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今日のリーゼロッテは覚悟が違う。絶対にテオドールの目を見て話してみせると心に誓っているのだ。朝、隣を歩くテオドールに意を決して話しかけた。
「テオ!」
「ごめん!」
それがどうしたことか、テオドールはリーゼロッテに話しかけられたとたんに駆け出してしまった。
「ちょっと、どうしたの!?」
「ごめん、本当にごめん!」
一目散に逃げるテオドール。それを黙って見送るリーゼロッテではなかった。
「待ちなさぁぁぁい!」
ひざ丈の制服のスカートを翻し、全力疾走で追いかける。
その場に残されたアリスは、思いもしない展開に目をぱちくりとさせるばかりであった。
そしてそれはクラスメイトの面々も同じである。婚約した二人が新学期早々に気まずい雰囲気になっていたと思えば、青春を感じさせる甘酸っぱい空気を醸し出し、今朝は全力疾走の追いかけっこで息を上がらせて教室に飛び込んできたのだ。クールな次期宰相のと愛くるしい侯爵令嬢の見る影もない。そもそも貴族なのか疑わしくなるレベルの振る舞いである。
「あの、アリス様……お二人はどうなさったの?」
「さあ? 私にも全く分かりません。リズさんの行動は理解できるんですけど、テオさんがどうして逃げ回っているのか……」
「リーゼロッテ様は理解できていらっしゃるのですわね」
それはそれですごいことだわとクラスメイトの女子が口を引くつかせる。理解できるという事はつまりリーゼロッテの気がおかしくなっていないという事なのだ。要するに、リーゼロッテは正気の状態でテオドールを追いかけまわしている。
「リズさんの突拍子もない行動は皆さんもよくご存知でしょう? 今回もそんな感じです」
アリスの解説に、一同はなるほどと頷くほかなかった。
――問題は、テオさんなんですよね。
教室の中でも必死の形相で追いかけっこを続ける二人を眺めつつ、アリスはひとり考える。教室内で暴れちゃいけませんと二人を止めるのはもうすぐやってくる教師に任せることにした。公爵令息と侯爵令嬢に説教できる教師がいるとは思えないが。
――昨日まではリズさんを避けるそぶりはなかったと思うんですが。
首をひねるアリス。どんなに考えてもそれらしい理由は思い浮かばなかった。
時は遡り、昨晩の事。
テオドールはまたもやレオナルドの部屋を訪れていた。
「どうすればリズと仲直りできるでしょうか」
「どうしてそれを僕に聞くんだい」
理由はわかっている。他に適任者がいないという消去法だ。それでもレオナルドは声を出さずにはいられなかった。
レオナルドだって相手の意識外で初恋と失恋を経験しただけの恋愛初心者なのだ。
「一応、俺なりに調べてきたのですが」
「ちょっと待って。何を持っているの?」
テオドールが大事そうに持っているのは、年頃の男子ではまず手にすることはないであろう可愛らしい装丁の本だった。ピンク色で可愛いフォントの文字が表紙を飾っている。
「図書館で借りてきました」
「『月刊バイブル』……少女小説の雑誌を、わざわざ?」
「今月号が貸し出し中だったので先月号ですが」
「そこはどうでもいいかな」
月刊バイブルは、その名の通り少女たちのバイブル的存在の少女小説を集めた月刊誌である。名の知れた小説家たちが寄稿する人気雑誌だ。
テオドールはそれを参考にリーゼロッテとの接し方を考えたというのだ。レオナルドは頭を抱えた。
「小説を参考にしたってなあ……」
「案外収穫はありましたよ」
対するテオドールはどこか自信ありげに月刊バイブルを掲げている。
「世の乙女たちはツンデレ・クーデレに弱いらしいのです」
「小説の中ではね」
レオナルドの控えめなツッコミもむなしく、テオドールは不敵な表情を浮かべたままだ。
忘れそうになるが、テオドールも前世の記憶を持つ転生者である。もちろんツンデレやクーデレの知識も持ち合わせている。それがウケるのはフィクションのみだという事も理解しているはずなのだが、どうやら今のテオドールは頭のねじが一本どころか五本ほど紛失してしまっているようだ。
「俺もツンデレをすればリーゼロッテとうまくやっていけるのではないかと思った次第です」
「もうちょっと落ち着いて考えようか。さあ一緒に深呼吸を」
吸って、吐いて、吸って、吐いて。
「やはりクーデレのほうが俺のキャラに会っているかもしれません」
「落ち着いて考えて欲しかったのはそこじゃないんだよ!」
思わず声を荒げるレオナルド。
と、その時、またしてもコンコンとレオナルドの部屋のドアが鳴った。
「失礼する」
入ってきたのはクラウス・マグロス。リーゼロッテの兄にして稀代の恋愛音痴である。
「話は聞かせてもらった。テオドール、お前は間違っている」
レオナルドは突然の援護射撃に喜んでいいのかわからない。なにせ、あのクラウスなのだから。
微妙な気持ちになるレオナルドを差し置き、クラウスはテオドールに向かって重い口を開いた。
「今の時代はヤンデレだ!」
「そ、それは月刊バイブルの今月号!? なんてことだ、最新号を借りていたのがクラウスさんだったなんて……」
「悪いなテオドール。アリス嬢を振り向かせるために、月刊バイブルは図書館にある在庫はすべて読破済みだ!」
それはもう普通にはまってしまっているのではないだろうかとレオナルドは思ったが、これ以上面倒くさいことにはなってほしくなかったので黙っていた。
「ヤンデレ……ヤンデレか。しかし、現実でヤンデレをするのは少々難しい気がしますが」
「そうだな。最悪お縄になる」
思っていたより二人が正気なことに安堵するレオナルド。だんだんと早く部屋から出て行ってほしいと思うようになってきていた。テオドール一人だけであれば何とか軌道修正もできたかもしれないが、そこにクラウスが交わるとどうしようもなくなる気がする。そこまでおかしくなっていないのであれば自分の知らないところでツンデレなりクーデレなりヤンデレなりしてくれればいい。
「俺は夏休みのあいだアリス嬢と一切顔を合わさずにいた。会えない時間が愛を育てるともいうからな。このチャンスをものにし、二週間後のオルネイア文化祭はアリス嬢とともに楽しむのだ!」
「俺も夏休みの後半からほとんどリズと話していません。これからツンデレを極めてリズとの関係を前進させ、オルネイア文化祭に臨みます!」
「そうだ、その意気だテオドール!」
「はい! クラウスさんも健闘を祈ります」
がっちりと固い握手を交わす二人。部屋の主でありながらすっかり蚊帳の外になってしまったレオナルドは、気のない拍手をして二人の成功を祈った。
そして翌日、一年生の大物カップルが全力疾走の追いかけっこをしていたとのうわさを耳にし、思わず出てきそうになったため息を飲み込んだ。
ツンデレがどうして逃げ回ることになるのか。リーゼロッテはリーゼロッテでどうして追い掛け回すのか。
――お前ら、やっぱお似合いだよ。
早く事の収拾がつけばいいと願うばかりである。二人の気持ちは同じなのだから時間の問題だろう。
――それよりアイツは大丈夫か?
アイツというのはアリスのことで、クラウスの突撃にうまく対処しただろうかとそちらのほうが気になっていた。
その後、クラウスが一年の教室で年寄りのような不健康自慢を声高にしていたという噂を耳にし、今度こそため息をつくことになった。渋い顔をして眉間のしわをもむ王太子殿下が誰かの目に触れたのなら、それも学園のうわさ話になってしまうところだが、幸いにしてそのような噂はたたなかった。




