河口(1)
通例のミーティング後、吉井と大槻は、ロキに呼び止められた。
水妖を消滅させた、あの、河口の地へ行きたい、という。
「水妖は、あの地の水質を守っていたって言っていた。
いなくなって、どうなったのかみてみたいんだ」
ロキや大槻たちの任務は、基本的に妖魔と対峙する事。
その後の調査は、別な課の担当者があたる。
「呪いの正体を、見極めるため、か?」
眉を寄せた吉井の言葉には、薄く笑みを浮かべて首を横に振る。
「そこまでって感じじゃなくて、ただ、どうなったのかなって。
清羅も、誰かから話を聞くだけじゃなく、自分で直接見たり、経験したりした方がいいっていうし」
そういって俯いて、なんとなく言葉を濁す。
ロキが水妖の呪いを受け、少女の姿になってから、約半月が過ぎていた。
以前、ロキに救いの手を伸べた神は、妖魔は、この地球の生命の営みを、安全に、スムーズに続けるために必要な、管理プログラムなのだと言った。
その言葉を元に、妖魔が消え去った後の環境への影響などを、観察する動きが重要視されるようになった。
あの地も、資料を取り寄せれば現状が把握できるだろう。
けれど、きっとロキは、自ら見たいのだろう、と思った。
大槻が付き添い、あの日と同じ道を辿って、海に近い川辺の街を目指した。
河口の地が近付くにつれ、ロキは口数が少なくなっていった。
無言でも苦痛ではなかったが、大槻はロキに問いかけてみた。
「あの地は、変わってしまっているだろうか」
「多分ね」
「なにか、わかるだろうか」
ぽつりという大槻に、ロキは静かに応えた。
「清羅も、山を守って、きれいな水や風を作っていた。
裾野の草木や、下流の生き物がちゃんと気持ちよく生きられるように、って。
レヴィも、海流や、海水温や、生命の営みを見守っていたっていっていた。
ヴォルケーノは、火山やマグマの活動を調節しているって。
世界中に、そうして自然を守る妖魔たちがいる。
きれいな水や風をつくるって言っても、それが実際、どう役に立つのか、ぴんとこないんだよね。大事なのは、わかるけど。
守護する妖魔を失くした土地がどうなるか、自分の目で見ておきたいと思って」
大槻は、妖魔が実体化する前、自然界の営みは、勝手に行われていると思っていた。海や大気を汚染しても、いつの間にか勝手にきれいになる、と。
思えば、ずい分と無責任な話だ。妖魔が実体化する以前から、植物や微生物や虫、鳥、魚たちが浄化のために働いてくれているのを知っていたはずだったのに。
先にセダンを降りたのはロキだった。
サイドブレーキを引き、エンジンを切り、立ち尽くすロキの背を見ながら、大槻も車外に出ると、ひどい悪臭が鼻をついた。
思わずハンカチを取り出して鼻を覆う。とてもじゃないが、耐えられない。
景色は、水妖と対峙した、あの早朝とはまるで変ってしまっていた。
泥濘は広く浸食し、青々と風にそよいでいた葦は立枯れて融け、僅かな流れは油が浮いたように茶色く濁って澱み、積み上げられたゴミからは暗褐色の液体が、鉄屑からは錆びた水が流れ落ちる。
呆然と見回す大槻も、吐気を覚える悪臭も気に止めぬように、ロキは歩き出した。
立ち入り禁止と書かれた看板の横をすり抜け、溢れだした汚物のような泥の上、ロキを追った。
歩くたびに悪臭は増し、靴が滑って沈む。
足元を気にすれば、どうしても先を急ぐように進むロキと差が開く。
気持ちは先へと急くのに、思うように動かない足がもどかしい。悪夢の中のようにノロノロと、枯れて変色した草むらに分け入るロキに続いた。




