買物(2)
東京駅の事件を、後にロキは、
「十二人死んだって聞いたとき、それだけ? って思ったんだ。
あれだけ化け物が暴れて、たった十二人で済んだんだ、って」
と、言った。
口にはしなかったが、その言葉を聞いて、衝撃を受けた。
ロキに言われるまで、自分も「たった十二人で済んだ」と思っていたことに、なんの疑問も違和感も持っていなかった事に気付いたので。
人の死は数になり、一人ひとりの個性や歴史を遮断する。
何かが狂っている。
誰もが、大事な何かを見て見ぬふりをする。
何とかなるだろうと、自分だけは大丈夫だとタカを括る。
神経を麻痺させなければ、眠る事も、食事をとる事もできない。
けれど。
大槻は、ぎゅっと強く目を閉じ、叫びだしたい衝動を抑えた。
一度大声を上げてしまえば、制御が効かなくなりそうで。
握りしめた両腕が震える。
「ロキ」
小さく名を呼び、自らが発した無意識の声にはっと目を開けた。
コーヒーのカップは、焦げ茶色の小さなテーブルの上で、静かに湯気を立てる。
自分は、ロキに依存している。
唐突に気づいた、自らの心理。
あの頃に、まだ妖魔の存在を知らず、仕事の愚痴を同僚と言いあい、牛丼や麺類の店で夕食を済ませ、自宅に帰り、テレビをつけて缶ビールを開ける生活に、雑踏や満員の電車で誰かと肩が当たり、眉をひそめて歩く日々に、戻りたいと願っている自分がいる。
ロキがいれば、ロキならば、あの頃に時間を戻してくれる。
きっと、世界中の誰もが。
どっと冷たい汗が噴き出して鼓動が早くなる。
(神の遺伝子を多く持つとはいえ、まだ十八歳の子供じゃないか)
ロキは、どれだけのストレスとプレッシャーを抱えているのだろう。
基本的には、誰に対しても素直に接している。
けれど、大槻や他の職員に、頼み事は滅多にしない。愚痴をこぼす事さえ。
自分は、ロキの面倒を見ている、なんて体裁をとりながら、彼を失う事を、何よりも恐れている。
気付かれているのかもしれない。だとしたら、信頼されるはずもない。甘えたり頼ったりできるはずがない。
そんな事が根底にあって、今回のように、だれにも頼ろうとせず、自分を犠牲にして呪いを受けたりしてしまうのかもしれない。
すべては仮定に過ぎない。きっと、いつもの自分の悪い癖だ。
考え過ぎ、悪い方にばかり捉えてしまう。
苦い息を大きく吐き出し、肩の力を抜くと、周囲の音が戻ってきた。
目前のカップに触れると、思ったよりぬるく、しっとりした陶器の感触の向こうに、重い液体の質量を感じた。
手付かずのコーヒーは、もはや湯気も立てず、
揺らめく褐色の水面に、覗き込む大槻の眼を映していた。




