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第15話:盗まれたワインと、消えた時間

その日の夕刻、公爵邸の地下にある広大なワインセラーは、静まり返っていた。公爵は、顔色をなくし、ワイン棚の空いた一区画を凝視している。そこには、数十年前に公爵が自ら熟成させた、最高のヴィンテージワインが収められているはずだった。しかし、今はただ、埃を被った空きスペースだけが残されていた。


「セバスチャン! 一体どういうことだ!? このワインセラーは、常に施錠されており、鍵は私とセバスチャン、そして数名の熟練した使用人しか持っていないはずだ!」


 公爵が、絞り出すような声で叫んだ。ワインセラーの扉には、不審なこじ開けられた形跡はなく、窓も全て閉まっていた。完璧な密室だった。


「申し訳ございません、公爵様。わたくしも今、確認したところでございます。確かに鍵はかかっておりましたが、該当のワインだけが忽然と消えておりました。他に、不審な点は見当たりません」


 セバスチャンは、沈痛な面持ちで報告した。


「まさか、盗難、ではないでしょうね? そんな、誰がこんなこと……」


 公爵夫人が、心配そうに公爵の腕に手を添えた。


 その時、ワインセラーの入り口から、公爵のワイングラスを持って、ひょっこりとエリスが顔を出した。グラスの中には、琥珀色の液体が半分ほど残っている。


「お父様、お母様、セバスチャン! みんなで何してるの? もしかして、ワイン探し? 私ね、さっき、お父様がここで『このワインは、今が一番美味しいんだ!』って言ってたのを聞いたから、一口だけ味見してみたんだもん!」


 エリスは、無邪気にグラスを差し出した。グラスから、確かに公爵が失くしたワインと同じ、芳醇な香りが漂ってくる。


 公爵の顔色が変わった。彼は、慌ててエリスのグラスを取り上げようとする。

「エリス! 何を言い出す! このワインは、まだ開けていないはずだ!」


 **空間が、激しく波打ち、歪んだ。公爵の記憶の中で、エリスが発した「このワインは、今が一番美味しいんだ!」という言葉と、それに続く「一口だけ味見してみた」という言葉にまつわる会話の記憶が、ガラスが砕けるように消え去った。**公爵の瞳が虚ろに揺らぎ、ハッと我に返った。


「……わしは、何を……?」


 公爵は困惑したように周囲を見回した。


 セバスチャンの背筋に、氷のような冷たさが走った。

(エリス様の能力が発動した……! つまり、公爵様が「まだ開けていない」と否定した言葉は、論理的な矛盾を孕んでいた、ということになる。なぜ? そして、その矛盾が解消されたことで、何が真実として浮上したのだ?)


 セバスチャンは、エリスの手に残されたワイングラスと、消え去った公爵の記憶を繋ぎ合わせた。

 公爵は「まだ開けていない」と主張したが、エリスは「お父様が言ったから味見した」と言った。そして、その「お父様が言った」という部分の公爵の記憶が消えた。つまり、公爵は、既にワインを開け、飲んでいた。


(しかし、公爵様はワインが盗まれたと信じている。これは矛盾する。公爵様は、自分がワインを開けたという事実を、なぜ忘れてしまっているのか? あるいは、何か、その事実を上書きするような出来事があったのか?)


 セバスチャンは、ワインセラーの入り口近くに、少し埃を被った古いカレンダーが掛けられていることに気づいた。カレンダーは、ちょうど**昨日付のページが破り取られ、今日のページが表示されていた。しかし、破り取られた箇所の端に、微かにインクの跡が残っている。それは、「〇〇伯爵との打ち合わせ」**と読めるような、公爵の筆跡だった。


 セバスチャンは、公爵に静かに問いかけた。

「公爵様。失礼ながら、昨日、このワインセラーで、何か特別な出来事はございませんでしたか? 例えば、何かを記念して、このワインを開けられたとか……」


 公爵が、ギクリと体を震わせた。彼の顔色から、一気に血の気が引いていく。


「な、何を言われるのだ、セバスチャン! そんなはずは……!」


 **空間が、激しく揺らめいた。公爵の否定の言葉が、「パリンッ」と音を立てて消滅した。**彼は顔を覆い、ガタガタと震え始めた。


 セバスチャンは確信した。

(公爵様は、昨日、このワインを開けた。しかし、その事実を隠そうとしている。なぜ? そして、なぜカレンダーを破り捨てたのか? 公爵様は、何らかの理由で、昨日の出来事を隠したいのだ!)


 セバスチャンは、破られたカレンダーのページを指差した。

「公爵様。このカレンダーの破られたページ。それは、昨日付のページではございませんか? そこに記されていたのは、『〇〇伯爵との打ち合わせ』ではなかったと? そして、その打ち合わせの席で、このワインを開けられたのでは!?」


 公爵の顔が真っ赤になった。彼は、目を泳がせ、どもりながら告白した。

「……っ! その通りだ……。実は、昨日、〇〇伯爵との秘密の打ち合わせがあり、その席で、伯爵が『このワインを飲んでみたい』と強く所望したので……。しかし、妻には内緒にしておきたかったのだ! それで、飲んだことを隠すために、カレンダーの予定を破り捨て、自分自身に『まだ開けていない』と思い込ませようとしたのだが……」


 公爵の告白は、消えなかった。論理的な矛盾を含んでいなかったからだ。


 公爵夫人は、公爵の告白に呆れたようにため息をついた。

「あなた……! なぜそんな嘘を……!」


 エリスは、またも状況が理解できない。

(ワイン、もうないのかなぁ? もっと飲んでみたかったのになぁ)


 彼女は、空になったワイングラスを傾けて、残念そうにしていた。


 セバスチャンの脳内で、全てのパズルが完成した。

(なるほど! 公爵は、妻に隠れて、秘密の打ち合わせでワインを開けて飲んだのだ。そして、その事実を隠すために、**カレンダーの予定を破り捨て、自分自身の記憶を「まだ開けていない」と意図的に改ざんしようとした。**だからこそ、ワインが「盗まれた」と思い込み、その事実を巡る公爵の記憶が矛盾していたのだ!)


 セバスチャンは、深々と頭を下げた。

「公爵様、夫人。ワインは、盗難ではございません。公爵様が、秘密の打ち合わせの際に開けられ、その事実を夫人から隠すために、ご自身の記憶を『操作』なさったものかと存じます。エリス様の証言と、破られたカレンダーのページが、何よりもその証拠でございます」


 公爵夫妻は、顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。


 エリスは、空のワイングラスを、セバスチャンに差し出した。

(ねぇ、セバスチャン。またワイン見つけてきてくれる?)


 セバスチャンは、心の中で呟いた。

(公爵令嬢エリス様。貴方様の無垢な一言が、嘘を消し去り、真実を浮かび上がらせる。そして、その真実は、時に、人々の**『些細な秘密』や『隠し事』**という、人間臭い一面をも暴き出す。……このデタラメ推理の道は、果てしなく続く)

構想を練るので、しばらくお休みします。

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