[2]春空のご馳走? *
パパとママがあたしを呼んだのは、これからパパの故郷ヴェルへ出発するからなの。
あたしは二人に手を振りながら、笑顔で駆け寄って船に搭乗した。
真っ白な気嚢が春の青空に映える大きな飛行船。操縦はパパでもママでも出来るけれど、ずっとママの役目かな。だってママは飛行船の修理が出来る一等技師で、有能な操船士でもあるから。
でもそのノウハウを教えてくれたのは、パパだっていう触れ込みだけど?
話を少し戻すね。
ヴェルで幸せな三日間を過ごした二人は、それから皆の待つ王宮へ出向き、政府の代表ロガールじじ様と面会をした。パパは王族から離脱することを宣言して、全ての権限は王家アイフェンマイアの一族に委ねること、『ラヴェンダー・ジュエル』は自分と共に在りたいと願っているから、それだけを戴いてママの故郷で生活をすること、その三つを告げてパパはママとこの地へ帰還した。
けれどあたしは時々思う。パパは王様の地位と国を掌握出来る力を惜しくは思わなかったのかしら? ママもお妃様という優雅な名と煌びやかな生活に憧れなかったのかしら?
でもきっとそれ以上の幸せがココにある、って思ったからこそ戻ってきたのだろう。いつかそれがあたしにも分かる時が来るのかな??
ん? キミはハネムーン・ベイビーなのかって?
違うよー。まぁ、このヴェルに行った時の二人はまだ正式に籍を入れていなかったし、この旅がハネムーンでもなかったけれど。
あたしが生まれたのはその三年後。だってパパは魔法の眠りから覚めたばかりで仕事をしていなかったし、ママも学校と研修を終えた就職間際だったから。
ちょっと複雑な話になるけれど、実際パパは義眼師のお家に生まれたの。パパのママが王家アイフェンマイアのお姫様で、義眼師のお家に嫁いだんだ。だからパパも義眼師の修行をしていたんだって。ヴェルから戻ってママのお家で暮らし始めたパパは、まず一番近い街の大きな市場に小さな出店を広げて、今まで造った精巧な義眼を道行く人にお披露目した。パパは「義眼の義眼師」だから、その義眼を自身の左眼に挿入して、全く違和感のないその様子に、人々はもう仰天ものだったのだそう! そうして噂が噂を呼んで、パパの仕事は順調に安定し、今でも自宅の作業場でお仕事をしているって訳。
一方ママも帰宅後に正式に就職先を決めて、一番近い飛行船修理工場で働き出した。操船士の腕も買われて、時々日帰り程度の航行にも出張する。もちろんあたしを出産する前後はお休みをしなければいけなかったけれど、早々に完全復帰したのは……そう、パパがいつもお家にいてくれるからかな? だから家事・育児・家庭菜園や花壇の手入れは今でもパパのお仕事。一方主に家計を支えているのはママなのだ。お陰であたしはどちらかと言えば~パパっ子なのかも知れない?
「リル、ランチはどうする? 今朝隣のおばさんから貰ったホワイトアスパラガスが沢山あるから、新鮮な内に茹でようか? ソースはオランデーズソース(卵黄とバターの温かいソース)とヴィネグレットソース(酢とオイルで作る、いわゆるフレンチドレッシング)のどっちが良い?」(註1)
パパは離陸したばかりの船内キッチンから、リビングど真ん中のテーブルのあたしに質問をした。その魅惑的な十文字に、ぽーっと脳内に巡らせていた今までの経緯も弾け飛ぶ。ホワイトアスパラガスはあたしの大好物だ! ニッコリ笑って頷いて、パパの問い掛けた二つのソースではなく、固ゆで卵と溶かしバターのソースを掛ける、いわゆる『フランドル風』をおねだりした。
パパは快諾してあたしに背を向け、その後ろ姿は持ち切れないほどのアスパラガスを握り締めていた。……で? 茹でアスパラは前菜で、メインは別にあるのよね??
