第二話
───7月7日3時、中心区域北西部ベターロートにて。
ベターロートの風俗街の外れにひっそりと佇む建物がある。
そこの一階はただの酒屋になっているが、地下には会員制クラブ「プレヤード」が設営されてある。
今では殆ど会員もおらず開店休業状態のこのクラブに、今日はファミリーの大物が集う。
「…よう、ロマーノ。こっちの言い分どおり、お前と付き人一人だけだな」
「ええ。そちらも我々と話をする気があるみたいで良かったです」
小さな個室に総統とシルヴァーニ家のトップであるキリルが向き合うように座る。
そして総統の横に私は立ち、向かいにはチェレンティーがニヤニヤと佇んでいた。
「さて、何でこんな辺鄙な場所で密談するか…分かってるよな?」
「昨日に起きた爆発事件の件でしょう?その節では多大な迷惑をかけてしまって申し訳御座いません」
「なーに、ギャングの抗争が発展した結果だ。あいつ等は馬鹿だからファミリーの首輪なんてお構い無しに暴れちまう。謝ることなんてないさ」
「そう言っていただけると幸いです」
「だがな…何故加害者のギャングを、お前達プレグレッフィ家は始末しちまった?」
「とても償え切れない重大なミスを犯した者には、それ相応のけじめをつけてもらう必要がある…僕はそう思いまして」
総統の言葉を聞いて、キリルの眉が少しだけ上がる。
「そのけじめとやらの付け方、間違ってんじゃねぇか、ロマーノ」
「…と、言いますと?」
「今一番大事なのは、お前等のギャングが使った武器…RPG-7の出所が何処かって事だ。それを知っていたギャングをぶっ殺しやがって…手がかり潰してどうするつもりだ?」
「…なるほど、その事でしたか。我々も最初はその事を聞いてから始末するつもりでしたが…今回の事件、一般人が一人負傷されたそうで、警察がかなり早く動いてしまった。だからギャングが捕まるより早く手を打って、我々に捜査の手が回らないようにする必要があったんです」
「サツが動こうが、まず生きて捕まえて吐かせるべき。俺はそう思うんだが…プレグレッフィ家は予想以上に血の気が盛んなんだなぁ…ま、いい」
キリルは咳払いをして話を続けた。
「ロマーノ、一つ質問だ。お前等はRPG-7を流した人物の正体を掴んでるのか?」
「いいえ、掴んでいませんよ」
「…あのなぁ、この世界で態々直接会って話しつけるってのがどれだけの意味を持ってるのか分かってんのか?おうボンボン、あんま俺達の事ナメないほうがいいぞ?」
「えっと…何か怒らせるようなこと言いましたっけ?」
「…お前等がこの街で何を売ってるかぐらい、俺等は知ってんだからな…」
「我々が売っているものですか…そうですねぇ、ホテル業と観光業がメインといった所ですか」
「んなフロント業は今どうでもいーんだよ…もっと別にあんだろ?」
「…フフッ、そうでした…まだそちらには一度も売ってないので、てっきり知っていないかと思っていましたよ。今回のこの密談、目的は“それ”の取引ということですかね?」
「おいおい、まさか金払わせるつもりか?ギャングとはいえお前等が仕掛けた抗争、侘びの代わりになるものがあんだろ?」
「しかしこれをタダで渡すのはちょっと…流石に割りに合わないですよ」
シルヴァーニ家が我々に要求してきたのは、恐らくカルゲニアのホテル全ての顧客名簿…そしてキャスタニア国際空港の入出国者リスト。
我々プレグレッフィ家はホテル業を取り仕切っているため顧客名簿も当然所持してある。
更に我々の本家は航空会社とも繋がりがあり、キャスタニア国際空港に入っている航空会社から入出国者リストも手に入れることが可能。
これらはファミリー関係者だけではなく一般人観光客の情報も知る事が出来る、プレグレッフィ家の抱える有益な情報ソース。
我々はこの情報を適宜取引で渡すことで金へと変える。何時如何なる時でも、情報は最も金になる。
「あーそうかそうか…なぁ、俺等が話だけで応じてる間に大人しく従っといたほうがいいぞ?」
