後輩さんを家に呼びましょう 後
彼は、仕方がないとでも言いたげに首を振って、玄関へと向かった。
私は、彼の腕の中で、一体どんな顔をして後輩さんに会えばいいのだろうかと思った。
横抱きにされて登場する恋人なんて、滅多にお目にかかれまい。貴重な機会だ。後輩さんには感謝してほしい。……と現実逃避を試みるも、羞恥心が勝る。
出来るだけ彼の胸に顔を当てて、見られないようにしよう。恥ずかしさが過ぎる。
ガチャリと、玄関のドアが彼の手によって開かれる。
ああ、後輩さんは、先輩の家に髪を切りに行ったら彼女を抱いて迎えられてどんな感情を抱くのだろう。
困惑するだろうか。まさか喜んだり怒ったりはするまい。……見て見ぬふり、なんていうのもあり得るのではないか。あ、それが地味に一番きついかもしれない。
「――……」
ドアが、開ききる。
そこには、全体的にもっさりした黒髪の青年が立っていて、私たちの姿を見て、口を開けて硬直していた。
無理もない。
会社の先輩が全身真っ黒の謎の女を抱きかかえて登場したのだから。
丸く大きな眼鏡の向こうで、きょどきょどと目が泳いでいる。
口は一度閉じられ、もう一度開いて、そしてまた閉じてしまった。
もっさりした髪は後輩さん自身の手によって意味もなく数度叩かれ、しかしそうしたところで先輩の手から怪しい黒ずくめの女が消えることももちろんなく、効果のないそれは深く髪に沈んで止まった。
そんな後輩さんの困惑を置いて行ったまま、彼が「いらっしゃい」なぞと言えば、条件反射、なのだろうか。後輩さんは丸まっていた姿勢を慌てて正すと「こんにちは、お、お邪魔します」と答えた。どもったときには私の方をちらりと見ていた。
「まあ、あがってください」
彼の余所行きの声は、私について何も言及することはなく後輩さんに上がるよう促す。
丁寧で優しく、爽やかな声だった。私と話す時よりトーンも高い。
他人と関わる時の彼は、こんな声で、こんな表情なのだ。
滅多に見ることのない貴重なものなので、つい彼を観察してしまう。
後輩さんでも、誰でも、敬語を使うんだよなあ。
私と彼が出会った当時も、そうだった。
彼に敬語を使われていたのは、今から思えばとても貴重だ。あの頃はその希少性に気付いていなかったから普通に会話していたけれど、勿体ない。今だったら録音位するかもしれない。
でも、出会ってすぐの頃は、まだ彼は他の人に対しても愛想が今ほどはなかったように思う。
いつから、彼はこんなに他者に対してにこやかに振る舞うようになったのだろうか。
少なくとも、私と付き合いだすまでは、もっと堅苦しかったような、印象、で……。
あれ、これって、私と付き合ったから彼が丸くなった、みたいな、……自惚れすぎですね!恥ずかしい!
「……かけて、待っていてください。お茶を持ってきますね。コーヒー、飲めましたっけ」
私が思考の海に逃げている間にも彼の歩みは進みリビングに辿り着き、彼は後輩さんをソファに座らせた。
「の、飲めます。大丈夫です、コーヒー……あ、でも、砂糖とミルクもお願いしたいで、す」
後輩さんの視線は、私と彼を行ったり来たりしている。
ここまで来て私の紹介が何もないのだからこの反応も頷ける。
私も何も喋っていないし(彼の許可なく喋ったらデッドエンド入りそうだし)、彼も何も言わないものだから、もしや私のことを幽霊だなんて思ってはいないだろうか。
私は、彼の服をちょいちょいと引っ張り、流石に無言じゃ通せないでしょう、と彼の目を見つめた。
彼はなおも紹介したくなさそうに口を開かない。
まさか最後まで何も言わないつもりなのか。
私が幽霊だと勘違いされてもいいんですか……!
