第4話 仮勇者の家族
ゲオルグ先生より帝国行きを誘われてより、早1週間。
期限まで後1週間あるとはいえ、俺は一向に答えを出せずにいた。
あくまでも慎重に行動するべきか、それとも収穫があるかどうかはともかくとしても果敢に前に進むべきか……。
空が青い。
これは当然のように思われるかもしれないが、ここは異世界だ。
世界構造から何から異なるのだから、空の色が違っていても別段おかしくはない。
だが、幸いにしてこの異世界も元いた世界と同じように空模様が移り変わる。
雲ひとつない快晴となることもあれば、逆にどす黒い厚い雲を出して大雨を降らすこととてある。
残念なことに天気予報なんてものはこの世界にはないので、その日その日の天気への対策はいきあたりばったりとなる。
本日は小さな雲が素早く流れていくなかなかの晴天であった。
さて、ここは王都サンエストルより少し離れた小高い丘の頂上。
王都を一眸のもとに見渡せ、俺の生活拠点ホムレウスの家よりも更に丘を登った場所である。
絨毯のように敷き詰められた緑の草原。
柔らかでちくちくしたところがなく、澄み切った晴天のおかげで日光が当たって暖かい。
そんな絶好の環境の中、俺は1人腰を下ろしていた。
本日は休日である。
ギルドは年中開かれているが、だからといって俺も年中働いているわけではない。
依頼のために働くのも傭兵の自由ならば、適当に余暇を作って休日を楽しむのも自由だ。
傭兵仕事も慣れてくるといわゆる自由業になるので、随分と気が楽である。
とはいえ、この異世界といえど生活するには当然お金がいる。
それは異世界といえど元いた世界とまったく変わらない。
ここのところの魔物の活性化の影響か、討伐依頼が多くなり、おかげで実入りも増えた。
金銭的な余裕もあるし、先の考え事もあるしで、2日程休むことにしたのである。
俺は服の胸ポケットから懐中時計を取り出すと、既に正午近くになっていることを確認した。
この世界においても時間の概念は変わらない。
さすがにデジタル時計や腕時計なんて洒落たものはないが、懐中時計ぐらいならばあった。
まだ駆け出しの傭兵だった頃に、ゲオルグ先生より譲ってもらったものだ。
そろそろ昼食にでも……と思い立ったが、やめた。
なんだか今日は何もかも億劫だ。
腰にある剣を横手に置き、そのまま寝転ぶ。
こうして1日中空を見上げて過ごすのも、時には悪くない。
だが、そんな穏やかな時間を狙いすましたかのように、用件は舞い込んでくるもので……。
「―――お~~い、タカオ!」
極ゆるやかな勾配とはいえ、小高い丘のてっぺんだ。魔物はいないし、わざわざこんなところに寄り付く人は俺ぐらいだろうと考えて、居眠りに突入しかけたその矢先である。
俺は自分でも分かる程にうんざりした表情で、身体を起こした。
「……先生に……あれ、またどうして……」
ゆるやかな坂をゆっくりと上ってくるのは、2人。
まずは相変わらずの大男。
《夜の森》のような辛気臭い場所でなく、こういう晴天の草原が絵になる、俺の師、ゲオルグ先生だ。
本日は防具こそ装備しているが、あの巨大な長柄両刃斧は持っていないらしい。
そしてもう1人。
ゲオルグ先生ほどではないがこちらもかなりの長身の、壮年の男である。
黒を基調とした装飾の多いロングコートに、黒いズボン。そして、背中に縦に背負われている男の身の丈ほどある黒い大剣――全身黒尽くめである。
白というよりは灰色の入り混じった髪に、皺の見え隠れする柔らかな顔。目元も垂れ気味で、口元には手入れされた鼻髭があり、どこか気品がある。
すぐ傍まで歩いてきた2人。相手が相手だけに、座ったままとはいかず立ち上がる。
「やあ、久しぶりだな、タカオ君」
「お久しぶりです、アイスラー団長」
手を上げて軽い調子で挨拶してきた男に対し、俺は深く頭を下げて返した。
ヴァルゴアン王国・王立騎士団・騎士団長、ユリウス・アイスラー。
服装のセンスこそ少し疑わしいが、その柔和な雰囲気からは想像できない実力を持つ、王立騎士団史上最強とも言われる男である。
その優れた剣技、数々の魔法、戦略眼、さらに温厚篤実な人柄は人望を集めている。
俺はとある事情からこの騎士団長と知り合い、それがきっかけとなってゲオルグ先生とも知り合うことになった。
あまり細かく聞いたことはないが、どうやら2人は個人的に親交が深いらしい。
「ほらね、言ったでしょう団長。こいつがギルドで仕事してないとしたら、家で寝ているか、丘のてっぺんにいるかのどちらかだって」
「おいおいゲオルグ。それは彼に対して失礼だろう」
まるで俺の狭い行動範囲などお見通しとばかりに話すゲオルグ先生に、アイスラー団長は諌めるように言った。
……悔しいが、ゲオルグ先生の言うことも確かだ。
