EP 8
炎上の刃。魔将軍ミラース強襲、社畜の覚悟
空が、割れた。
ポポロ村を外敵から守る、ドワーフ族秘伝の『絶対防衛結界』。魔導戦車の主砲すら弾き返すその不可視の壁が、ガラス細工のように音を立てて崩れ落ちていく。
夕焼け空の下、粉々に砕け散る光の破片を浴びながら、一人の男が悠然と村の敷地内へと足を踏み入れた。
「アハハハハッ! 素晴らしい! 視聴者数、一気に十万人突破だ! さぁミラース、もっと絶望を! 悲鳴を! 最高の炎上を見せてくれ!」
男の肩の横に浮遊する巨大な眼球から、炎上神ワイズの下劣な笑い声が響き渡る。
魔将軍ミラース。身の丈三メートル近いネフィリムの巨躯を持つその男は、真っ二つに両断した巡査ゴーレムの残骸を踏みつけながら、ニタリと歪な笑みを浮かべた。
「安心しろ、ワイズ。俺は観客を退屈させるような三流じゃない。……おい、そこのウサギと馬。俺の『配信』の、最初の血飛沫になれ」
ミラースが腰の妖刀『哭刀』に手をかけた、その瞬間。
「……私の、お兄さんとのデートを」
ギリッ、と。
キャルルが、一切の光を失った漆黒の瞳で、ミラースを睨みつけていた。
「私のお兄さんが、手取り16万の中から買ってくれた、甘くて幸せな時間を……よくも、よくも邪魔してくれたね!!」
ドンッッッ!!
キャルルが地を蹴った。アスファルトが爆発したように吹き飛び、マッハの速度で彼女の姿が消失する。
音速を超えたヤンデレ兎の、全魔力を込めたダブルトンファーの連撃。以前、死王蟻機の強固な鋼鉄装甲すら木端微塵に粉砕した、必殺の暴力である。
「死ねぇぇっ!!」
ミラースの頭部めがけて、トンファーが振り下ろされた。
だが。
「遅いな。欠伸が出る」
ミラースは、抜刀すらしていなかった。
ただ、鞘に収まったままの刀を、無造作に上段へと振り上げただけだ。
スッ……。
音すらなかった。
ただ、空間が『ズレた』ような錯覚。
「え……?」
キャルルの持つタローマン製の超硬質トンファーが、何の抵抗もなく、まるで熱したナイフでバターを切るように、斜めにスッパリと両断されていた。
さらに、彼女の全身を覆っていた高密度の『闘気』すらも斬り裂かれ、見えない斬撃の余波が彼女の肩口を浅く切り裂いた。
「きゃあっ!?」
鮮血を散らし、キャルルの小さな体が吹き飛ばされる。
「キャルル村長!?」
マンミアが血相を変えて飛び出し、空中でキャルルを受け止めた。
「貴様ぁぁっ! よくもキャルル村長を!」
マンミアの怒りが爆発する。三百五十馬力の巨体が躍動し、左腕のパイルバンカー式シールド『アグニ』を前面に構えて、時速百キロのチャージタックルを敢行した。
「我が盾ごと、粉砕してくれよう!」
魔導戦車以上の質量と速度を伴った、必殺の突撃。
「馬鹿の一つ覚えだな」
ミラースは薄く笑い、ついに妖刀を鞘から抜いた。
そして、突進してくるマンミアの巨大な盾に向かって、下から上へ、軽く刃を振り抜いた。
ガィィィィィンッッ!!
「なっ……!?」
マンミアは、己の目を疑った。
ドンガン地下帝国の技術の結晶であり、どんな物理攻撃も弾き返すはずの『アグニ』が。
中央から、綺麗に真っ二つに分断されて、左右に滑り落ちたのだ。
「う、嘘だ……私の盾が……紙切れのように……」
体勢を崩したマンミアは、そのまま雪の上を転がり、愕然とその場に膝をついた。
「驚くことじゃない」
ミラースは、刀の峰についた金属の粉を払いながら、傲慢に言い放った。
「俺のユニークスキル【ソード】は、この世に存在する『切断』という概念そのものだ。鋼鉄だろうが、魔法の障壁だろうが、闘気だろうが……俺の刃の前に、防げる物など何一つ存在しない」
絶対的な切断。
防御力という概念を完全に無視する、理不尽極まりないチート能力。
「……概念斬り、だと?」
後方で様子を見ていたフェイトが、青ざめた顔で一歩後ずさった。
「冗談じゃねえ……あんなの、どうやって防ぐんだよ。剣で受けたって、剣ごと斬り裂かれるに決まってる。……一歩でも選択を間違えれば、即死だ」
A級冒険者としての直感が、フェイトに『死の恐怖』を突きつけていた。
圧倒的な力の前では、どれほど己のステータスが高かろうと意味がない。防御が不可能である以上、触れられた瞬間にゲームオーバーなのだ。
フェイトの指先が震え、懐の『コイン』を握りしめることができない。
『ヒャハハハハ! いいぞミラース! あの生意気な女たちの絶望した顔、最高に数字が稼げる!』
ワイズの眼球が、下劣な歓喜の声を上げる。
『次は、村の連中だ! 逃げ惑うアリ共を、背中から無慈悲に斬り裂いてやれ!』
「仰せのままに」
ミラースの視線の先。
広場の向こうで、轟音に驚いて家から飛び出してきた村人たちが、パニックを起こして逃げ惑っていた。
その中には、かつて隼斗が守り抜いた、犬耳の子供と母親の姿もあった。子供が石につまずいて転び、母親が悲鳴を上げて覆い被さる。
「まずは、あのガキからだ」
ミラースが、遠く離れた親子の背中へ向けて、妖刀を大上段に振りかぶった。
刀身から、空間を歪ませるほどの巨大な『飛ぶ斬撃』が形成されていく。
距離など関係ない。放たれれば最後、親子は家屋ごと真っ二つに両断される。
「やめろぉぉぉっ!!」
マンミアが絶叫し、キャルルが手を伸ばす。
フェイトは恐怖で足が動かない。
誰もが、無惨な死を覚悟した、その刹那だった。
――ガシャコンッ!!
