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勇者進化論  作者: 虎次郎
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第5話 仮勇者、微弱な光を発す


久しく顔を会わせていなかった、この異世界での保護者代わりともいえるアイスラー騎士団長。


有益な情報と、王国騎士団史上最強とも言われる男の実力を身をもって体感させられた翌日、俺はゲオルグ先生と会っていた。



かねてより誘われていた帝国行きの護衛任務への参加について俺は是非連れて行ってほしいと頼み込んだ。


ゲオルグ先生は快諾してくれ、俺の帝国行きは決まる。出立は1週間後である。



だが……そう、1つだけ問題があった。







金が、ない。


























王都サンエストルより徒歩で半日、王都を中心にして《夜の森》のちょうど反対側に位置する、とある建物。

小高い山々にそろそろ差し掛かる手前に、その建物はあった。


古にうち捨てられ、もはや廃墟同然となってしまった建物――通称《知性の塔》である。



気の遠くなるほどの遥か古代、この塔の頂上部には絶大なる力を持った賢者が住んでいたという。

この賢者は人々の生活に役立つ様々なモノを与え、大変感謝されていた。

しかしこの賢者、矛盾したことに大変な人間嫌いでもあり、人前に姿を現すことは滅多になかった。

極一部の親しい子供達だけが賢者に会うことができたとされ、その子供達が賢者から与えられ、塔から持ち帰った様々なモノが、人々の間に広まっていったらしい。


このモノが何なのかは、現在では判然としない。

当時の人々の誰もが考えつかなかった道具とも、魔法とも、あるいは考え方とも言われている。


いずれにせよ、勇者の伝承や言い伝えと同系列の、一種の御伽噺なのであるが、この話から《知性の塔》と呼ばれているようだ。



この石造りの塔は、元いた世界の感覚でいえば、10階建てのビルに相当するほどの大きさであり、その威容は王都サンエストルからも遠目ながらでも見えるほどである。


一度王国の騎士団が立ち入ったことがあるが、目ぼしい物は見当たらず、魔物すらいない寂しげな廃墟だったという……。







そんな《知性の塔》に、俺は1人の傭兵仲間と訪れていた。



「なぁるほど、それで路銀稼ぎが必要になったってわけかい。何ならオレがまとまった金を貸してやろうか?」


「遠慮しておく。後が怖い」



異世界であれ、元いた世界であれ、何をするにもお金がいるのは変わりはない。

悪貨1枚でも、元の世界で言えば1円玉1つでもなければ、何一つとして買えない。


そして、多少の例外はあるだろうが、基本的にお金というものは労働という対価なしには得られない。


俺達傭兵で言えば、ギルドで仕事をこなすことである。




「しかし、情けない奴だぁね。旅に必要なのは、勇気や冒険心、使命感なんて安っぽいものじゃない。――金なんだぜ?」


「……」



あまりにも身も蓋もない言い方に一瞬呆気にとられたが、俺達傭兵にとってはある意味で真実である。


この異世界に来て依頼、王都以外の国へ長旅をしたことのなかった俺は、そこを見落としていたのだ。



すなわち、ギルドで請け負った仕事をする間の諸々の経費――例えば、宿代や回復薬などの常備品の購入費。


それらは基本的に全て持ち出し、自腹ということだ。


依頼従事中に発生すると思われる経費は成功報酬に上乗せされている。つまり、精算できるのは達成後だ。この上乗せ部分はギルドが負担することもあれば、依頼者が負担することもある。


いずれにせよ、このことも検討しつつ、傭兵は仕事を選ばなければならない。

苦労して依頼を達成しても、結局足が出てしまったでは目も当てられない。それは傭兵として一人前とはいえない。

このことは、とりわけ国境を越えるような長距離を移動する護衛任務などで問題となる。



俺にはその視点が欠けていたと、悔しいが認めざるをえない。


俺がこれまで受けてきた依頼など、大抵が1日で終わり、長くかかっても3日以内がそこそこ、宿代などの経費がかかることなど滅多になかったからだ。


翻って、1週間後の帝国への旅、それには当然金が必要になる。



別に金がないというわけではないのだ。我ながら、十分な資金の蓄えがあると思っている。

ただ、それはあくまでも王都サンエストルで、金のかからぬホムレウスの家で暮らしていくに当たっては、の話である。


帝国へ旅するための諸々の路銀――それを考慮すると、若干、心許なかった。




だから、この傭兵仲間――ハンス・アグリールに好き勝手に語られても、俺は反論の術を持たない。



「ったく、どうとでも言え。どうせ俺は世間知らずだ」


「おいおい、むくれるなよ。何も馬鹿にしているわけじゃない。長旅を何度も経験しているこのオレが、親切にも旅の心得を教えてやろうっていうんだぜ? 感謝されこそすれってやつさ、これは」



