吾輩は山椒である・フォーエバー
吾輩は山椒である。
都々逸調で名乗るなら、
「木から摘まれて、干されて摺られ、そして小瓶に詰められた」
ってトコだ。
突然だが、吾輩は今日ひとつの悟りを得た。
吾輩は、贅沢であった――というのがそれだ。
吾輩の夢は、鰻と一体化することだ。山椒として生まれたからには、鰻と添寝をしたかった。
ただひたすらに、それだけを願って生きてきた。
ところが、現実に添うた相手は、サンマだったり穴子だったり。
先日はホットケーキにまで成り下がった。
屈辱であった。
なぜこんな辱めを受けねばならぬのかと、天を恨んだ。
ぎりぎりと歯噛みしながら、今は耐える時だと自分に言い聞かせ、なんとか正気を保った。
しかし、こうなってみて判る。
本当の辱めとは、そんなものではない。
今、吾輩は、ババアの顔に塗られている。
バ バ ア の 顔 に 塗 ら れ て い る。
どうやら、ハーブパックのつもりらしい。
ババア――この家のヘッポコ主婦である大森郁代――は、緑がかった茶色の顔で、「アーユルヴェーダ、アーユルヴェーダ」と唱え続けている。
呪いのようで、かなり怖い。
こうなってしみじみ思ったが、今までの吾輩は、本当に贅沢だった。
思いあがっていた。
つけあがっていた。
勝手に人の部屋に上がり込んで、炊飯器ごとメシを食らいながら、
「ねえ、冷蔵庫に納豆とマヨネーズしかないんだけど、もしかして貧乏?(ぷ)」
と言い放ったタナカヨシヒコくらい増長していた。
食べてもらえるだけで幸せだということを、真の意味で理解していなかった。
食物でありながら口にすらされないという現実は、吾輩のプライドを真っ二つにへし折った。
怒りなどなかった。ただ、とにかく、力が抜けた。
食べ物として扱ってくれるのなら、いくらでも懺悔しよう。土下座もする。
ごめんなさい、もう文句は言いません。
どうか「食べる」でお願いします。
上の穴から入って、下の穴から出る、その一連の栄誉を吾輩にお与えください。
そう繰り返しながら、石だらけの地面に何度も額を打ち付けてみせよう。
遡って思い返せば、今までの相方はそれほど悪くなかった。
ホットケーキミックス粉の、焼かれる前の肌の白さは感動的だったし、焼かれたあとは軽やかで、雲の上にいる心地がした。
豆腐とは語らう暇がなかったが、あのモチッした白肌は、鰻に劣らぬほどすばらしかった。
穴子は最も鰻に似ていた。性格は悪かったが、そこは海苔が補っていた。
サンマは心根の優しい女だった。肌は浅黒かったがキメは整っていた。
ああ、吾輩は馬鹿だ。
それぞれの出会いを、もっと楽しむべきだった――。
どこまでも広がる悔恨に、「アーユルヴェーダ、アーユルヴェーダ」というババアの声が混ざり込む。
やめろババア。オマエとは一体化したくねえ。
キッチンカウンターに目をやると、点けっぱなしのパソコンに、「手作りハーブパック ~最高級のリラックス~」という文字が輝いていた。
なるほど、これでか……と納得しつつ、首を傾げる。
確かに山椒も、広い意味ではハーブの一種だ。
しかし、パックや化粧品に使われるなど、一度も聞いたことがない。
あるのなら、吾輩のじっちゃんである山椒の木が、
「楊貴妃もクレオパトラも小野小町も、みーんな山椒パックで若さを保ってきたんじゃ」
とかなんとか得意げに語ったはずだ。
じっちゃんが知らないということは最近の流行か。
柿の葉やどくだみを主成分とした化粧品があるのだから、おかしくはないのかもしれないが……。
と、その時。吾輩の目が、ある言葉を捉えた。
「このハーブバックは、ワンちゃんの毛艶を良くするだけでなく、ストレス解消にも最適です」
バ、ババアーーーーーーーーーーッ!!!
どんだけそそっかしいんだ、オマエ!
そのパック、犬用だから! 人間用じゃないから!
しかも、材料はカモミール。山椒なんてひとことも書いてない。
ハーブの枠で拡大しすぎだ。
「……あらやだ、なんだかピリピリしてきたわ」
郁代が小さく眉を寄せる。
あ た り ま え だ。
吾輩にはサンショオールという、「そのまんまやんけ」と言いたくなるような名前の成分が含まれている。
サンショオールには、相手を麻痺させる力がある。山椒を食べると舌がピリッとするのはこのせいだ。
この特性を利用し、山椒は漁猟にも使われた。
川に流して待つことしばし。そのうち、痺れた魚が浮かんでくる。それを捕るのだ。
なお、人体にはまったく影響がないので、安心して食べて欲しい。
食べて欲しいが、顔に塗るのはご遠慮願いたい。
さあ、ババア。オマエもさっさと洗い流してこい。
「このピリピリ、きっと効いてる証拠ね」
違う! 違うがもう良し!
ババアの顔がどうなろうが、吾輩の知ったことではない。
ツラの皮もかなり厚そうだから、刺激が強い方が良いかもしれん。
十分後。
洗面所でパックを洗い流した郁代が、頬を撫でながら台所へと戻ってきた。
「すべすべ~。五歳くらい若返ったわぁ」
気のせいだ、ババア。全然若返ってなどおらん。
むしろ、いくらかダメージを与えられたと自負しておる。
郁代は、小瓶である吾輩をつまみ上げ、目の高さに掲げた。
な、なんだ。まさか、吾輩の声が聞こえたとか――?
郁代は、にっこりと笑った。
「ああ、やっと使い終わった~」
な、何!?
吾輩は、慌てて自分を顧みた。
確かに空。隅にちょぼちょぼと粉が残っているだけだ。
郁代は吾輩を放り投げた。
宙に舞った吾輩は、ゆるりと美しい半円を描き、それから落ちて、落ちて……行きついた先は燃えないゴミの袋。
理解が追いつかない吾輩のうえに、郁代の声が降ってきた。
「山椒って使い道ないわよね。なくてもいいわ」
呆然としたあとに、むらむらと怒りがこみあげてくる。
山 椒 な ん て な く て も い い ?
「ふざけんな、ババア! オマエが使いこなせないだけだ!」
「ジャパニーズ・ペッパー」の名を持つ日本を代表する香辛料であり、海外ではその希少性から「緑のダイヤ」と呼ばれて高値で取引され、漢方としても優秀で、鰻の風味を強めるのみならず消化吸収をも助け、日本の漁猟文化を支えてきた。
そんな山椒は、この世に欠かせない存在だ。
山椒は日本であり、日本は山椒なのだ。
ゴミ袋のなかから、吾輩は、遠ざかっていくババアの背を思いきり睨みつけた。
郁代よ、見ているがいい。
吾輩は必ず生まれ変わる。
次は金持ちの家に買われ、必ず鰻と添寝をしてやるからな!