「え~と、それで騎士団長がどうしてまた? わざわざお足を運んでいただいたんです、何か特別な用事があるかと思うんですが」
「ああいや、タカオ君。君と私の仲だ、そうしゃちほこばらないでくれ。ちょっと話があるだけだよ」
「そういうことさ、タカオ。俺はただ案内しただけだから。今日も仕事で行かなきゃならん。……団長、すいませんが、俺はこれで失礼しますよ」
「手間をかけたな、ゲオルグ」
「なぁに、お安い御用ですよ」
そう言うや、ゲオルグは慌ただしい様子で丘を駆け下りていった。
「で、話というのは……?」
「うむ、実は――……少し長くなる、座ろうか」
アイスラー団長が背中の大剣を横たえるようにして置いて座り込むと、俺も隣に座り込んだ。
「――ホムレウス氏に関することだ」
「! あの爺さんの居場所が分かったんですかッ!?」
その名前を聞くや、俺はたった今腰を落としたというのに、反射的に腰を上げそうになった。
ホムレウス・オルノアン。
俺をこの異世界に召喚した張本人。
「否、八方手を尽くしているが、居場所の特定にまでは至っていない。すまないね」
「あ、いえ……団長の手を煩わせて申し訳ありません」
「なに、あの老人は私にとっては魔法の師匠でもあるからね。突然旅に出て戻らず、音信不通というんだ。居場所が気になるのは私も同じさ」
あの爺――ホムレウスは俺をとんでもないことに巻き込んでくれた上に、わずかばかりのことしか教えてくれなかったが、それでもいくらかは与えてくれた。
その1つが、このアイスラー団長と個人的に知り合えたことだ。
わしの不肖の弟子だ、と言って紹介されたのは、この異世界に召喚されて間もない時期。
ギルドに連れて行かれ、わけもわからぬままに仕事を始める前だったか。
最初は、この人が王国の騎士団長だということは知らなかった。
あくまでも一個人として知り合い、そしてアイスラー団長も自分がどういった仕事をしているかまでは語らなかったからだ。
以来、俺はこの団長からも様々なことを教えてもらった。
独学では学び難いもの――現在の世界情勢や様々な魔法、一般常識に至るまでだ。
その過程で戦闘技術の師として、俺をゲオルグ先生とも引き合わせてくれた。
その時やっと、ゲオルグ先生から騎士団長であることを聞いて、非常に驚愕させられたものである。
俺が異世界人であり、ホムレウスの《勇者召喚》によって召喚された人間であるということも、団長は知っている。
最初は驚いた様子だったが、ホムレウスの奇天烈さは団長も重々承知していたらしい。
団長自身の人柄もあったのだろうが、奇異な目で見ることもなく、家族同然に親身になって世話をしてくれた。
この世界のことは何一つ知らない人間の世話は赤子の世話をするようで大変だったろうと思う。事実、俺の世間知らずな行動は幾度も団長の手を煩わせた。
ちなみに、団長は数年前に妻子を失っているらしく、以来独身で暮らしてきたらしい。
息子も小さかったというから、再び息子ができたようで嬉しい、とぽつりと漏らしたことがあった。
騎士団長という職務で忙しい合間を縫って俺の面倒を見てくれた団長はまさに恩人で、感謝してもしたりない。
ホムレウスはろくでもない爺だが、団長と引き合わせてくれたことだけは感謝していた。
さて、団長の話だが、2つのことが判明したからとのことだった。
「まず1つ、《勇者召喚》のことだ。《勇者召喚》が帝国の宮廷魔術師によってのみ行われるということはもはや説明するまでもない。その儀式を、私の知る限り帝国とは何ら関係ないはずの老人がやってのけたということも、当事者の君に言うまでもないことだ。判明したというのは、《勇者召喚》が約1ヵ月後に帝国で行われるということだ」
「! ついに……!」
その時が来るのか。言ってしまえば、正式な方法で《勇者召喚》が行われる時が。
(……その時に判明するのかもしれないな。ホムレウスに召喚された俺がなんなのか)
「今更だが、これは超極秘情報だ。《黒い牙》、と言えば分かるな?」
王国騎士団特殊任務実行部隊、通称《黒い牙》。
いわゆるスパイを専門とする特殊部隊で、その存在は極秘裏にされているが、俺はかつてその存在だけは教えられた。
「ええ、分かります。ということは、魔王復活という噂は……?」
「事実だ。現在のところ、魔王は具体的な動きを見せてはいないが、その瘴気は君も知ってのとおり魔物を活性化させている。帝国では、勇者の力で以って内々に討伐を進める腹積もりのようだが、もはや全世界的に広がる魔王復活の噂を留めることはできず、全てを公にして全世界一丸となって魔王に備えるべしとする一派もいる」
「では、先日ギルドに届けられた緊急事案は……」
