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「全く、テオも兄様も何を考えているのかしら」
寝る前のティータイム、ぷりぷりと怒るリーゼロッテを前にし、アリスは同意の言葉を飲み込んだ。火に油を注ぐことになりかねないと思ったからだ。
「せっかく私が一歩歩み寄ろうとしたのに、全力で十歩ぐらい後退りするなんて!」
「テオさんらしくないですよね」
「そうなの! テオが私を避けるなんて前代未聞よ」
この十数年で一度たりとも、テオドールがリーゼロッテを避けるなんてことはなかった。どんなに喧嘩をしていたとしてもテオドールはリーゼロッテの傍にいた。と言ってもその大半はリーゼロッテが一方的に怒っているだけに過ぎないのだが。
「本当に嫌われたってことはないわよね……?」
少し――本当にほんの少しだけ、不安が心の片隅に芽生える。夏休みに妙に距離を置いて以降、テオドールの真意がつかめずに四苦八苦していたが、今回はさらに難解になっている気がする。
「もし、もしも、テオが私のことを嫌いになっていたらどうすればいいかしら」
テオドールの優しさに甘え続けたつけがここで回ってきたとでも言うべきか。テオドールに避けられたことが案外こたえているようだった。
「そんなことないですよ。だって、テオさん、逃げ回りながら謝っていたじゃないですか」
ごめん。すまない。そんな言葉を口走りながら逃げるてテオドールはアリスの目には随分と滑稽に映っていた。そんなこともあって今回の件についてアリスはそこまで重要に考えていなかったりする。リーゼロッテがテオドールとの仲を見直そうとしただけで根本的な問題は解決したと考えたのだ。
そんなアリスの心中を知らないリーゼロッテは、だんだんと心配が増してきていた。
「テオと婚約するの、早まったかしら」
「大丈夫ですって」
「テオが私のほかに愛人を囲み始めたらどんな顔をすればいいかしら」
「あの人にそんな甲斐性ないと思いますけど」
少し冷めた口調で放たれたアリスの言葉を、リーゼロッテは聞き逃さなかった。
「テオの懐の深さは底なしよ!? 私がどれだけ蹴っても投げても笑って許してくれるんですもの」
「それ、リズさんが特別だからじゃないんですか」
「それもあるかもしれなくもないけれど!」
テオドールは身内に甘い。例えばアリスに突然殴られたとしても、なんだかんだ許してしまうだろう。それがわかっているから不安になってしまうのだ。
もしかしたら、テオドールにとって自分はただ付き合いの長い幼馴染になってしまったのではないかと。
「大丈夫ですって」
「わからないじゃない。テオがいつ心変わりするか。それ以前にテオは私が好きなのか」
「どう見てもべた惚れですって」
柄にもなく弱気なリーゼロッテだったが、アリスは相変わらず楽観的だ。無理もない。はたから見れば変わり者同士でお似合いの二人なのだ。外堀は婚約したことで一片の隙間もなく埋まっており、あとは二人の気持ちが落ち着くまで待つばかりという時間の問題なのだ。
「そんなに気になるのなら、今度こそ捕まえてちゃんと話せばいいじゃないですか」
「そうかもしれないけれど、それで嫌われちゃったら元も子もないじゃない」
寝巻のリボンをいじくりまわしながら、リーゼロッテはとことん後ろ向きな思考回路に陥ってしまっていた。それだけテオドールに避けられたことがショックだったという事だ。
――これは長期戦になりそうですね。
アリスは今までにないリーゼロッテの様子に身構える。今晩中に何とかリーゼロッテの気分を浮上させたいと思っているのだが、どうやら厳しいようだ。
「ん~でもまあ、そっか。そうね。アリスの言うとおりだわ」
ところがアリスの予想に反して、即座にリーゼロッテは復活を遂げることになる。
元来気が短いリーゼロッテにとって、テオドールの気持ちという考えてもわからないことで悩み続けることは性に合わない。考えるよりも先に体が動いてしまうような一種の脳筋なのだ。そんなところは兄とよく似ている。
「そういえば、テオは海よりも広い心の持ち主だったわ。今更私に愛想つかすこともないでしょ」
「さっきと言ってることが真逆ですけど、その意気ですよリズさん!」
「見てなさい、明日こそ取っ捕まえてやるわ!」
握りこぶしを固くするリーゼロッテを前にし、ほっと胸をなでおろすアリス。そういえば昨晩も同じように安心した気がする。どうやらリーゼロッテの気分の浮き沈みが激しいことでアリスの精神状態も左右されてしまっているらしい。
「メッタメタのギッタギタにしてやるんだから!」
「それはやりすぎだと思います」
盛り上がるリーゼロッテを制しながら、アリスは振り回されるのも楽しいものだと知った。
「待ちなさい、テオ!」
次の日の朝、前日と同じく逃げ出したテオドールを追いかけるリーゼロッテ。しかし言葉とは裏腹にその顔は余裕に満ちている。
「止まらないのなら、どうなっても知らないわよ!」
そう言ってカバンから取り出したのは一冊の本。表紙にはテオドールによく似た眉目秀麗な青年とテディによく似た可愛らしい顔立ちの青年が寄り添った姿が描かれている。
「この場で――人通りの多い朝の校門前で星空きらら先生の新作BL小説を大声で朗読するわ!」
その声が耳に届くや否やぴたりと立ち止まるテオドール。その反応を確認しつつ、リーゼロッテは朗々と声を張り上げた。
「『こっちへおいで、テリィ。そう言って両手を広げるセオの瞳に映るテリィの頬は春の夜に咲く花のように色づき……』」
「ちょっと待ったあああ!」
周囲にいた生徒たちが何事かと足を止める中、テオドールは猛然と引き返しリーゼロッテの手から新作小説を奪い取る。その本をどう始末するか一瞬悩んだ挙句、丁重に自分のカバンにしまった。リーゼロッテの私物を引きちぎるのには抵抗があったのだ。
そして、その間に左手はリーゼロッテによって完全に拘束されてしまい、自分なりのツンデレ化計画が終了したことを悟った。
「さあ、説明してもらおうかしら?」
「ええと、授業が……」
「そんなのサボるに決まってるでしょう」
ずるずると引きずられるテオドールの諦観の表情に、そしてそこそこ身長のある男を涼しい顔をして引きずるリーゼロッテに、その場にいたものは冷や汗を流し夢ではないかと頬をつねったという。
「リズさん……」
流石のアリスもこれには苦笑いをするしかなかった。
もう人の目を気にして猫かぶりをしていた侯爵令嬢はどこにも居ない。そこに居るのは恋に真っ直ぐにぶつかる乙女のみである。
――ぶつかると言うか、ぶち壊すと言うか。
「とりあえず二人が幸せになれるなら、それで良いか」
「アリス嬢の言う通りだな」
独り言を漏らした突如、後ろから降り注ぐ声にアリスの背中が強張った。
「クラウスさん、いつの間に……」
「アリス嬢の姿が見えたのでな、走ってきたのだ」
そう言うクラウスの息は弾み、額にはうっすらと汗が浮かんでいた。その姿にどこからか黄色い声が上がる。確かに、はたから見る分には美丈夫なクラウスが頰を上気させた様子は大変色っぽく、絵になる。
ただ、アリスには10歳くらいの腕白小僧が好きな子に意地悪しに来たようにしか見えなかった。
「見てくれ! 今日は朝からささくれが出来てしまった」
「そうですか。痛そうですね」
なぜか誇らしげに小さな傷を自慢するクラウスを前にして、アリスは振り回されて楽しいのは人によるなと考えを改めた。