肩を竦めるハンスに、俺は若干憤然としながら廃墟となった塔へと足を踏み入れていた。



ハンス・アグリール。俺と同じサンエストル・ギルドの傭兵であり、ランクはC。


おさまりの悪いくせ毛の茶髪に、ひょろひょろとした痩せぎすの身体の、俺と同年代の魔法使いである。

まさに魔法使いとも言うべき杖を持ち、しかしながら頭髪と同色の皮のローブは、若干俺のイメージしていた魔法使いとは異なっている。


こいつとは、ギルドの任務で幾度も組んだことがあった。口は悪いが、その魔法の腕前は攻撃・補助系統両方を器用に使ってみせる。




「《知性の塔》か……しかし、寂しい場所だぁね」


「これだけ荒れ果てた場所なら、確かに魔物ぐらい住みつくかもしれないな」




帝国行きまで後1週間足らず、どうやって短期間で十分な路銀を用意するか――ということで俺が選んだのが、《知性の塔》に住みついたという魔物の討伐であった。


この荒れ果てた廃墟に最近になって正体不明の魔物が居ついてしまった、伝説の賢者が住んだ塔を魔物に踏み荒らされるのは忍びないので退治してほしい、そういう依頼である。


この依頼、実は既に別の傭兵が請け負っていたのだが、どうやら返り討ちにあってしまったようで、満身創痍の様相で王都に逃げ帰ってきた。


この傭兵が、これまたそれなりの実力を持つランクBの傭兵だっということもあり、ギルドも事態を重くてみてギルド負担で報酬を引き上げた。


一気に跳ね上がった報酬。そこに、いち早く話を聞きつけた俺が食いつき、更に2番手のハンスが食らいついたというわけだ。



1人では多少心許なかったので、報酬が頭割りになるとはいえ、心安い仲間が協力してくれることは有難かった。



「頂上手前で、巨人に襲われた、ってかぁ? 夢でも見てたんじゃねぇのかね、返り討ちにされたって馬鹿は」



―――心安いが、やはり口が悪いのがいただけない。










《知性の塔》は見た目こそ廃墟であったが、内部はそれほど寂れていなかった。


建物の形状が円柱のため、それぞれのフロアは円状になっており、端に上階へと上る石造りの階段が壁に沿って据え付けられている。

あるのは石ころや崩れた外壁くらいで、本当に魔物なんているのか、と疑わしい思いを徐々に深めつつ、2階、3階へと上っていく。



変化があったのは、4階からだった。正確には、5階へと続く階段にさしかかってから。


階段の上、5階から何かの気配を感じる。



「……こりゃあ、魔物か? まだ頂上はずっと上だと思うんだがな」



言いつつ、杖を構えるように身体の前に持ってくるハンスに習うように、俺も腰の剣に手を携えた。


俺が先導し、警戒しつつ階段を上る。



静かに5階のフロアが覗き込むと、すぐにその気配の正体は知れた。


数段下にいるハンスに合図し、5階フロアを見てみるように伝える。


俺の横手からフロアを覗いたハンスは、あからさまに落胆したような表情で溜息を吐く。




「なんだよ、トカゲ野郎か」



そこでは、数匹のトカゲ人間がまるで夢遊病者のようにフロアを歩き回っていた。


トカゲが人間に進化すればこうなるのではないかと思われる形状に、しかしながら人間とはあまりにかけ離れたその緑の鱗で覆われた身体。

知性など存在しないと考えられるも、どこから調達したの短い剣や石斧など武器を持つトカゲ、リザードマンだ。


やはり肉食であり、人間と見ればその肉を食らわんと襲い掛かってくる獰猛な魔物である。




「――2、3……はん、6匹か。巨人が出てくるまでの肩慣らしだ」



ああ、と一言応答すると、俺は跳ねるようにして5階フロアへ飛び出した。


石造りの床ゆえに響いた足音に、リザードマンの視線が一斉に集まり、意味不明な野生の唸り声を上げるや、牙を剥く。



「速攻で片付けるぞ、ハンス」



返事を聞くよりも先に、俺は床を蹴って手近のリザードマンへと疾走していた。素早く剣を抜く。


