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「ノーザンクロスに配属された兵士たちの士気が下がっている。兵士だけでなく、幹部部隊の騎士達も疲れ切っているんだ。だから交代の部隊を連れて砦の様子を見てこいと言われてる。」
ヴァルがこともなげに言う。
「僕も行く!」
殿下が、寝そべっていた長椅子の上で、ガバッと起き上がりながら叫んだ。
ご勝手にどうぞ。私はいかない。
ノーザンクロスは、北方のキャントレル帝国との国境を守る要の砦だ。キャントレル帝国との5年に渡る長き戦争のせいで私たちの住むリンデン王国も疲弊した。決定的な決着もつかず、キャントレルが西国とも戦い始めたのに乗じて結んだ講和条約には賠償金さえなかった。こっちは終戦条約だといってるのに、疲労した腑抜け貴族院が、キャントレルの「これは停戦条約だ」に押し切られやがった。キャントレルから流れ込む難民の対処もしなきゃならないノーザンクロスは、ぼろぼろなんだろうな。
殿下の要求を、ヴァルが
「この度は、我ら師団による任務です。殿下が向かわれる必要はございません。」
と、にべもなく断った。
「・・・い、いく!」
普段は割と出なくなった吃音が顕れている。せっかく毎日指導してるのに。私は殿下の言語指導という名目で、神殿施設から一目散に逃げ出し、殿下いる離宮に転がり込んだ。以来半年、一応、詩を朗読させたり、歌を歌うことによって、進歩はしているんだ。だけどヴァル相手だと、毎回心なしか、どこかに余計な力がかかってるわ。可愛い奴め。
ヴァルはリオン殿下から、お付きの騎士になって欲しい、と頼まれたにもかかわらず、「まだ師団に色々やらなければならないことがございます。」とか言って、王宮勤めを断った。おかげで殿下は、魔術の勉強以外にも、毎週師団に通い、ヴァルから剣の指導を受ける羽目になった。
今日は珍しくヴァルの方が王宮にきたと思ったら、しばしの別れをいいにきたのか。部屋に入ってきた時、殿下は両手を広げてヴァルを抱擁しようとしたのに、ヴァルがさっさと騎士の礼を執ったので、殿下が両手をバタバタさせて抱きつこうとしたのを誤魔化していたのを、私はちゃんと見てたんだ。可愛い奴め。
ということで、私はヴァルに脱毛の刑を与えている。
ヴァルとの言い合いに勝てない殿下が、
「もういい!陛下に直接お願いする!」
と、飛び出していった。
「お待ちください、殿下!先ぶれもなしに!」
追いかけようとしたヴァルをフェリシティが引き留めた。
「ちょっと、ヴァル姉さん、そんな眉で外に出ないでよ。陛下に御目通りなんてもっての外よ。」
そういえば、まだ片眉だ。ヴァルが焦る。
「木炭がないか?眉を描いて殿下を追いかける。」
アホか。私は恐怖で引き攣るヴァルの眉にしっかりワックスを塗り、その上から布で抑えた。乾くまで、しばらく時間がかかる。
「で?セスは当然断ったのよね?あんたはノーザンクロスなんかに行かないでしょ?」
ずっとおとなしかったセスが、
「え?受けたわよ。あそこは山砦で、弓部隊の立て直しも必要だから。」
と、答える。意外だ。部隊なんてものに興味も関心もないくせに。私が振り返ってセスを見ながら首を傾げる。
「大方イエーツの奥方に、出っ張った腹を見せつけられたんじゃないの?」
まるでしなる鞭のような言葉を放ったのは、フェリシティだった。私の「訳がわかりません」という八の字眉に、フェリシティが答える。
「セスのボーイフレンドが婿入りした伯爵家よ、イエーツって。あそこの奥方ちょっとお腹が目立ち始めたから。」
ああ、なるほど。妹ちゃんときたら、ほんとに貴族内の事情をよく知ってる。ヴァルが、殿下付きの女官として推薦してきただけのことはある。
「なんだ、できるんじゃん。」
思わず出ちゃった。鼻つまんで水に潜ったんだな、モーガン・バスケス、いや、モーガン・イエーツか。
イエーツ伯爵の妻、シンシア・イエーツの顔・・・思い出せない。茶のかかった見事な赤毛だったことは覚えてるけど。
「うるさいわね!あんた達がどうであれ、私は行くわよ!」
セスが、鼻息荒く部屋を出ていった。セスがどうであれ、殿下がどうであれ、ついでに言えば、ヴァルがどうであれ、私は行かない。お断りだ。
バリッ。
思い切りよくヴァルの眉から布を剥がす。
声もなくヴァルが転がった。