「脅しですか、キリルさん…でも本当にこれだけは大事なんですよ…安易に流せるものじゃないんですって」
「…よーし分かった、これが最後だ。お前等の持つホテルの顧客名簿と入出国者リスト、それを寄越せ。それで今回の件の話をつけようじゃないか。お互い無駄な争いはしたくない、そうだろ?」
「…2012年度のリスト、五十万。それでお譲りしましょう。それ以下では一切応じるつもりはないです」
総統の提示した条件を聞いたキリルは、大きくため息をつく。
…どうやらそれがトリガーらしい。チェレンティーの口元が大きく歪み、右足がかすかに滑る。
全く、シルヴァーニ家は暴力的で嫌いだ。
私は即座に剣を抜き、鉤爪をむき出しにしてこちらにやって来たチェレンティーをあしらう。
「コーディル君!…何のつもりですか、キリルさん?」
「俺等だって馬鹿じゃないからな、いきなりお前に傷つけるような真似はしねぇさ。ようロマーノ、五十万は幾らなんでも高すぎやしねぇか?五万だ、特別にそれで手を打ってやる」
この狭い部屋だと、リーチの短く振るいやすい鉤爪に軍配は傾いてしまう。何より、総統に剣が触れる可能性まで生まれてしまう。
私の使う直剣の長さが仇となるとは。
「キリルさん、話し合いで解決しましょうよ…手荒な真似されても困りますって」
「ならこっちの条件を飲み込め、いいな?」
「いや、でも五万は…流石に安すぎますよ」
「ならしゃーねーなー…チェレンティー、まず右腕だ」
キリルの指示を聞いたチェレンティーはより一層笑いながら、まず左手の三叉の鉤爪でこちらの剣を絡め取る。
てこの原理を上手く利用した技は、いとも容易く私の手から剣を奪い去ってしまった。
そのままチェレンティーは右手の鉤爪を振り、私の右腕を切り裂こうとしてきた。
とっさに左手の篭手でガードするが、小さな体に見合わぬ怪力に腕が持っていかれそうだ。
チェレンティーは剣を投げ捨てて猛攻を仕掛ける。両手の三叉鉤爪の軌道全てを左手の篭手で受けるのは少々大変だ。
「…そうですか…分かりました。なら取引は不成立ですね」
総統が静かに呟き、ゆっくりと立ち上がって私のほうを見る。
あの目は…そうですか、分かりました。
どうやらシルヴァーニ家の無能な長と、このクソガキには少々高い教育費が必要らしい。
こちらが防御しているうちに引いてくれたら良かったものを。
チェレンティーの一撃を受けるのではなく、軽く横に避けてみせる。
どうやらこのガキは私がわざと篭手でガードしている事に気づかなかったらしい。空を切る鉤爪に、ほんの少しだけ隙が生じる。
まずはその右腕を右手で掴んでチェレンティーを引き寄せて、脇腹を左手の篭手で殴る。
鋼鉄の一撃は、チェレンティーの顔から笑みを奪うことに成功した。口から血を噴出してチェレンティーは床に転がった。
すぐさま捨てられた剣を拾って、起き上がろうとするうつ伏せのチェレンティーの左太ももを貫く。
「そうかいロマーノ、そっちも端から対立する気だったな?」
「最初に仕掛けてきたのはそちらでしょう。心配しなくても、そちらの貴重な戦力をなくすまではしませんよ」
…剣が突き刺さっているにも関わらず、チェレンティーは再び笑い出す。
そしてあろうことか、太ももを引き裂く事を厭わず彼は立ち上がったのだ。
ずたずたになった足を気にすることなく、振り向きながら先ほど以上のスピードで鉤爪を振るう。
剣を引く前に、鉤爪が私の右腕を切り裂く。予想よりも刃が深く入ったらしい。腕に力が入らない。
「こっちのチェレンティーをあんま甘く見るなよ?本気でいっていいぞ、チェレンティー!」
その言葉を聞いてチェレンティーは更に狂気的に笑うが、すぐさま笑みをかき消して私から離れる。
私もすぐに気配を察知してチェレンティーから離れた。
その瞬間、部屋の壁が音を立てて粉砕される。
土ぼこりはしばらくして収まり、壁の向こうから人影が現れる…すっかり忘れていた、此処はゼネリ家の領地だった。