そのリザードマンは得物の石斧を構えて上段に振り上げるが、遅い。


駆け抜けざまに、胴体を横に剣を奔らせる。


一瞬後には、不気味な緑色の液体を切り口から噴出させたリザードマンが胴から2つに分かれていた。



仲間を殺された事に憤激したか、リザードマン2匹が両側から、片や短剣を、片や硬い棍棒を手に猛然と襲い掛かってくる。


回避して身をかわせば、どちらか片方に追撃される。



まず、棍棒を持つ方だ。


突進しながら振り下ろされる棍棒を半身になって避けると、その棍棒は石床に激突してへし折れた。


なんとも空恐ろしい威力、直撃していれば頭など粉々にされるだろう。


おそらく避けられるとは考えてもいなかったのだろう、一瞬硬直してしまったリザードマンに、俺は横手から渾身の力を込めて蹴り入れた。


棍棒がへし折れ、余った力に脱力した腕を襲った衝撃に、リザードマンは奇声を上げ、大きくバランスを崩して床に転がる。



蹴りを放った足が着地した瞬間、横手に映るのは短剣を突き入れるようにしてくる、もう片方のリザードマン。


だが、生憎と遅い。


すくい上げる様にして剣を斬り上げ、天井に放り投げる勢いで一挙に振りぬく。



放り投げられたのは、リザードマンの腕の方――短剣を持った腕が宙を舞った。


肘から先を失ったリザードマンが悲鳴を上げ、斬り口から滝のように流れ落ちる緑色の液体を逃がすまいと押さえつける。



斬りおとされた腕がようやく床に落下してくる前に、追撃。


振り上げていた体勢のままに両手持ちにし、今度は逆に剣をやや斜めに上段から斬りつける。



狙ったのは首筋。


一瞬後には、剣先にやや鈍い感触が訪れたが、力任せにそのまま剣を走らせる。



振り切ると、リザードマンの首がぼとりと床に落ちていた。


胴体から緑の液体をさながら噴水の如く盛大に噴出し、身体が後ろへと崩れるのに合わせて首がぼとりと床に落ちる。



今度は先程蹴り飛ばした方だ。


振り向くと、既に体勢を立て直したリザードマンが憤激に身を震わせて、開いた大口から牙を覗かせて突進してくる。



だが――



「《フレイムランス》」



その声が耳に届くや、リザードマンの身体――顔、首筋、胴から炎が突き出た。


しかしながら、その炎は固形物のように蠢くことなく、先端には槍の穂先。



リザードマンはもはや声にならぬ呻きを発している、自分に何が起こったのか、このトカゲに理性があるとすればそう考えただろう。


だが、もう遅い。絶命の時だ。



先程まで固まっていたはずの炎の槍の先端が急に溶解するように蠢くと、数瞬後にはそれは正しく炎となった。


リザードマンの鱗に包まれた身体を、一気に炎で覆いつくす。


猛烈な炎の勢い、肉を焼く嫌な臭いが漂い始め、俺がわずかに顔を顰めた頃には、リザードマンは黒焦げになって崩れ落ちた。



見渡せば、残り3匹いたはずのリザードマンも所々で同様に黒焦げになっている。


そして、その中心にいるのは、杖の先端に炎を灯らせているハンス・アグレール。




《フレイムランス》。


炎の槍を任意の数で発射し、魔物を貫き、その後に内部から身体を焼き尽くす魔法である。ハンスの得意とする攻撃魔法だ。




「すまんな、アサクラ。獲物を取っちまったか?」


「いや……いい。今回はリザードマンの討伐が目的じゃないからな」



殊勝な様子で詫びるハンスに、俺は苦笑いしつつ剣を鞘に納めた。そうか、と言ってハンスも杖の炎を消す。



口の悪いハンスだが、戦闘となれば違う。少しでも仲間が危ないと見えるや、時に前に出て援護してくれる。


こういうところがあるから、俺はハンスを信頼していた。




「……しっかし、どういうつもりなんだ、このトカゲ野郎どもは。なんだってこんな廃墟に群れてるんだろうなぁ?」


「分からない。餌があるようにも思えないんだが、な」





若干、腑に落ちないものを感じつつ、俺たちは塔の上階――6階への階段を上った。


