3
「私は砦から出るつもりはない。」
円卓の面々は、一言も発しない。皆、ヴァルがなぜ私に逃げることを勧めているのか、十分理解しているのだ。
生き残れと。私だけでも生きてくれと。
「砦は我々兵士が身命を賭して守ります。ここに必要なのは兵士だけです。殿下は一旦退いて、次の段階に備えてください。砦には兵士のみ残ればよい。殿下は必要ありません。」
ヴァルが眉根を寄せて、私を睨む。初の女性司令官、常に冷静を心がけてきているのはわかっている。でも、君のどんな小さな表情の変化も、私は見逃したことがないんだからね。そんな顔をしても、私がヴァルを読み違えることなどありえない。
それどころか、この場の誰も謀れていないよ、ヴァル。私はゆっくり返事をした。
「私も陛下の兵卒の一人だ。」
再び口を開いたヴァルを手を上げて制したネッドが、柔らかな口調で説明を始めた。
「今の帝国に、リンデンを蹂躙し、その後統治するだけの力はありません。砦がどうなろうとも、結果は出ないのです。その後は帝国との交渉となりましょう。砦が落ちれば、交渉は帝国に有利。砦が持ちこたえれば、リンデンが優位に立って交渉が進められましょう。どんなに足掻いても、どちらかが滅びるまでにはなりません。砦と北の辺境一帯を、驚くべき速さで統治され、人民の敬愛を受けている殿下が交渉の場に立たれるのは、リンデンにとって、非常に有益なこととなりましょう。ただの一兵卒で砦に残られるよりは、陛下の御為となりましょう。」
ぐっ、この男。
「では、ベネディクト、お主も砦を引くのか?黒龍相手ではさすがの軍師も役には立つまい。」
子供みたいだと言われようとも、つい、文句が出てしまう。ベネディクトの不自由な体を嘲るつもりは到底ないけれど、黙って追い出されてたまるものか。
「そうね。ネッドは私が連れて逃げる。」
フリスだ。思わぬところから援軍が来た。ネッドの双子の妹は、ヴァルがよく、「軍人の家に育ち、軍人であることを一番良く理解している」と言っていたが、それでも救えるものであれば、ネッドを救いたいのだろう。
テーブルの上で震えるフリスの手を、隣に座るクリストフがそっと握る。私は自分の発言を恥た。
「だーめ、私たちは逝く時は、一緒に踏み潰されることにしてるから。お互いの瞳を覗き込みながらね。なかなかロマンチックでしょ。」
そういいながら、セスとネッドが目を見交わしている。焼けつくような痛みが、胸に這い上がってくる。どうして私とヴァルにはこんな時がこないのだろう。ヴァルは自分が盾となり、私を逃すことを選ぶのだ。
「ちょっと!笑えないわよ、それ!」
フリスが文句を言う。
「妹ちゃんは、ネッドを抱えて逃げることより、ストラウス家の存続がアンタと文官くんの肩にかかってることだけ考えなさい。」
フリスの震えは、今や肩まで広がっている。クリストフの手が、フリスの手を巻き込むように、抱え込んだ。
ネッドを抱えて逃げること、それ自体、身体的に困難なことではある。だがそれより問題なのは、ネッドの軍師としての知名度が非常に高いことだ。師団で確固とした地位を築くため、皆で流した評判が、ここに来てアダとなった。一緒にいるところを見つかれば、ネッドによく似たフリスも、帝国軍に容赦無く殺されるだろう。
それを一番よく知っているのがネッドなのだ。
「あ、それと、ミーガンと・・・」
セスのお願い事は、最後まで言う必要がないようだ。
「イエーツ夫人とミーガンは、確実に退去させる、大丈夫。」
フリスが力強く頷いた。
イエーツ夫人は、婚家であるイエーツ家を去ると、実家に戻ることもなく、ミーガンを連れてこの街に移ってきていた。新しい生活に十分な慰謝料は受け取っていたけれど、街で作法や刺繍を教えながら、ミーガンを育てるという、本人いわく「ハリのある2度目の人生」を楽しんでいた。
セスが安心のため息を漏らす。誰も彼もが思い残しのないように動いている。私たちの頭上には、あの黒い影が翼を広げていた。
それまで沈黙を保ってきたイザドラが声を上げた。
「誰も彼も、なんで死ぬことが前提なのよ。」