「…話し合いに使うと我々は聞いておりましたが」
黒いスーツを着た大男、マルク。その右腕に付けた鋼鉄の武器…マルクを象徴するその武器は、パイルドライバーを無理やり対人用に改造した代物だ。
パイルドライバーのレバーを引いて、マルクもまた臨戦態勢で我々を睨む。
「チッ、ばれちまったか…」
「キリル総代…我々の長、ブレンダからの電話です」
そう言ってマルクはポケットから携帯を取り出してキリルに近づく。
わざとこちらに聞こえるようにしているのだろうか、携帯はスピーカー通話になってある。
「…ブレンダだ。キリル、返事をしろ」
「…もしもし、キリルだ」
「一体どういうつもりだ?店を汚すようなことはしない、貴様はそう言っていた筈だが?」
「盗み見はよくないなぁ、ブレンダ。それじゃあ密会の意味がないだろ」
「心配するな、盗聴はしていない。いいか、お前はこちらの条件を破った。これ以上我々の領地に留まることは許さない、速やかに退室しろ」
「お、おいおいこっちはまだ交渉が…」
「キリル・シルヴァーニ、同じ事を何度も言わせるな。貴様はゼネリ家の…敵地の中心にいることを自覚しろ」
「あー分かった分かった!俺が悪かったって、な?な?」
「…プレグレッフィ家、お前達も即刻ベターロートから消えろ。これ以上厄介事をゼネリ家に持ち込むな」
マルクは今度は総統に携帯を向ける。
「ええ、分かっています。店の修理代は…」
「改修工事のついでだ、払う必要など無い」
「すみませんね、ブレンダさん」
「私からは以上だ。ベターロートにいる間は大人しくしてもらうぞ、いいな」
その言葉の後に通話は切られた。
「…コーディル君、帰ろうか」
「分かりました。我々は先に引き上げます。では」
こうなった以上この地で話し合いなど不可能。とりあえず撤退することが先決か。
ドアノブに手を掛けようとした総統は、ふと立ち止まる。
「キリルさん、一つだけ」
「…ん、何だよ」
「今回の件…RPG-7を始めとした強力な兵器を欲しているのは、何もギャングだけではないでしょう」
「…おいロマーノ、まさかお前始めから…!」
「フフッ、早く犯人が見つかるといいですね。それでは」
総統はそう言い残して扉を開けて部屋から去った。それに私も続く。
暗い廊下を歩きながらロマーノは小さくため息をついた。
「コーディル君、怪我は?」
「少々深いですが、治療すれば大丈夫です」
「それは良かった…」
「それより総統…例の取引についてですが…」
「…ああ、分かってるよ。会場も金もスタンバイできてる。後は客人を迎えるのを待つだけだよ」
───同日10時14分、キャスタニア国際空港前ターミナルにて。
「いやぁ、中々タイトなスケジュールだったねぇ。欧州横断は楽しかったけど、もう少しゆっくり観光したかったよ」
迎えの車を待つ私達。フロッドさんは小さいキャリーバッグ一つだが、私は大量のお土産を両手に提げていた。
ドイツからイタリアまでの主要国を一日おきに移動しての公演だったため、土産物店で買い物するぐらいしか時間が取れず残念。
でもご飯は美味しかったし、ショーはどの国でも大盛況、何より今回は積極的にアシスタント採用して貰ったので間近でマジックも見れたし大満足だ。
「にしてもそんなに土産買って、どうするんだい?そんなに配るアテでも?」
「…アテならあります。後半分ぐらい自分用です」
「ま、こうやって旅も兼ねて仕事が出来るってのはいい事だ…でも、どうやらしばらくこの街での仕事がメインになりそうだ」
「イブリースのほうの仕事でしょうか?」
「まだ仕事は来てないけど、街の様子が少し変だ…また何か面倒な事件でも起こったんじゃないかな…」
そう言いながら携帯を開くフロッドさん。その横顔が眩しい。
ふと辺りを見渡してみる。確かにマフィア連中が空港の至る場所に潜んでいる。
誰かを監視しているのだろうか。ターゲットは一体…?