その時、後輩さんが口を開いた。
「あ、の! お茶って、先輩が準備されるんですか、その、手が塞がっていらっしゃるから、勝手を教えて貰えれば、僕、自分で……」
後輩さん、よくぞ言ってくれた。
私は心の中で拍手を送った。
さりげなく「両手が塞がっている」と言うことで私の存在について触れざるを得ないし、彼だって流石に言及するだろう。
彼は、「ああ」とまるで今気づいたかのように明るく驚いた声を上げた。
「紹介していませんでしたね」
白々しくも彼はそう言ってのけて、病弱な恋人であることを説明し、風邪をこじらせて今日は声も出ないし歩けないのだと言った。
風邪をこじらせて声が出ないまでは分かるが、歩けないってなんだ。
風邪で足を痛めることってあるのか。
しかし後輩さんは、純粋なのか先輩に突っ込んではいけないと思っているのか、「そうなんですね」と私に気の毒そうな視線すらよこした。
声が出ない(設定の)私は、きゅっと口を噤み、ぺこりと会釈をしておいた。
それから彼は後輩さんから最も遠い位置の別のソファに私を座らせると、後輩さんを呼んで台所へ向かった。
「これからまた来ることもあるかもしれないから、折角なのでキッチンの勝手も見て行ってください。今度来た時は、自由に使ってもらっても構いませんよ」
「おおお恐れ多いです、すみません、あっでもお茶くらい自分でいれられるようにします、はい!」
なんだか後輩さんは彼に委縮しているようだが、和やかな風景だ。
彼の貴重な笑顔もたくさん見れるし、やっぱり無理を言って一緒に過ごしてもらうようにしてよかった。
その後、私は無言で彼らの交流を眺めた。
彼のハサミ裁きは素晴らしく、髪を切り終えた後輩さんは以前にスマホで見た爽やか好青年そのものだった。最初見た時は野暮ったく感じた、丸く妙に大きい眼鏡さえファッションとして後輩さんと共にあった。
彼は時折私に水分を取らせ、空腹を確かめたが彼と私と後輩さんとの三人での会話や交友が始まるのは嫌がりそうだったので私はただ首を横に振り、後輩さんの元へ行くように促した。
後輩さんは終始申し訳なさそうな顔でこちらを見ていて、髪を切り終わると早々に帰り支度を始めた。
彼が手土産を取りにキッチンへ向かった時、後輩さんは私にこそりと話しかけた。
「本当は、声も出るし、歩くことも出来る……んじゃないでしょうか?」
私はぎょっとして、後輩さんを見やった。
ばれてる!
目を真ん丸にして見つめると、丸眼鏡の奥で後輩さんの目が細められた。
なんとなく、少し、彼に似たものを、その目に揺れる何かから感じた。
「やっぱり。……僕、先輩にすごく憧れてるんです。彼女もすっごく大切にされてるのが分かって、今日、もっと尊敬してます。」
私は、今度こそ本当に声も出なくなって、後輩さんの言葉をただ聞いていた。
「僕も、先輩みたいに恋人を大事に出来る人になりたいなあ」
……後輩さん、お前もヤンデレか!
やってる本人が言うのもなんだけど人と会う時声は出させない歩かせない抱っこ移動させる関係に憧れなくていいんですよ!
彼は一体後輩さんにどんな教育を……?ヤンデレ英才教育でも行われているのでしょうか……?
疑問符を飛ばしている間に彼が戻ってきて、後輩さんと一言二言会話を交わすと、後輩さんは颯爽とドアを開け、何度もお辞儀をして帰っていった。
私はひとまずアームカバーを外し(部屋の中で付けたままだと何となく落ち着かない)、彼に話しかけた。
「仲、良いんですね。見ていて和みました」
後輩さんが髪を切られている間、日向ぼっこをしている猫の様に気持ちよさそうに目を細めていたのが印象的だ。
一つ頷いた彼は、言葉を返した。
「……何か、似ているだろう?」
……ヤンデレ同士、感じているものがあるのでしょうか。
同じ空気を読み取った彼らは、会社でも仲が良いらしく、彼の口から幾つかのエピソードが語られた。
会話が一段落着いたところで、そういえば、と私は疑問を口にした。
「後輩さんて、彼女はいらっしゃるんですかねえ」
「……今は、準備段階、だろうな」
準備段階、という言葉が、何となく不穏だった。
囲い込み中ってやつなのでしょうか。
そのうち、私と彼と後輩さんとその彼女でダブルデートすることなんかになったりして。
なんだかあり得そうな気がする未来に、私は小さく笑った。
デート中にお互いデッドエンド入ったりしたら、カオスだなあ、なんて思いながら。