別段、魔物の気配はないが、警戒しつつ6階フロアに入ると、今度は何かおかしなものに遭遇することとなった。




「なんだ……?」



横でハンスが唖然として声を上げる。



フロアの中心、そこに甲冑が鎮座していた。


さながら王国騎士団が装備していそうな、銀色のフルプレートアーマー。決して珍しい形状のものではない。



問題なのは、まずその大きさだ。


片膝をついた体勢だというのに、それでも2メートル程の高さがある。これが立ち上がれば、おそらく3メートルを超えるだろう。

通常の人間が装備するにしては、あまりにも規格外の大きさだ


そして、もう1つ――明らかに魔物特有の嫌な雰囲気が漂ってくるということ。


しかし、これは明らかに唯の甲冑だ。こんな魔物が存在するなんて話は聞いたことが……?


ハンスも同様らしく、全身甲冑を注意深く眺めながら、ゆっくりと近づいていく。



だが――




「おい、こいつ……動くぞ……!?」




ゆっくりと、本当にゆっくりと立ち上がる全身甲冑。背中の赤いマントが靡き、ガチャガチャと奇怪な音がフロアに響く。


やはり、でかい。3メートルを優に超えている。


フルフェイスの兜は、わずかに目の部分だけが空いていたが、そこは暗闇で何も覗けない。




だが、分かる。コイツは間違いなく――魔物だ!





同じ結論に達したか、俺が剣を抜くと同時にハンスが後退すると杖に炎を灯し、戦闘態勢に突入する。



「なぁるほど、巨人ってのはコイツのこと……! 気をつけろ、アサクラ! どんな能力を持っているか分からんぜ、コイツはッ!」



巨人が足を踏み出すのと、ハンスが《フレイムランス》を発射するのはほぼ同時だった。


杖から生じた3本の炎槍、それが凄まじい速度で巨人に向かっていく。


見かけからして鈍重と考えられるこの巨人だから、まず間違いなく直撃する。




しかし――




――ブンッ!



巨人が腕を振るって――!?




「なんだとッ!? 炎が――ッ!」



巨人がその甲冑と同質の籠手で覆われた腕を横薙ぎに素早く振るうと、一瞬で炎槍は始めから何もなかったかのように消滅する。



――力任せにかき消したのか!? それに今の動きは――!




「散れ、ハンス! コイツ、思ったよりも素早――!!」 



ドン、という地響きとともに巨人が床を蹴った。その巨体からは想像もつかないスピードでまっすぐに突進してくる!


反射的に俺は横合いに跳んで、投げ出すようにして巨人の直線上から身体をそらした。

背後を見れば、ハンスも魔法使いにしては素早い動きで同じように動いている。


俺の半身以上はある拳を巨人が振りぬき、そのまま壁に激突。轟音を上げて壁が破壊されて風穴が空く。



「おいおい、冗談じゃねぇぞ、こいつは!」



あんな拳、まともに食らえば骨折どころじゃすまない。最悪、身体がバラバラになる!



「ハンス、とにかく動いて他の魔法を試せ! 俺が牽制する!」 


「わ、分かった!」



巨人が拳を振り抜いた体勢から立ち直るよりも早く、俺は反撃に転じていた。


危険を承知で巨人に接近し、背後から腰部分に剣を突き入れる。



しかし――硬い! 切っ先が弾かれる!



生半可な攻撃では、こんな安物の剣では鎧を貫けない。


そのうちに巨人が素早い動きで反転、至近で見るともはや頭が見えない。



巨人はまるでサッカーボールでも蹴るかのように、爪先を振り上げてくる。


だが、俺にとってはそれは大槌で打たれるのも同然、必死の思いで後ろに身体を投げ出す。



「――ぐぅッ!」



できたのは少しでも後ろに飛び跳ねること。



その直後、胴体を強烈な衝撃が襲い、俺はまさにボールのように蹴り飛ばされた。


宙を飛んでいる感覚とともに、塔の壁に激突する。肩口から襲う強烈な衝撃と激痛に俺は声を上げることすらできず、そのまま床に落ちた。




「くそったれがッ! 《ライトニングスモッグ》!