「…あー、やっぱり。ここ数日でギャングの始末依頼が急激に増えているよ」
「この街に巣食う不届き者共ですか…それを狩るのが…」
「僕達の仕事さ、そうだろうチェシャ?」
「仰るとおりです、フロッドさん」
私やフロッドさんはある時は世界的スター「ローゼンクロイツ」率いるマジシャン。皆に夢を与え、夢を共有する幻想世界への案内人。
そしてある時は夢を壊す輩を排除するダークヒーロー。我々の守る正義のためならこの手を汚すことに躊躇などない。
…私がフロッドさんにより一層惹かれるのは、この方のそんな二面性を知るからだ。
「…ん、指名まで来てる…なるほどねぇ…チェシャ、君にうってつけの仕事が来てる。一緒に受けるかい?」
「はい、是非」
「分かった、じゃあ早速アポをとろうか」
フロッドさんは番号を手早く打ち込んで、誰かと通話を始めた。
「もしもし、御指名ありがとうございます、フロッドと言う者です…悪いんですが、お得意様以外とはとりあえず直接会ってから色々決めることにしておりまして…助かります、ではすぐ向かいます」
短い通話を終わらせたフロッドさんは携帯を閉まって私のほうを見た。
「依頼内容は要人護衛。相手の素性は分からないのが気がかりだけど、それなりに礼節もあるみたいだし大丈夫だろう。荷物を置いたらすぐカルゲニアのクアトロスタジオニに向かおう」
「あの最高級ホテルで待ち合わせですか。ドレスコードなどは…?」
「君の見た目なら誰も文句は言ってこないよ」
それってつまり、それだけ私が綺麗って事…?
いやだ、遠まわしにそんな…マズイマズイ、朝からテンションマックスは色々マズイ。
「…そうですか」
「よし、車も来たし早く行くとしよう」
私達の目の前に一台の車が停まった。私達の事務所の車だ。
トランクに荷物を積み込み、私達は車内へ入り込んだ。
───事務所で手早く挨拶を済ませて、僕とチェシャはカルゲニアのスタジオクアトロニへとやって来た。
この街最高級ホテルであり、そのビルの高さもキャスタニアで一、二位を争うほどだ。
こんなホテルに、僕はともかく奇怪な格好したチェシャが入れることになるなんて。
彼女は飛行機内だろうと何処でもネコミミを外そうとしないから、いつも可笑しくてたまらない。そして誰もツッコミを入れられないオーラが更に笑いを誘う。
チェシャがホテルの前に車を停車させると、すぐに入り口のホテルマンがやってきて僕の座る助手席の扉を開けた。
「お待ちしておりました、フロッド様」
「ん、何で君達が僕が来ることを知っているんだい?」
「お客人から話を聞いております。どうぞこちらへ」
「そうかい、じゃあチェシャは駐車場に…」
「お車のほうは私が移動致します」
流石にできたホテルマンだ。此処なら相手も変な真似はしてこれまい。
僕は懐からチップを出して彼に渡して車から降りた。
チェシャも車から降りて、代わりにホテルマンが車に乗り込む。
「良かったんですか、部外者を車に乗せて」
「盗られて困るものは積んでないし、何か仕掛けられてもすぐに分かるさ」
建物内にいるホテルマンが開けてくれた扉を通ると、すぐに案内人がやってきて僕等を案内してくれた。
内装は飾り気なく気品があって、まさに本物の高級感を醸し出している。
すれ違う客も決して派手ではないが、身に付けた腕時計やネックレスはそれこそ一般人では買えない様な一級品だ。
エレベーターに乗ってとても長い時間が経ち、最上階につくと、其処は更にワンランク上のスイートルーム。
短い廊下を通り、案内人が一つの扉をノックする。
