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砦の城壁塔から見る遥か地平線の彼方に、黒い影が見える。まるで地平線からかすったモヤのようなものが湧き上がっているようだ。
「あれがそうなのか?」
城壁塔に私の横に並んで立ちながら、同じく地平線を睨むヴァルに声をかけた。
「はい。間違いございません。偵察の者からも報告が来ております。」
ヴァルの声は低い。この驚くべき事態に私同様驚愕しているのだろうが、眉一つ上げず、冷静に答えが返ってくる。
「どのぐらいでここに到着すると見ている?」
再び問いかけた。
「正確な予測は困難かと。本来ならば、一っ飛びのはず。しかしながら、制御がうまく出来ていないようで、あちらこちらにふらふらしております。それでもこちらの方向に向かっているのは確か。奴の後方2キロ離れたところに、帝国軍が控えており、追従しております。彼らがなんらかの手段で、操っているのでしょう。ただ、2キロの距離は、その操作が完璧ではないことも知らしめております。ある程度離れていないと危険であると判断しているものと考えられます。」
ヴァルは一旦言葉を切って、視線を地平線から私に戻す。
「ですが、帝国軍が都から出立したと仮定し、ここまで来た時間から予測すれば、遅くとも一週間以内に砦に到達するかと。」
「何故、都から出発したと判断した?」
ヴァルの視線を十二分に意識しながら、それでもヴァルの上司としての威容を忘れないように問いかけた。ヴァルはこんな時に、私が責任者としての面目を失うことを許さないことを胆に命じる。
しかし取り繕うことは容易ではない。砦に来て3年、陛下から正式にこの砦と街の統治を司ることを拝命して2年。ようやく実ったものが、崩れ落ちていく予感が払拭できないからだ。
「帝国軍の殿が、皇帝とその取り巻き共であることから判断しました。通常都にいる者たちです。」
そうか。皇帝自ら出てくるほど、今回の作戦に自信があるのか。いや、都にいられないぐらい、皇帝を取り巻く状況が逼迫しているのだろう。度重なる戦争による疲弊と腐敗。帝国は腐り切っている。
その帝国を、戦争することなく切り崩すというベネディクトの作戦は順調だった。積極的な難民の受け入れ。イザドラを中心とした神殿と軍による難民の救済。元難民たちは、単純労働と、衣食住が補償された低賃金労働を厭わないため、そこをうまく利用しての労働力となった。彼らが徐々に自立していく様は、詳細に渡って帝国内とその周辺に噂として広がり、帝国をさらに揺るがした。
砦周辺の街は、軍の家族や新た商店の流入により活性化したし、同時に軍指導による自警団や警備隊になるための軍事訓練により、治安と生活を自ら守るという意識改革が徹底させた。
軍の指導の多くの部分を、ヴァル指導の元、女性騎士が賄った。街の人々が、比較的容易に軍を受け入れたのも、街の女性や子供たちが不安を感じない、女性兵士の力によるところが大きい。
ようやく蒔いた種から花咲いたというのに。
地平線の黒い影が一層濃くなった気がした。あれを倒さねば。
脳裏に、黒い翼、鋭い牙、火を吹く口、振りかざした爪が浮かぶ。
「ヴァル、黒龍覆滅の戦略会議を開く!」
「はっ!」
マントを翻して城壁を降りようとする私に、ヴァルが続いた。