片膝をつき肩口を押さえてなおも激痛に耐える俺の耳に、ハンスが魔法を唱える声が届く。


なんとか頭を上げると、ハンスの方を向いている巨人が大きな薄黒い球体に包まれていた。



あれが雷雲だ――そして――!


薄黒い球体内部が放電し始める。バチバチと静電気のような音が断続的に発生し、青白い線が球体の中を縦横無尽に駆け巡る!



《ライトニングスモッグ》。


擬似的な雷雲で包み込み、本物に比べたら威力は格段に小さいが、雷で魔物を討つ魔法である。


全身甲冑が金属なら伝導するのが道理。やはり雷は効果があるのか、巨人の甲冑が震える。


やがて薄黒い球体が消えると、巨人が脱力したように片膝をついた。




さすがに雷は効果が――いやッ!!?




「これはさすがに効いた、かよ……?」



「逃げろ!」



「――なに!?」




駄目だ、遅い!


巨人は脱力したのは演技だったかのような俊敏な動きで身体を起こすと、ハンスに向かって突進した。



腕を下から振り上げるアッパー。拳はまっすぐにハンスを捉えていた。



ようやく体勢を立て直したばかりのハンスにそれを避けることはできなかった。咄嗟に両腕で身体を庇うが――!




「ガッ……!?」



刹那、ハンスの身体はまるで先程の俺のように宙を舞っていた。


壁に激突する前に地面に落下し、ボールが弾むように何度もバウンドして転がり、やがて停止する。




――まずい! 今の食らい方は――!!?



ハンスの身体は床に転がったままピクリとも動かなかった。最悪の結末が脳裏に去来する。



しかし、その思考すら巨人は許してくれない。


トドメだと言わんばかりに、巨人はゆっくりと転がるハンスに接近していく。






瞬間、頭が真っ白になる。


一切の逡巡もなく、俺は力強く剣を握って駆け出していた。






―――後にして思えば、この時、俺は反対方向へと、下階へと通じる階段に向かうこともできたはずだ。


―――退却。それができない状況だったわけじゃない。


―――極めて利己的だが、ハンス・アグリールを見殺しにして、自分だけは逃げ出す。そういう選択肢もあったはずだ。


―――何故ならば、俺はここで死ぬわけにはいかなかった。何をおいても、元の世界に帰らなければならなかったから。


―――こんな異世界で、玉砕するわけにはいかない。


―――だが……。





俺は飛び掛るように巨人に接近し、腕めがけて斬りつけた。


弾かれることは分かりきっているのに、それでも直感的に行動してしまった俺は自身の動作を止めることができず、突っ込んでいた。




「……え?」



やがて、俺は自らの行動とその結果に疑問の声を上げることとなった。


俺は剣を振り抜き――そして、巨人の甲冑には明らかな斬撃の痕がついていたのだ。



そして、剣は何か白い光で包まれていて――。



茫然としている暇はない。


巨人は傷をつけられたことに脅威を感じたか、即座に反転して俺目掛けて拳を振り上げてくる。



――斬れる!



それは何の根拠もない、しかし絶対の確信。




猛然と襲い掛かる巨大な拳に、俺は体勢をずらしつつ、白光に包まれている剣をそのまま正面からぶつける。



今度は間違いない、剣は正面から激突した拳を見事に切り裂き、肘先まで走った。


瞬間、今まで無言だった巨人が野太い唸り声を上げる。



しかし、その特徴的な唸り声は度々聞いたことのあるもので――!




「「トロルだッ!!」」




俺の声と、ハンスの声が重なる。


一瞬だけそちらに視線を向ければ、床に片手をつきながらも、起き上がっているハンスの姿があった。



であれば、やるべきことは1つ!