「お客人でございます」
しばらくして鍵が外れ、ゆっくりとドアが開かれた。
ドアの奥に立っていたのは、メガネをかけた背の高い黒人男性だった。
高級そうなスーツを完璧に着こなした、いかにもエリートといった風貌だ。
「ありがとうございます。こちらを」
男性が案内人にチップを渡すと、案内人は頭を下げて去って行った。
「始めまし…ん、んん!?」
改めて男性がこちらを見て、何かに驚愕する。
やっぱりチェシャの格好を見てビックリしてるんだろう。そりゃ誰だってビビるだろう、死んだ目をした子がネコミミなんか付けてたら。
「御指名ありがとう御座います、フロッドです。こちらはボディーガードのチェシャ」
「よろしくお願いいたします」
僕等が挨拶を済ませても、男性は目が点のまま。
「あ、あの…え、フロッドさん…でお間違いないです…よね?」
「ええ。どうかされましたか?」
「まさかと思いますが…ローゼンクロイツさん?」
…始めて会う相手だからもしやと思っていたが、まさか僕─フロッドのことを知らない相手だったとは。
これはちょっと面倒だ…一々説明する必要がありそうで。
「最近はその名前で良くマジックショーをさせていただいております」
「えっと…あ、そうですか…おっと失礼いたしました。ささ、中へどうぞ」
やっと僕等を室内に招き入れてくれた。
リビングに入り、男の指し示したソファに僕とチェシャが並んで座る。
部屋の中には黒人男性の他にも二人、中年の白人男性とアジア人の青年が奥のソファでイビキをかいて寝ているのが見える。
「す、すみません…お客人が来ているのに全く起きなくて…部屋も汚いですし」
確かに、部屋の隅に空のワインボトルが並んで酒臭い。
この連中…思った以上に馬鹿集団なのかもしれない。
「いえいえ、僕は大丈夫です」
「本当に申し訳御座いません…では、まず自己紹介をさせていただきます」
そう言って男は名刺を取り出して僕に渡す。
「私はSLIT社、特殊機器部門に務めておりますゲイリー・ヤングと申します」
「SLIT…アメリカでもトップクラスの貿易会社でしたっけ?すみません、あんまりそっち方面のことは詳しくなくて」
「はい、我々は貿易業を中心とした事業を展開しております。あちらで寝ている中年男性がヘクター・A・クルップ。同部門の取締役を行っています。もう一人はグエン・カ・タコンベ。同部門の役員です」
「特殊機器部門…まぁそこら辺の話は今は置いときましょう。それで…イブリースを雇ってまで護衛依頼とはどういうことですかね?」
「…失礼します」
そう言ってゲイリーは向かいのソファに腰を掛けた。
「我々はこれから数件の取引を行うのですが…相手がマフィアでして。やはりどうも心もとないということで、この街で護衛を頼めそうな方を探しておりました」
「で、見つかったのがイブリースと…イブリースの事はどのぐらいご存知で?」
「比較的危険な仕事でも引き受けることが可能な派遣組織…そう伺っています」
「へぇ、なるほど…間違ってはないですね」
「有事の際に我々を守ってもらうだけで大丈夫です。報酬は一件ごとに2千。現在四件ほどの取引を予定してますので、トータルで8千ほどになります。もしトラブルが生じた場合更に上乗せで1万ということでどうでしょうか?」
成程、悪くない額だ。
マフィア相手に取引…ということは特殊機器はやはり法に触れるような代物なのだろう。
だがこの街の事をあまり知らないようだし、だとすればまだ警察の加護がついている可能性もある。
