の静かな声に視線が集まった。
「いくつか質問があるのだが」
「やだやだあああ、ろぎいいいい」
「リュウグウサクラヒトデの交配についてだが、彼らは分裂によっても増えることができるのだろうか」
「えっ」
レヴィは、ぴたりと泣き止んで、涙のたまった丸い目で、しげしげと吉井の顔を見た。吉井は事もなげに、さらに言葉を続けた。
「食事はどうだろう。基本的に肉食、という事で合っているのか?
イカやオキアミを食したという記録があるのだが」
「深いところにいる、あかい、まあるいの?」
「そう、赤くてまあるいヒトデだ」
「なんでも、たべる。魚や、貝も」
「ほほう、貝は、捕食するのか」
ヒトデ話で盛り上がり始めた二人を、周囲は唖然として見守っていた。
「もし時間があるのなら、私の部屋でもう少し詳しく聞かせてもらえないだろうか」
「よいだろう」
見た目年齢3歳、幼女の姿をとる海龍の化身は、きっぱり頷いて、エンの腕の中から降り、すたすたと歩き始めた。
吉井はアイコンタクトで素早く大槻をそばに寄せ、北極海の状況を確認しておいてくれ、と言い置き、レヴィの後を追って行った。
20分後、始まったのと同じく、突如大時化が収まったとの外電が入った。