「頼む、ハンス!」


「了解だ!」



何をするのか――までは必要などない。巨人の中身がトロルであれば、やることは決まっている。


片腕を押さえて悶絶しているようにも見える巨人は動きが止まっている。


そのだらしなく垂れ下がっている腕を足場に、頭部目掛けて跳び上がる。



横薙ぎの一閃は巨人頭部の兜を刎ね飛ばす。



そして、現れたのは予想通りの顔。


暗い青色の体皮に、飛び出てくるような大きな一つ目。首はなく、身体から出っ張りのように生えている頭だ。


顔にあるのはその一つ目と小さな口だけという醜悪な魔物、トロル。




「《フレイムランス》!」



俺が着地するよりも先に、間髪入れずハンスの魔法が発動する。今度は3本ではない、1本だけだが極太の炎の槍。



発射された炎槍は猛スピードでトロルの頭――その大きな一つ目を刺し貫いた。


トロルがつんのめるようによろめき、そして声にならない悲鳴を上げる。



すぐに炎槍は融解し、正しく炎へと化した。


トロルの頭で炎が燃え上がり、そしてその炎は上半身から全身へと伝播しているようだった。


あちらこちの甲冑のほんのわずかな隙間から、わずかに炎の先が覗く。



「……手間ぁかけさせるんじゃねぇよ、木偶の坊め」



やがて、俺の目の前で巨人は倒れた。


後に残るのは、内側から発生した炎程度ではびくともしない甲冑と、先程よりも酷い肉の焼ける臭いだった。















「はあぁぁぁ……やばかったな。咄嗟に《身体強化》を使ってなけりゃ死んでたぜ、これは」



よろよろと立ち上がるハンスに、俺は冷や冷やさせるなとだけ言っておいた。



《身体強化》。


文字通り、身体への外部的な衝撃を緩和する補助魔法である。

どこにそんな暇があったのか、あの巨人に殴られる瞬間に、そんな魔法を使っていたらしい。



足元の巨人の甲冑を眺めながら、剣を鞘に納める。



「しっかし、蓋を開けて見ればまさかトロルたぁね。道理で《ライトニングスモッグ》が効果がないはずだ。この一つ目入道は雷には強いからな」


「ああ。……ったく、どこからこんな上等なアーマーを手に入れたんだか」



トロルが鎧を装備するなんて聞いたことがないし、ましてこんな明らかに通常の人間には規格外の鎧をどうやって調達したのか。


疑問はあったが、答えてくれる者はいそうにない。



「それにしても、だ。どうしたんだよアサクラ! まさかこの鎧をぶった斬るとは恐れ入ったぜ! どういう魔法だい?」


「……実は俺にもよく分からん」



巨人が倒れた後、剣に発生していた白光はすぐに消えていた。


突如として発生し、消えるときも突然だった、甲冑を易々と切り裂くほどの力を安物の剣に与えた白い光。


ハンスは頻りに「そんな魔法は聞いたことがない、何の力だ」と聞いてくるが、自分でも分からないのだからどうしようもなかった。



「ったく……まぁいいさ。無事に倒せたんだからよしとしよう、依頼達成だ。暫く休憩してから帰ろうぜ」












《身体強化》を使ったとはいえ、やはり巨人に殴られた跡が響くのか、回復魔法を使っているハンスを尻目に、俺はもう1つ上の階へと足を進めていた。


どうやら6階が最上階らしく、せっかく《知性の塔》に登ったのだ、何か珍しいものでもないかという、単なる好奇心からである。



6階フロアに入ると、5階までは何もなかったはずのフロアに変化が現れていた。



「なんだ……? 本棚か?」



フロアを埋めつくすような本棚だ。これが規則的に並んでいるのではなく、てんでバラバラの向きで縦横無尽に置いてある。


横倒しに倒れているものもあった。


しかし、中身がない。ザッと本棚が散らかるフロアを歩いてみるが、あるのは棚だけで肝心の本はない。


伝承にいう賢者が、この塔を去るときに持ち去ったか、あるいは長い年月の間に何者かに持ち出されたのだろうか。




ふぅ、とそれほど期待していたわけではないが、あまり大したものがなかったことに溜息1つ。



さっさと帰るかと、階段へと足を進めようとした、その時だった。


横倒しに倒れた本棚に押しつぶされるようにしてのぞく、小さな紙切れを発見したのは。



小さく書かれている文字に目を凝らし―――!



「なッ!!?」



俺は本棚を蹴飛ばすようにして押し退け、その小さな紙切れを手に取った。


かなり古いものなのか黄ばんで汚れており、若干読み取れない部分こそあるが、はっきりと読むことが出来た。



そこに書かれていたのは―――






「《勇者召喚》。大いなる光の力を持つ……を、異世界より召喚する……魔法。


魔王に対抗……に、オーラキア帝国……より創り出された」




若干不鮮明だが、《勇者召喚》のこと。


別に、それだけなら大して驚くべきものじゃない。





問題なのは、これが―――





「なんで……ここで……!」





間違うことなき、元いた世界の言語――日本語で書かれているということだ。





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