「傭兵達を《白の要塞》に集めて警備させる、というやつのことだな。あれについては、まだ詳細は判明していない。これは私個人の見解だが、おそらく帝国宰相パウルの仕事だろう。あの宰相は軍と密接に繋がっているし、魔王に対しても全世界の力を結集すべしという考え方のようだからな」
「……そう、ですか」
あの緊急事案、やはりきな臭かった。
結局、サンエストル・ギルドから帝国へと発った傭兵はかなりの数にのぼった。
やはり報酬額が破格だ、多少の危険を冒す価値はあると判断した者が多かった。
王都サンエストルのギルドでこれなのだから、他の各所ギルドでも多数の傭兵が参加しているはず。
おそらく、相当数の傭兵が《白の要塞》に集結するものと考えられる。
魔王復活は事実となると、古き伝承のとおり、北方大地に魔王が降臨し、侵攻してくるだろう。
北方大地と国境を接しており、且つ地理的に最も近いのは帝国である。
そして、その最前線に位置するのが《白の要塞》。
間違いなく、傭兵の召集はこれに備えるためだ。
「これについては今後も事態を注意深く観察するしかない、というのが国王陛下の意見だ。今はそうするのが賢明だろうと、私も思う。
……では、もう1つ判明したことだ。これは少し不確かなんだが……。
ドラングース王国の商業都市ベネット。最近のことだが、そこの街外れに変わった老人が1人暮らし始めたという。当初は近隣の市民に丁寧な挨拶をして回ったというが、それも数日、後は家に篭りきりで一切姿を見せないそうだ。その老人は風変わりなことに純白のローブで全身を覆い、変わった形状の杖を持っていたという」
「それって……!?」
「風の噂だ、当てにはならんが、な」
ホムレウスによく似ている。そう、団長は言いたいのだろう。
やはり、元いた世界への帰還方法を知るにはホムレウスを一度探し出すのが第一だ。
ホムレウスは魔王を倒す以外に帰還できないと言ったが、それでも詳しい話は聞かねばならない。
ちなみに、ドラングース王国とは、帝国南部の温暖な地域の国家である。
年中温暖な気候に覆われ、豊かな大地を持つが、国土自体は極めて小さく、人口も少ない。
軍事力も低く、同じく弱小国家であるヴァルゴアン王国とは同盟関係を結んでいる。
(確かめてみる価値はあるかもしれない……しかし、ドラングース王国か。かなり遠いな)
「以上、2つが私が君に話したかった事だ。内容が内容だからな、このような人目のつきにくい場所に君がいてくれたのは僥倖だった。あまり参考にはならなかったかもしれないが……」
「とんでもない、非常に有益な情報です。……申し訳ありません、アイスラー団長。結局、俺は貴方に頼りきってしまっている」
「気にするな」
言うや、団長は俺の頭に優しく手を置いた。
「いくらでも頼ればいい。私と君はもう家族も同然。血の繋がりも、同じ世界に生まれたという繋がりすらないが、家族を助けるのは当然のことなのだから。私も騎士団長の職務さえなければ、もう少し君を手伝うことができるのだが……」
「ありがとう、ございます……」
その言葉だけでも俺には十分だった。深く、頭を下げる。
「だから、気にするな。……おお、そういえばゲオルグの奴から聞いたぞ。帝国行きを考えているそうだな。まだ迷っていると聞くが……」
「ええ、ですが――」
今回の話で、もう腹積もりは決まった。明日にでも、ゲオルグ先生に返事をせねばなるまい。
「それにもう1つ奴から聞いた話だが、しばらく会わないうちに随分と剣の腕を上げたそうじゃないか。ゲオルグも弟子の成長を嬉しそうにしていた。サンエストル・ギルドでもトップレベルの腕前だとな」
「いや、それはいくらなんでも先生の贔屓目のような……」
「そうか? ……ふむ」
突然、団長は大剣を携えて立ち上がった。
「どうだ、タカオ。私と剣で手合わせしてみないか。お互い仕事で次はいつ会えるのか分からない身だ。私も君の成長振りを見てみたい」
「え!? そんな、団長と勝負だなんて……」
世界最強とも謳われる帝国の3大騎士団の団長達にも勝るとも劣らないと噂される、ユリウス・アイスラー王国騎士団長である。
俺程度の腕前で、太刀打ちできるはずがない。
「考えてみれば君とは一度も勝負したことがなかったな。いいから、1つやってみよう。それとも、私では役者が不足しているかな……?」
そう言われてしまえば、こちらとしてもやるしかない。
同様にして俺も剣を携えて立ち上がると、2人して距離を取る。
向き合ったとき、既に団長は大剣を両手持ちにして身構えていた。俺も剣を片手に構える。
「さぁ、遠慮せずにかかってこい」
その言葉の後、団長が急激に威圧感を発し始めた。
遠慮せず、と言われても、力を抜いてかかれるような雰囲気ではない。
(結果はわかりきっているが……当たって砕けろだッ!)