となるとマフィアも彼等を襲うような事もしないはず…いや、イブリースと関わった時点で加護は消えるか。
それでも楽な仕事であることに間違いない。
「…いいでしょう。護衛は僕とチェシャの二人で行います。取引現場にもよりますが、トラブル発生時以外はどこかに身を隠しておきます」
「ありがとう御座います。では今後のスケジュールについてですが…」
その時、ベッドで寝ていた中年男性…ヘクターが体をゆっくり起こした。
シーツがはだけ、上半身裸のパンツ一丁姿でベッドから降りる。
髪もボサボサで無精髭が目立つだらしのない男だ。
目をこすりながらこちらをしばらく見た後、はっと驚いた表情を浮かべる。
「す、すみませんねぇお客人が来られていたとは!いやぁ失敬失敬!」
そう言いながらヘクターは近くに掛かっていたワイシャツを着てスーツに身を包み始めた。
やはり庶民にはとても手が出せない超高級なブランドだ。着ている本人がだらしないのがネックだが。
「いえいえ、御気になさらず。私、イブリース所属のフロッドと言うものでして…」
「ああ、話は聞いてますよ!害虫駆除に落し物探し、道案内から老人介護まで何でも御座れのイブリース!短い間ですがお世話になります…ってグエン君ダメじゃないか早く起きて!」
ヘクターはそう言ってまだ寝ているグエンを無理やりたたき起こしていた。
しかしこの男…ふざけているようでイブリースの事をしっかり理解している、ゲイリー以上に。
なるほどねぇ、こりゃ厄介な依頼者だ。わざと隙を見せて相手を油断させるようなかなりのやり手だろう。
しばらくしてグエンも目を覚まし、彼もシャツとスーツを手早く着てこちらに向かって一礼する。
「ほらグエン君、ローゼンクロイツさんだよ。どうだい、サインの一つでも貰って来たら!?」
「ヘクターさん!今はスケジュールの確認中ですから少し黙っていてくださいよ!」
「なんだいゲイリー君、相変わらず堅いねぇ。大スターのローゼンクロイツさんと一緒に仕事が出来るなんて夢みたいじゃないか!」
「はぁ…すみません、フロッドさん。あの人の言うことは聞き流してもらえれば大丈夫なので…」
と、言われてもあのグエンは手帳とボールペンをいつの間にか取り出してるし…
これ以上は真面目な話は出来そうにないね。
「スケジュールに関してはメールで送ってもらえれば大丈夫ですので」
「そ、そうですか…本当にすみません」
「ほらグエン君、今がチャンスだ!」
ヘクターのその言葉と同時に、グエンがこちらに走り寄ってきた。
…へぇ、近くで見ると想像以上に若い。まだ二十歳にも満たないぐらいかな。
僕はチラリとチェシャのほうを見てみる。他の人が見ても一切分からないだろうけど、チェシャの目付きが少しだけ鋭くなっていることが僕には分かる。
グエンはどう見ても頭を使う仕事が出来そうな感じではない。彼はボディーガードなんだろう。
彼から手帳を受け取りながら、彼のズボンに目をやる。やはり裏にかなり大きなナイフを仕込んであるらしい。
「…はい、このページで良かったですかね?」
適当にサインを書いてグエンに渡す。彼も表情は変えず、無言のまま頭を下げた。
「グエン君良かったねぇ!あ、どうせなら私も…」
「はぁ…こんな人達ですけど、どうかよろしくお願い致します…」
果たして彼等はマフィアと何の取引をするのだろうか。
僕の見解では、彼等もまた僕達と同じ世界の住人じゃないかな…
いや、僕達以上に修羅場を乗り越えて来たのかもしれない。
あくまでビジネスに徹するよう、僕達も気をつけなければ。