重厚な金属のポンプアクション音が、静まり返った広場に響き渡った。
同時に。
バァァァァァンッッ!!!!
ミラースの側頭部めがけて、散弾銃の強烈な銃撃が放たれた。
「チッ!」
ミラースは舌打ちをし、振り下ろそうとしていた斬撃の軌道を強制的に変え、自身に迫る無数の『超硬質ゴム弾』を空中で薙ぎ払った。
ザシュゥゥゥンッ!
ゴム弾はすべて空中で両断され、無力化される。
だが、その一瞬の隙のおかげで、斬撃は親子の頭上を通り過ぎ、後方の無人の廃屋を真っ二つに斬り裂くにとどまった。
「……ほう? ただの人間が、俺の斬撃を邪魔するか」
ミラースが、忌々しげに視線を向ける。
そこに立っていたのは。
燃え盛る廃屋の炎を背に受けながら、M870ショットガンを構え、左手に防弾大型シールドを提げた、手取り16万の社畜警官だった。
「お兄さん……っ!」
「隼斗長……逃げてください! その盾では、奴の剣を防げません!」
キャルルとマンミアが、悲痛な声を上げる。
防御は不可能。触れられれば、盾ごと両断されて死ぬ。
フェイトですら足がすくむほどの絶望的なバケモノ。
しかし、高杉隼斗の瞳には、恐怖も、迷いも、一切の妥協も存在していなかった。
「……テメェら、さっきからベラベラとうるせぇんだよ」
隼斗は、底冷えするような低い声で吐き捨てた。
「視聴者だの、数字だの、炎上だの……。人の命を、人生を、てめぇらの薄っぺらい『娯楽』の数字にするんじゃねえ」
前世のブラック企業。
役員たちの見栄や、ただの数字の目標のために、何人もの同僚が過労で心を壊し、使い捨てられていった。
人の命を『消費するコンテンツ』としてしか見ていない、この目の前の神や魔族の傲慢さは、隼斗の『社畜の逆鱗』に最も深く触れるものだった。
「ここは俺の管轄だ。この村に住む連中は、俺が守ると決めた『大切な市民』だ」
隼斗は、ショットガンの銃口を、ミラースの眉間にピタリと向けた。
「テメェのクソみたいな配信のネタに、俺の村を使うな。……一歩でも前へ出てみろ。日本の警察官が、どんな手を使ってでも現行犯で逮捕してやる!」
魔力もない。闘気もない。
だが、その背中から放たれる『理不尽に対する絶対的な拒絶』のプレッシャーは、ミラースはおろか、空に浮かぶ神の眼球すらも一瞬ひるませるほどの凄みを持っていた。
「……ハッ。吠えるだけの雑魚が。そのチャチな盾ごと、ダルマにしてやるよ!」
ミラースが、怒りと共に妖刀を構え直す。
「キャルル、マンミア! 怪我の具合はどうだ!」
隼斗は、敵から一切目を離さずに背後の二人に叫んだ。
「わ、私は大丈夫! 少し切られただけ……」
「私も……盾を失ったが、走れる!」
「なら立て! フェイト、お前もだ! あんなバケモノ、正面からやり合う必要はねえ!」
隼斗はニヤリと、悪知恵に満ちた獰猛な笑みを浮かべた。
「どんなチート能力を持っていようと、必ず『穴』はある。……あいつをハメ倒す、包囲網を敷くぞ!」
絶望の刃を前にして、一人も欠けることなく立ち上がった四人。
手取り16万の社畜警官が指揮を執る、異世界最強の『現行犯逮捕劇』が、今まさに幕を開けようとしていた。