「あ、ママー、今日の離陸も気付かないほどだったね! さっすが~!!」
「ありがとー、ルヴィ」
階下の操船室でお見事な離陸を果たし、自動操縦に切り替えたママが上がってきて、あたしはママにもニッコリと微笑んだ。途端おんなじ笑顔と感謝の言葉が返される。ジュエルが見せてくれた昔のママは、今のあたしに結構似ていて可愛らしい。言葉遣いはなかなか荒っぽかったみたいだけれど、それは内緒にしておいてあげてね!
ああ、そうそう……あたしがどうして「リル」と「ルヴィ」って呼ばれるのかってお話ね。
これにはパパとママの名前が関係しているの。
パパの名前は「ラウル」、ママの名前は「ユスリハ」っていう。
でも昔、ママはパパを「ラヴェル」と呼び、パパはママを「ユーシィ」って呼んでいた。
パパはあたしの生まれた時、ママの本名「ユスリハ」のどれか一文字を入れたかったみたい。それはママも同じ想いで、そしてお互いにお互いの愛称も捨て難かったらしい。こうして「ユスリハ」の『リ』・「ラウル」の『ル』・更に「ラヴェル」の『ヴ』・「ユーシィ」の『ィ』まで足された「リルヴィ」の誕生となったのね! 安直だけど……まぁ「ごちそう様~」と両親に言ってあげたいわ。
おまけにあたしの愛称もどちらかに偏ることが耐え難かったらしく、パパが「リル」・ママが「ルヴィ」と呼ぶことに決められた。それ自体は構わないのだけど、新しい友達が我が家を訪れた際に、必ず訊かれていちいち説明をするのは、ちょおっとぉ面倒臭い。
「ねぇ~ママ。ランチのメインって何だか知ってる?」
パパが淹れてくれたお茶をキッチンから運んできたママへ、あたしはこそっと尋ねてみた。
「あら? パパが言わなかった? 今日はホワイトアスパラガスだって」
いえ、それは知ってるけど~あたしが質問しているのはメインディッシュなんですが?
「前菜は茹でたホワイトアスパラガスでしょ、で、次がスープね! ホワイトアスパラガスの。そしてメインはホワイトアスパラガス・リゾット!!」
「……へ?」
にこやかに説明したママへ、あたしは思わずあんぐりと口を開けてしまった。
どうして全部ホワイトアスパラガス料理なの!?
「だって~あなた、この間クラブで遅れて帰ってきた時に、先に食べ終えちゃったら怒ってたじゃない。「死ぬほどホワイトアスパラガスを食べさせてくれなきゃ、ヴェルには行かないー!」って」
……そんなこと……言った気も、しないでもないですが??
「だからパパは内緒でお隣さんに頼んでいたみたいよ? それが今朝届いたんですってー」
そ、そうでしたか……こんなに愛されていて、心の底から嬉しいです、パパ。
満面の笑顔で話を終えたママに、あたしは苦々しい笑いを返した。額にうっすら汗が滲む。何だか嫌な予感がするのは何故だろう??
「おまたせーリル! まずは前菜の茹でアスパラ・フランドル風だよ」
そんな矢先にママとあたしの目の前へ、ドドーンと円盤のような大皿が見事な着地をした。
「「たーんと召し上がれ」」
山のような茹でアスパラを前にして……ママとパパの元気な掛け声に、あたしは……二人の愛の深さに溺れ死ぬか、はたまたアスパラの食べ過ぎで倒れ死ぬか……どちらが先だろうかと、頭をフル回転させていた──!!
[註1]ホワイトアスパラガス:フランスでは穂先の脆さから「マドモアゼルの指先」と呼ばれ、柔らかく繊細な歯ざわりと甘みが特徴。グリーンや缶詰とは別格の、ふっくらとして滋味深い春の風物詩です。
*お読みくださり誠に有難うございます*
この物語は前作の最後:ラヴェルの眠っていた二年弱後より、三年後にリルヴィ誕生 + 更に彼女は十四歳になっていることから、約十七年後の世界となります。
ですから既にラヴェルは四十歳、ユスリハは三十七歳になっております。